真稔秀春ことヒデは、東京から電車で約3時間かかる、千葉県南部の海沿いの町『風海町(かざみちょう)』で生まれ育った。
母はヒデが3歳の時に病気で亡くなった。幼さ故あまり記憶にないのだが、とてもやさしい料理教室の講師だったと、父と祖母はよく話していた。父はとある会社の営業マン。信頼される社員として頑張っていた。
父は8歳を迎えたヒデの誕生日にこう言った。
「いいか。秀春。やらなきゃいけないと決めたことは、最善の結果が出るまで、自分のために、みんなのために、誠意と責任をもってやるんだ。忘れちゃダメだぞ」
父が亡くなったのはその1年後だった。誕生日からしばらくの後、体調不良を訴えた父は精密検査でガンを宣告された。最後まで勤務先や自分たち家族を思い、笑顔を絶やさなかった父をヒデは忘れない。
こうしてヒデは、祖母と二人暮らしになった。この時すでに、祖母は74歳だった。そう遠くないうちに別れが来ることを察していたのだろう。祖母は事あるごとにヒデに言った。
「将来どんな仕事についてもいいように、いっぱい本や新聞を読んで、何事も勉強だと思ってやりなさい」
家には本がいっぱいあった。父が読んでいたビジネス関係の本、母の料理の本。昔は学校の国語教師だった祖母の文学書。暇を見つけてはそれらを読んだ。
特に料理の本は気に入った。料理をすることで、ほとんど記憶にない母に近づける気がした。祖母にも見てもらいながら、ヒデは料理に没頭した。いつしか、こう呼ばれるようになった。学校で一番料理の上手な男子と。
そして6年生の家庭科の調理実習。ヒデの作ったカレーを食べた、同じクラスの天然パーマ少年は言った。
「この味だ。ヒデ!お前とならやれる気がする!中学で一緒に映画を作ろう!」
カレーの味と映画に何の因果関係があるのだろう。その天然パーマこと、八十島和彦(やそじま・かずひこ)は無茶苦茶なことを言ってヒデを映画作りに勧誘した。ヒデは断った。部活で帰りが遅くなると祖母が心配するし、お金のかかることはしたくなかったからだ。
そのことを祖母に報告すると、意外にも祖母はやるべきだ、と言った。
「お金のことは心配しなくていい。帰りが遅くなる時は連絡をくれればいいから、あなたを必要としている人のために、やってみなさい。何事も勉強だと思って」
こうして中学生になったヒデは、和彦の作った映画研究部の部員になった。
和彦は、中学生とは思えないほど大量の知識を持っていた。映像制作や演技の知識はもちろん、アクション映画に出てくる銃器の使い方、軍隊の戦術、名作映画の裏話まで。聞けば両親は熱烈な映画マニアにして、有名な映像制作会社のスタッフ。彼は幼いころからアクション・サスペンス映画ばかり見ていたのだという。
そんな和彦に、ヒデは入部早々主演をやるように言われた。びっくりした。自分は食事当番か裏方じゃないのか。
「とんでもない!ヒデ、お前は俳優向きだ!
その優しそうな顔!切れる頭!素敵な声!スマートな体型!それだけで映画の主役には十分だ!!
そして責任感の強いところ!これが気に入った!!お前を主役にして映画を作りたい!!」
そう言われると、やる気になってしまうではないか。和彦にヒデは問いかける。
「どんな映画にするの?」
「忌まわしい因習が残る村で殺人事件が起きる!この国の探偵小説へのリスペクトにするつもりさ。そこにちょいとしたアクションを入れたいと思ってる」
「僕は探偵か刑事?」
「いや!お前はすずしい顔して探偵を絶体絶命かつ徹底的に追い詰めていく、殺人犯だ!」
やる気が一気にしぼんだ。
「なら断る!殺人犯なんて演じたら、お祖母ちゃんが悲しむ!大体、犯人なら主役じゃないよ」
「おい!!探偵や刑事が活躍できるのは殺人犯がいるからだぞ!!
殺人犯がいなかったら、探偵も刑事もただの人!殺人犯こそが真の主役!!」
「理屈はわかった。でも断る!
殺人犯は人を殺す。お祖母ちゃんにそんなシーンは見せられない」
すると和彦は、天然パーマ頭を抱え本気で泣き出した。
「お前をイメージして、もう脚本書いちゃったんだ!!ほかのやつには絶対やらせたくない!俺はこの作品に賭けているんだ!」
「それは君個人の事情だろ」
「ほかの部員も脚本読んで『これはヒデにしかできない』って言ってる!!頼む!!やって!!お願い!!」
「なんで先に外堀を埋めてるんですかー!?」
無茶苦茶な泣き落としに、思わず敬語でツッコミを入れてしまった。結局ヒデは和彦に負けて、殺人犯を演じることに同意した。
和彦の演技指導はスパルタンだった。ヒデとともに役者として集められた同級生たちは、台詞回しから銃の握り方まで徹底的に指導された。
トラブルもあった。殺人犯のヒデと主人公のクライマックス、銃撃戦を撮影するときのこと。周囲の迷惑にならないように映画研究部は事前に『中学の裏山にある広場でモデルガンを使って映画撮影します』と、町内会の会報でお断りを伝えていた。ところが、撮影当日たまたま東京から帰省した、裏山広場のそばに住むおばさんは会報を読んでいなかった。おばさんは山から聞こえた銃声に仰天して警察に通報。結果、パトカーが撮影現場に乱入した。
監督の和彦はパトカーを見るなり、笑顔で一言。
「すげえ!!俺たちの映画に警察署が飛び入り参加だ。カメラを回せ!!」
なんて前向きすぎる勘違い。映画研究部の面々は警察にも学校にも怒られた(結局『次からは町内会だけでなく警察にも事前に言いなさい』というところで落ち着いた)。
慣れない映画製作は大変で疲れることだらけ。それでも、和彦の本気で面白い映画を作ろうという情熱、言い換えれば『魂』にヒデもほかの部員たちも影響されてしまっていた。だから退部する者は一人も出なかった。
和彦は、ことあるごとにこう言った。
「俺はアクション・サスペンスが大好きだ。過酷な命のやり取りの中で、敵も味方も知恵と体力を尽くして頑張る姿が大好きだ。悪役は全力で主人公を追い詰める。主人公は敵の猛攻をしのぎ勝機を見出す。それこそがドラマになる。
主人公も悪役も常に緊迫感を!!命のやり取りをしてるって意識を大切に!!」
そしてこうも言っていた。
「俺たちは子供だ。中学生だ。表現力には限界がある。
だからって手は抜かない。見てる人を夢中にさせるために、俺たちがまず全力で本気になって映画を作らなくちゃな」
そのために全力で殺人犯を演じるのはどうかとも思ったが、ヒデは仲間たちとやり遂げた。
製作期間半年のこの映画は文化祭で上映され、会場の視聴覚室は観客の悲鳴でいっぱいになった。
その中にヒデの祖母もいた。上映後、和彦は控室に祖母を呼んで謝った。
「お祖母さん。秀春くんをここまで付き合わせちゃって、すみませんでした」
さすがに殺人犯を演じさせたことに罪悪感があったようだ。ヒデ自身も映画の内容を直前まで(モデルガンの一件があるまで)祖母に言えなかった。祖母が怒りだしたらどうしようと、隣にいたヒデはハラハラした。
「いいえ。秀春は立派な犯人として映っていました。でなければ私だって悲鳴を上げませんよ。秀春もいい勉強になったと思います。八十島君、これからも秀春をよろしくお願いします」
深々と頭を下げた祖母に、ヒデも和彦も驚いたものだ。
ともあれ映画の成功に弾みをつけた和彦は、ヒデたちとともにその後も映画を撮り続けた。翌年の映画はフルアクション。ヒデの役どころは「格闘家集団を牛耳る気功術の使い手」で、今度は役作りのため町の格闘技道場へ2か月通う羽目になった。
中学3年間で作った映画は、長編短編あわせて7本。そのうち4本でヒデは悪役を演じ、映画製作で多くの知識を学んだ。モデルガンや格闘技道場の件では苦労したけれど、本気で観客を楽しませようとする和彦に応えようと、ヒデも部員たちも頑張った。
撮影日はたいてい土曜日と日曜日。大変だけど、撮影現場では笑いが絶えなかった。都会ではヒーローと悪の組織が暴れていたけど、そんなの関係なかった。
ヒデはこのころは、日曜日が好きだった。
そんな中学生活も3年を迎え、将来のことを考える時期が来た。
ヒデは高校に進学するか悩んでいた。当時学校の統廃合があり、風海町にあった高校が無くなった。同時に病気がちになった祖母のことを思い、遠くの学校に行くのをためらった。
そこに、祖母と親しい地元の蕎麦屋の大将夫妻がやってきた。うちで働かないかと。ヒデもその店の蕎麦が好きだった。いろいろ思案した末、中学の担任教師をはじめ多くの人に応援されて、蕎麦屋になることを決めた。和彦は高校で映画を一緒に作れなくなったことにひどく落胆したが、最後にはヒデの選択を応援してくれた。
それからはずっと蕎麦三昧の日々。
仕事として蕎麦を、料理を作ることは大変だった。でも、とても楽しかった。初めての給料で祖母を旅行に連れていくことができた。和彦をはじめ同級生たちは時折蕎麦を食べに来てくれた。
そのころ和彦は著名な学生映画コンテストに入賞し、地元の町民ラジオ局でラジオドラマ製作を頼まれるほど、名の知れた高校生になっていた。
「ヒデ、このラジオドラマに出てみないか?お前の声がぴったりだと思うんだ」
そして、一度は離れた演技の道に、自分を再び誘ってくれた。
「また僕は殺人犯?」
「まさか。今回はまっとうな役だよ」
アクションやサスペンスが大好きな彼にしては珍しく、ドラマの内容は昭和が舞台の家族もの。ラジオ局のリクエストだったそうで(たしかに町民向けのラジオで流血・暴力は無理がある)、お前を見習い勉強だと思って引き受けた、と和彦は笑っていた。
ヒデは主人公の女性を見守る蕎麦屋の青年役。まっとうというかそのままじゃないか、とツッコミを入れたら、殺人犯のほうが良かったか?と言って、和彦はまた笑った。
何はともあれ、和彦が自分の演技を評価し、誘ってくれたことがヒデは嬉しかった。蕎麦屋の大将も応援してくれたので、ヒデは仕事の合間に練習を重ね、その後も和彦が手掛けた複数のラジオドラマに参加することができた。
蕎麦屋をしながら、祖母と大将夫妻、友人たちと頑張って楽しく生きていこう。その当時のヒデは、明るい希望をもって生きていた。
一方、都会のほうでは日曜日になると相変わらず、ヒーローと悪の組織の戦いが続いていた。ニュースで見聞きしていたけれど、自分の住む町には関係ないと思っていた。風海町でそんなことが起きたことは一度もなかったからだ。これからもきっとそうだろう。ヒデだけでなく、祖母も、町の人たちも、みんながそう思っていたに違いない。
あの日が来るまでは。
よく晴れた夏の、日曜日の午後のこと。
18歳になったヒデは、いつも通り蕎麦屋として働いていた。
昼の営業時間はもう終ろうとしていた。観光客と思われる女性グループが立ち去り、最後に地元に帰省していた大学生の青年を残すのみとなった。彼は時折この店に食べに来ており、ヒデとも仲良くなっていた。
青年が店を去った後、片付けをしながら大将とヒデが他愛もない会話をしていると、店の扉からあわただしく大将の奥さんが駆け込んできた。
この街に怪物が出た。ヒーローも出たと。
ほどなくして防災無線が鳴り響き、住民は家から外に出るなと流れた。ヒデは店を出て祖母のもとへ戻りたかったが、無線を無視して出ることなどできなかった。
やがて、怪物がいなくなったと無線が流れた。ほっとしていると、馴染み客のおじさんが店に駆け込んできた。
ヒデの祖母が、ヒーローと怪物の戦闘に巻き込まれたというのだ。
あわてて現場に行くと、祖母は戦闘があったとは思えない現場で倒れていた。ぴくりとも動かなかった。
馴染み客のおじさんが一部始終を見ていた。祖母は買い物帰りに戦闘に巻き込まれ、車の影に隠れた。おじさんは祖母を自分の家に保護しようと駆け寄った。あと少しで祖母をつかもうとしたその時、ヒーローが怪物を投げたのだ。怪物は車に当たり、車は横転して祖母を押しつぶした。怪物はそのまま転がって別の家一軒を押しつぶしたというが、そんな後はもう残っていなかった。
「あのヒーロー。フェアリンとかいう女の子たちだけのヒーローだよ。
戦いが終わると建物とか、全部直してから帰るんだ。だったら命だって治して帰れと言いたいよ!」
おじさんはそう言って、泣いていた。あまりに唐突で現実離れした祖母との別れは衝撃的過ぎて、ヒデも泣いた。祖母の遺体に抱き着いて泣いた。遺体はフェアリンの力のおかげなのか、傷一つなかった。でも、動かなかった。
葬儀を済ませてから1か月は仕事をする気にならず、ずっと家で泣いていた。
それでも立ち直れたのは、大将夫妻や和彦、近所の人たちが励ましてくれたからだ。
ヒデは、みんなの支えもあって仕事を再開した。だが日曜日が来るたびに、ヒーローのニュースを聞くたびに、祖母を死なせてそのまま姿を消したフェアリンへの、そして同じようなことをしているヒーローへの怒りが、静かに湧き上がるのだ。
怪物を放置しろ。悪の組織にも人権が。なんて馬鹿なことは言わない。だが、家を直して帰る配慮があるなら、なぜ祖母を助けなかったのか。この国の日曜日には、自分と同じ思いをする人が、必ずきっとどこかで毎週生まれている。
こうしてヒデは、日曜日を嫌いになった。
それから5年が過ぎ、季節は秋を迎えた。
この間もいろんなことがあった。
高校を卒業した和彦は、映画製作を学びにアメリカに留学したい、その学資を貯めたいと、風海町にとどまりアルバイトを続けていた。ヒデと町内会のイベント企画会議に参加するなど一緒だったが、21歳の時念願のアメリカ留学に旅立った。
和彦の留学と同じ年に、大将の奥さんが病気で亡くなった。ヒデは大将とともに蕎麦屋を続けたが、2年後の秋に大将も亡くなった。大将にはほかに身寄りがおらず、亡くなる前、ヒデは大将から店を託された。
気持ちも新たに頑張ろうと決めた矢先、すさまじい台風が風海町を襲った。台風は町を突風と豪雨で痛めつけた。ヒデの自宅はなんとか無事だったが、引き継いだ蕎麦屋は修理不可能なほど傷んでしまった。
自分の事を嘆いている暇はなかった。ヒデは街の人たちと協力して、片付けや炊き出しを行った。気温は毎日35度以上。天には憎たらしいくらいまぶしい太陽がいた。
役所や警察消防、自衛隊、ほかの街から応援に来たボランティア団体。台風一過からみんな太陽の下で汗を流していた。暑さで何十人も倒れた。台風一過から10日以上経過し、国の役人がわずかな支援物資とともに初めてやってきた。
「遅すぎる!!なんで今なんだよ!!」
町の人たちは激怒して、役人に苦情を言いに行った。ヒデも熱さと疲労でフラフラな体に鞭打って、町の人たちに同行した。
国の女性役人は泣きながら弁解した。
「遅れたのはヒーローのせいで…」
わけを聞いて、みんな絶句した。
総理をはじめ多くの大臣たちは、台風の来ない場所に行ってヒーロー(レギオンと呼ばれる、男女5・6人で編成されるチームだ。なんと巨大ロボまで持っている)の新しい秘密基地の視察旅行を泊りがけでしていたという。だから、被災地支援の指示が出せなかったというのだ。
町の人たちはさらに激怒した。台風よりヒーローとの旅行を優先するなんて。台風が来ることは事前にわかっていたじゃないか、と。
女性役人は何度も泣きながら頭を下げて、最後に言った。
「申し訳ない。皆の怒りは国に必ず伝えます」
そして彼女と二度と会うことはなかった。
次の週の日曜日、新しい担当役人の男は町民を集め冷たく言い放った。
「レギオンをはじめとしたヒーロー支援策は、日本国政府およびその付属機関『ヒーロー庁』による、日本を守るための絶対方針です。
決してヒーローを批判しないこと。決してヒーローを疑わないこと。
さもなければ、どうなっても知りませんよ」
前の担当者はどうしたと町民が聞いたら、新担当の男は無視を決め込んで説明会を退出した。
前担当者の女性は国からいやがらせをうけたらしい。
そのまま心身の不調で入院し、病院で死んでしまったそうだ。
どうやら他殺の形跡が残っていたらしい。
きっと国が、自分たちの抗議を伝えた彼女を見せしめに制裁したんだ。そんなうわさが、町で流れた。
ヒーロー活動に異を唱える団体に入ろうとした者たちもいたが、うわさが流れた途端、皆適当な理由をつけてやめてしまった。ヒデもその一人だった。
町の人たちは、もう政府やヒーローへの文句を言わず、黙って復興作業を続けた。大臣たちの旅行の件は、一部の週刊誌に載った程度で、ほとんど話題にならなかった。マスコミも政府・ヒーロー庁の圧力が怖くなったのだろう。
ヒデは、ますます日曜日が嫌いになった。
やがて台風から半年ほど経過し、季節は春を迎えた。
半年の間でヒデは大将の店を解体し、台風の爪跡が残る風海町で24歳の誕生日を何の感動もないまま迎え、警備会社に就職。地元のショッピングセンター『ハミングバード』の警備員になった。
映画を作った時のように、蕎麦屋だった時のように、誰かのために全力で、誠意と責任をもって頑張る。
あんな時間は、自分にはもう二度とめぐってこないだろう。仕事として料理を作る気持ちも、店と一緒に壊れてしまったから。
己の人生に強い諦めを覚えながら、ヒデは淡々と警備員を続ける。
そして、3度目のひどい日曜日を迎えた。