フェアリンが風海町で戦い、ヒデの祖母・千代が亡くなってから、2年が過ぎた。
和彦は20歳になった。
高校を卒業後、町の観光協会で外国人向けのツアーガイド(ボランティアから昇格し、少ないながら給料をもらえるようになった)といくつかのアルバイトを掛け持ちして留学費用を稼ぎながら、アメリカの映画専門学校に留学する準備を進めていた。
映画制作からはいったん離れたが、いろんな作品を見てネタ帳を書き続けた。
ネタをまとめて映画雑誌に
「もっともイカしてる悪党の殺し方十選」
を投稿したら、賞金十万円をもらった。全部留学費用に貯金した。
来年の春、21歳になったらついにアメリカに留学するのだ。
この間、映画研究部にいたトミーは芸人を目指して大阪の芸人養成学校に。
オタキはスポーツ学を学ぶため神奈川の大学に。
イッチは町役場の試験を受けて公務員になった。
時々彼らはヒデや後輩たちも交えて和彦の家に集まり、中学時代と同じような『バトル映画研究会』を開いて、映画談議に花を咲かせていた。
この年の11月。
ヒデの勤めている蕎麦屋『どらさん』は、10日間の長期休業をとった。
ヒデによると、大将の奥さんの体調が思わしくなく、湯治も兼ね思い出の長野県を見て回りたい、とのこと。大将夫婦は長野で蕎麦づくりを覚えたのだ。夫婦で旅行できるのは、これが最後になるかもしれないから、とも。
ヒデが車を運転し、3人で思い出の地を巡る10日間の旅。ゆっくりしてこいよ、と和彦はヒデと大将夫婦を見送った。
事件は、和彦がヒデを送り出した翌日に起きた。
和彦はスーパーで買った食材がたっぷりつまったエコバッグを自転車のカゴに入れ、師匠である貴翠山刀志の家に向かっていた。
町はずれにある師匠の家へ続く道に並ぶ木々は、赤く色づいている。時刻は、午後三時を少し過ぎている。自転車は軽快に秋の道を駆け抜けていった。
和彦が高校を卒業すると、師匠は早く20歳になれ、と言った。
「うちの庭では秋になると紅葉見ながら酒が楽しめるんだ。和彦。20歳になったら一緒に紅葉酒しようぜ。サンマも七輪で焼いてやる」
和彦は20歳になったが、残念なことに師匠と紅葉酒はできなかった。
この年の春。師匠は体調を崩して入院。
精密検査した結果、飲酒にドクターストップ。紅葉酒はかなわぬ夢となってしまった。
夏になると師匠は、『貴翠山流剣舞道場』の看板を下ろした。看板を下ろした直後、師匠は和彦と両親、そして和彦の叔父夫婦を自宅に呼び出し、頭を下げてこう言った。
「俺はあと一年、生きられるかわからん。俺には身寄りがいない。俺が死んだらこの家と土地、そして金を、八十島家で引き継いでもらえないか。扱いは、お前たちに任せる」
突然の申し出にみんな驚いた。
「こんな素敵な家でいい余生を過ごせた。和彦に殺陣師としての技術を伝えることができた。八十島家はみんな恩人だ。恩返しがしたい。家や土地の管理は大変だろうが……、いざとなったら更地にして売っても、かまわないから」
いろいろ話し合った末、八十島家は師匠の財産を引き継ぐことを決めた。弁護士に相談し、引き継ぎに問題がないか何度も確認した。
退院後、師匠は自宅療養を続けている。足腰は日増しに弱り、寝ていることが増えた。和彦はアルバイトの合間を縫って師匠の家に食材を運び、家事を手伝っている。時には車を運転して、通院介助もしている。
今日は少し寒いから、温かい豚汁を作って師匠に食べてもらおう。
ヒデにいろいろ教えてもらい、和彦も一通りの料理は作れるようになっていた。
和彦が師匠の家に近づくと、少し離れたところに車が止まっている。
黒いセダンだ。ナンバープレートに東京の地名。
ここには師匠の家しかない。師匠の知人が訪ねに来たのかもしれない。
師匠は動けるだろうか。お茶と菓子を用意しなくちゃ。
和彦は自転車を止め、エコバッグを手に下げた。師匠の家の門をくぐる。
そして、目の前の光景に凍り付いた。
背広を着た男が3人、玄関の前に立っている。そのうちの一人は、寝間着を着た師匠の胸ぐらをつかみ、大声で詰問していた。
「なあ、貴翠山さんよお。アンタ知ってんだろ?神剣組の情報を!」
なぜ、ヒーローや悪の組織とも敵対している神剣組のことを、師匠に聞く!?
師匠が悲鳴にも似た声を絞り出す。
「知らんと、言っとる、だろうがっ!」
年老いた手を必死に振り回して抵抗する師匠。男はさらに強く師匠を揺さぶった。
「言えよ!言わんなら痛い目見せてやる!」
和彦はエコバッグを放り出し、男たちに駆け出した。
「おい、師匠に何してる!?」
3人組が一斉にこちらを向く。師匠をつかんでいた男は五十代くらいで、右眉の上に大きなホクロがあった。
3人とも身なりはそれなりによく、強盗などには見えない。
が、寝たきりの師匠の胸ぐらをつかみ怒鳴り散らした。
これだけでもう、許せない!強盗だろうと一般人だろうと、叩きのめす!
ホクロ男が師匠から手を放し、和彦に向き直って宣戦布告。
「痛い目見せてやろうか!」
和彦に右手を伸ばしてくる。
こっちの台詞だ、ノロマ!
和彦は即座にホクロ男の右手をつかみ、手首を思い切り捻り上げる。悲鳴を上げた相手の足を払った。映画のために10年以上かけて続けてきた格闘技は、和彦に人並み以上の戦闘能力を与えていた。
情けなく尻もちをついたホクロ男が、喚き散らす。
「て、テメエ暴力を振りやがって!」
和彦は問答無用でホクロ男の目の前に、握り拳を寸止めで突き付ける。
「病人を起こして怒鳴るのだって、暴力だろう」
「う……」
和彦はさらに畳みかける。
「納得いかねー、って顔だな。一緒に警察行こうぜ。どっちが悪いか、おまわりさんにジャッジしてもらおう」
仲間の男たちが、悔し気に顔をゆがめる。
「警察はやばいって」
「今日は帰ろう」
立ち上がったホクロ男が、玄関にへたり込む師匠に向かって怒鳴る。
「貴翠山さん!俺たちはまた来るからな!俺たちS-GOOK(エス・ゴーク)にたてついたら、タダじゃすまさないぜ!」
和彦は驚き、たちまち混乱する。
こいつらは、両親が勤めていたTV局の人間なのか!?
男たちが走り去っていく。
ショックのあまり、追いかけるのが遅れた。
「待てよ!」
和彦はぎりぎり追いついて、最後尾にいたホクロ男に手を伸ばす。背中をつかんで引きずり倒し、問いただす。
「なんでS-GOOKが、師匠に神剣組のことを聞く!?」
倒れたホクロ男が和彦の顔を見て、あっ、と驚く。
「お前、その顔……!?八十島誠に似てる。息子か!?」
「なんで父さんのことを!?」
こいつは父のことを知っているらしい。
最近、父の知人から『お父さんに似てきたね』と言われることもある和彦だが、問題はそこではない。
驚きと混乱が加速する。
神剣組と師匠にどんな関係が?
S-GOOKがなぜここに?
なぜ今、父の名前が出る?
続くホクロ男の怒鳴り声は、和彦をさらに混乱させた。
「くそ、このタイミングで出くわしちまうとは!ハニーレモン野郎が!」
「……はあッ!?」
「知らないのか?お前の親はS-GOOKとチャンバライズに逆らって、情けなくクビになったんだよ!」
「クビ!?」
「くそくそ!お前なんか、家族そろってハニーレモンだ!」
混乱に拍車がかかり、和彦は喚きながら車に乗り込むホクロ男を追えず、呆然と立ち尽くしてしまった。
黒いセダンは急発進し、やがて道の向こうに走り去った。
呆然と立ち尽くし、約3分。
我に返った和彦は、師匠の家に駆け戻った。
玄関で師匠が倒れている!
「師匠、大丈夫か!?」
師匠の呼吸が荒い。間違いなく、体調が悪化している。
ややあって、師匠が苦しげに答える。
「……気に、すんな、寝起き、でイラ、ついて……」
90歳過ぎの病人を、無理やり揺さぶったのだ。無事なわけがない。警察と救急車を呼ぼうとしたが、師匠は大丈夫だから、といって聞かない。
仕方なく和彦は、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す師匠を抱え、なんとか布団に連れていく。ほったらかしにしていた食材入りのエコバッグの回収も忘れない。
横になった師匠は、10分もするとようやく落ち着いた。
和彦は問う。
「あいつら、なんで師匠に神剣組のことを聞いた?俺のことをハニーレモンとか言ったのは、どういうことだ?」
師匠が、ゆっくりと言う。
「……おれが昔、居候して教わった剣術道場の話。お前には、名前を言ったかな」
和彦は記憶を振り返ってみる。師匠の思い出話に時々出ていたはずだ。
「えーと、マサカネさんだか、ヨシオカさんだったか?」
「惜しいな。義兼(よしかね)先生だ」
「義兼……。ああそういえば、聞いていた、かも」
「おれも今まで知らなかったが……。神剣組に、義兼先生の血筋が、いる」
和彦は、血の気が引いた。
「マジかよ……」
「やつら、おれと、義兼先生の縁を、知ったらしい。締め上げて、チャンバライズに情報を届けようと……」
師匠の呼吸が、少しずつ乱れ始めた。感情が高ぶっている。
体調を思えば黙るべきだが、聞かずにはいられない。
「師匠は、神剣組のことを知ってるのか?」
首を横に振る師匠。
「おれは、義兼先生の血筋が、どこで、なにをしているかは、知らん」
そして、皮肉たっぷりに笑った。
「まあ、あの先生の血筋なら、S-GOOKやチャンバライズども、より、はるかにマシなことを、してるだ、ろうよ」
たしかに、神剣組は悪の組織や人に迷惑をかけるヒーローどもを斬って回っている。この町で昔やらかしたフェアリンなどより、はるかにマシだと、和彦も思う。
神剣組はこれでいいとして、問題はハニーレモンと両親だ。
「師匠。あいつら俺の両親がS-GOOKに逆らったとか、情けなくクビとか言ってたんだが……あと、ハニーレモンって何?」
師匠はしばし目を伏せ、やがて和彦の顔をまっすぐ見つめた。
「……和彦。家に、帰れ。やつらの言葉、お前の過去を知る覚悟が、あるなら、両親に、話を、聞くんだ」
「俺の過去?」
「……お前が池に落ちて、死にかけた、本当の理由」
和彦の身と心が、凍り付く。
師匠が身を震わせ、強い言葉を絞り出す。
「だが忘れるな!情けなくクビになったんじゃない!お前の両親は、最後まで、屈しなかった!だから局を去ったんだ!」
「師匠、そりゃ一体……」
師匠は激しくせきこみつつ、手をぶんぶん振って、帰れ!と繰り返し怒鳴った。
「帰れ!俺の身体は、大丈夫だから!」
「ば、晩飯はどうするんだよ!」
「今日は食う気に、ならんから!いいか、警察や救急車は、絶対に呼ぶなよ!」
訳も分からぬまま、和彦は急ぎ自転車をこぎ家に帰り、事の一部始終を両親に説明する。
そして、両親を問いただした。
「父さんたちがチャンバライズに逆らったとか、俺が池に落ちた本当の理由とか……。いったい昔、何があったんだ?」
父の目に、みるみる涙があふれだす。
そして父は、がばっと床に伏せる。土下座したのだ。
「すまん、和彦!隠していてすまなかった!まさか貴翠山先生にまで迷惑がかかるなんて……!」
「……いろいろ気になるけど、ハニーレモンって何?なんかの暗号?」
母も涙ぐんでいる。
「それは……私のせいなの」
そして両親は、リビングのテーブルに腰掛けると、和彦が池に落ちて死にかけた事故の真相を、語った。
転落事故当初、両親は、
『和彦が珍しい鳥を近くで見ようとして、柵を乗り越えて落ちた』
という証言を信じた。
和彦は病院で昏睡状態にあり、ほかに証言もなかったから、信じるしかなかった。
意識の戻った和彦は、頭を強く打ったせいで記憶があいまいになっていた。1か月の入院生活の後、学校に行けることになったが、
「そとにでたくない。そとはこわいよ……」
そう言って、登校拒否。体と心に、真冬の池に落ちた恐怖が刻み込まれてしまったに違いない。
両親はせめて前向きになってほしい一心で、和彦に映画やドラマのビデオを見せ続けた。
そして、事故から4カ月ほど過ぎた6月。
小学二年生に進級した和彦は登校を再開した。
両親がホッとしたのつかの間。
自宅の留守番電話に、非通知で突然メッセージが吹き込まれたのだ。
『お宅の息子を柵の近くに立たせて、後ろから池に突き飛ばした子たちがいる』
声の主はボイスチェンジャーを使っていて、男か女かわからない。
さらに、メッセージには続きがある。
犯人はとある有名私立学校の中等部の制服を着た、男子たちだ、と。
誰がどういう意図で、メッセージを吹き込んだかはわからない。
だが、本当なら許せない。
両親は、警察に犯人捜しを頼もうとした。
その矢先、二人はS-GOOKの社長ら上層部6人に呼び出され、こう言われた。
「息子を突き飛ばした犯人を捜すな」
と。
到底納得できることではない。両親は上層部を問い詰めた。
だが上層部は駄目だ、の一点張り。
激しい口論の末に、上司の一人が教えてくれた。S-GOOKドラマ部門の制作部長で、両親の上司に当たる男だ。
彼はこう言った。
「和彦君を突き飛ばしたのは、枯城刹修(こじょう・せっしゅう)。レギオン・チャンバライズの枯城瞬勢(こじょう・しゅんぜい)さんの息子だ」
和彦は、息を飲む。
うまく言葉が出てこなくて、口を酸欠の金魚のごとくパクパクさせてしまった。
「ひ、ヒーローの息子が、俺を?てか、枯城刹修も今、ヒーローで俳優じゃないか!なんで俺を!?」
父が悔しげに語る。
「俺もその時まで知らなかった。枯城刹修はヒーローの息子であることを振りかざして、学校で暴れ放題。悪い友達が何人もいる、と」
あの日、公園で一人下校していた和彦を刹修は友人たちとともに、池の側に呼び出した。
「珍しい鳥がいるから、見てごらん」
と。
そして、和彦を池に突き飛ばしたのだ。
「子供を真冬の池に突き飛ばしたらどうなるか、見たかった、と!あいつは父親の瞬勢にそう語ったらしい。こんなことを、枯城刹修はあちこちで繰り返している、というんだ」
当時S-GOOKは、ヒーローで有名俳優である枯城瞬勢を主演にしたスペシャルドラマを企画していた。企画は制作部長主導でひそかに進められており、ほかの社員にはまだ知らされていなかった。
有名人の息子が手の付けられない暴れん坊で、小学生を池に突き飛ばし、死なせかけた。
この当時、S-GOOKはすでにチャンバライズとベッタリ。不祥事が企業の命取りになるのは、今も昔も変わらない。世間にバレたらドラマどころか、S-GOOKとチャンバライズが連帯責任で潰れかねない。
運のいいことに、被害者は同じTV局の一員の息子。
上層部は両親に札束を差し出し、これでなかったことにしろ。警察に行くな、と命令した。
ここまで語り、父は力なくうなだれる。
「金を受け取ったら、死ぬまで上層部とチャンバライズに頭を下げることになる。俺たちは拒否した。息子を殺されかけて、なかったことにしろ。そんなことはできない。枯城刹修の罪を追及させろ。俺たちは何度も言った」
実際、不祥事を起こしたヒーローが警察に捕まり、裁判沙汰になった例がある。
「けど、聞き入れてもらえなくて……。社長を含めた6対2じゃ、どうしようもなかった。チャンバライズとわが局は一蓮托生。お前たちは局の面子(めんつ)とドラマを潰して、大勢の仲間を路頭に迷わすのか、とも……。そう言われたら、決意が揺らいだ。情けない!」
父は涙を流し、テーブルをドン!と叩く。
「部長は札束を持ち出して、俺に渡そうとした。だが、俺は受け取らなかった。絶対に受け取っちゃいけなかった!息子が死にかけたことを、こんなことで解決にはできない!」
金は受け取れない。警察に行くなというなら、あなたたち自身がS-GOOKのためにケジメをつけてほしい。
今すぐチャンバライズと縁を切れ!金輪際、枯城一族をTVに出すな!
父はそう訴えた。
「いつかきっと、同じような事件が起きる。あなたたちの子供が同じ目に遭っても、こうやって金で隠し通して、チャンバライズと仲良くするのか。そう言ったら……部長は平然と言ったよ」
『隠し通して仲良くするさ。相手はマスカレイダーに並ぶヒーローチームの元祖だぞ?チャンバライズをこの一件で活動停止に追い込んだり、こっちから縁を切るような真似をしたら、俺たちは怪物から守ってもらえなくなるかもしれない。何より、局の利益にならないだろう?チャンバライズはスポンサーとしても優秀だ。お前たちの給料だって、チャンバライズのおかげで出ているようなもんだ。わかったら、さっさとこの口止め料を受け取れ!』
とりあえず、和彦は池に落ちた真実を理解する。
だが、ハニーレモンとは何なのか?
母が身を震わせ、教えてくれた。
「部長は、とうとう無理やり札束を握らせようとした。他の重役がお父さんを羽交い絞めにすると、部長はお父さんのズボンに札束を押し込んで……。服の中に口止め料を隠して持ち帰れ、と」
なんて暴力的で馬鹿馬鹿しい口止め料の渡し方。和彦は想像するだけでゾッとする。
一層母は身を震わせ、唇を強くかむ。
「私、我慢できなかった……。部長が机に置いていた、好物のハニーレモンソーダ。あの頃流行ってた、強炭酸でレモン超濃厚のやつ。あれを部長の顔に、バァーッ、とぶちまけて……」
ハニーレモンが目に入り、制作部長は絶叫。目を抑えてのたうち回った。
怒りと混乱で大パニックを起こした社長たちは、札束を何が何でも握らせようと両親に襲い掛かる。
両親は会議室のパイプ椅子を振り回して必死に応戦した。
ガツン、ガツン!社長たちの腹や顔に、椅子が何度もぶつかる。
その間、ハニーレモンを浴びた部長は会議室を抜け出し、部下に救急車を呼ばせた。
やがて救急車に、目が真っ赤に腫れあがった制作部長と、傷だらけになった社長ら重役5人が搬送された。
八十島夫妻は、幸か不幸か軽傷だった。
とうとう和彦は、師匠が言っていた話を理解する。
『お前の両親は、最後まで、屈しなかった!だから局を去ったんだ!』
両親は自分のために、口止め料を拒否し最後まで戦ったのだ。
この一件は、瞬く間にS-GOOK局内のうわさになった。
が、上層部は社員に圧力をかけ、マスコミに絶対ばれないように様々な裏工作を行った。
強炭酸超濃厚ハニーレモンをぶっかけられた部長の両目は真っ赤に腫れあがり、失明寸前かつ全治2か月の入院。社長を含む重役3人は椅子で叩かれ腕やわき腹の骨にヒビが入った。
彼らは怒って両親を訴えようとした。
が、なにせ事情が事情。裁判になったら、事の顛末を世間に明かさねばならない。
最悪の場合、ヒーロー庁がイメージダウン防止のため、騒ぎ立てた者たちを事故に見せかけ、殺すかもしれない。
ヒーロー庁による『邪魔者を事故に見せかけ殺処分』のうわさは、この頃からあった。チャンバライズが『レギオン』創始者であることを考えれば、ヒーロー庁は罰を与えて制裁するより、不祥事を隠した方がヒーロー全体のイメージを守れる、と思うかもしれない。
殺処分を恐れる思いが暗黙のうちに局内で共有されていくのに、長い時間はかからなかった。
上層部も両親も、ほかの社員たちも、お互いに黙りこむ、という選択をとるしかなくなった。
両親も死にたくないし、何より和彦のこの先の人生を、S-GOOKとチャンバライズへの恨みでいっぱいにしたくなかった。
どこからかうわさを嗅ぎつけた週刊スピンドルが自宅へひそかに取材に来たが、両親は拒否。記者を追い返した。
が、人の口に戸は立てられぬ。
うわさを完全に消し去ることなど、神にだってできない。
結果、突き飛ばし事件だけはうわさとして残り続け、
『枯城刹修は、子供を池に突き飛ばして殺した』
と、その後ヒーロー界隈でまことしやかに語り継がれることになる。
ハニーレモン騒動の翌月。
両親はドラマ部門の仕事を仲間たちに引き継ぐと、S-GOOKに辞表を出した。
上層部(全治二か月の部長を除く、社長たち5人)は両親を再び呼び出すと、あからさまな作り笑顔をニコニコと浮かべ、一言。
「退職金をはずむから、仲直りしよう」
口止め料として、大幅に割り増しした退職金入りの封筒を用意した。
父は、これを一切拒否。
「仲直り、だと?何言ってるんだ!」
母は、ハニーレモンをぶっかけた時と同じ勢いで、封筒を社長の顔面に投げつける。
「同じ立場なら、あなたたちはお金を受け取るんですか!」
さらに、転落事件から退職までに支給された給与を、全額返上した。
上層部は、今度は金を無理やり握らせようとはしなかった。
下手なことをしたら、“死人に口なし”をやられるかもしれない。もうお互いに一生、このことは黙っていることにした。
そして両親は、途方に暮れた。
当面の生活費はある。が、問題を起こした自分たちをどこのTV局もやとってくれないだろう。
何より、もう東京で生活したくない。
途方に暮れていると、大学の先輩である乱堂(らんどう)という男がひょっこり電話をかけてきた。
「二人がS-GOOKのバカチンとバトルした、って聞いてさ。俺にも武勇伝聞かせてよ。コーヒーでも飲みながら」
武勇伝にするつもりはないが、もう頼れるのはこの人しかいない。
両親は乱堂に、東京以外でS-GOOKと関わらないところで仕事ができないか、相談することにした。