エトフォルテ防衛戦線ヒデ! 第102話 全部映画のネタにする!

 乱堂は都内の小さな喫茶店に、八十島夫妻を呼び出した。
 両親が店内に入ると、穏やかなリズムのジャズが流れている。客は、つるりとしたスキンヘッドが光る、煙草をふかすやや痩せ気味のスリムな男だけ。
 これが、乱堂だ。
 両親が席に座りコーヒーを注文するなり、乱堂は一言。
 「言いにくいこともあるだろうから、今から一時間は貸し切りにした。マスターは口が堅いから、遠慮せず全部話していい」
 マスターは眼鏡をかけた初老の男で、心得た、と言う風に頷く。両親はこの配慮に感謝した。


 乱堂は、煙草を吸いながら事の顛末に同情を寄せる。
 「まこっちゃん。みーちゃん。災難だったなあ」
 乱堂は大学にいたころから、父・誠をまこっちゃん、母・未来をみーちゃん、と呼び可愛がっていた。
 このころはまだ、喫茶店でも普通に煙草が吸えた。両親は煙草を吸わないが、当時はTV局員も俳優も喫煙者が多く分煙・禁煙の意識が薄かったから、あまり気にしていなかった。
 というか、気にしていたら仕事ができなかった。
 さて、乱堂こと、乱堂エビスはフリーの映像クリエイター。両親とは10歳以上年が離れている。破天荒なヘビースモーカーで、煙草とスキンヘッドがトレードマーク。若いころは空手の大会で優勝したこともある。強烈なCMや奇天烈な短編映画を撮ることで知られる、日本の映像業界における鬼才。
 業界の光の闇も知り尽くし、数々の武勇伝を築いていた。それだけに、あちこちに顔が効く。


 こんな破天荒な鬼才と八十島夫妻が仲良くなったきっかけは、大学時代にさかのぼる。
 映像制作サークルに属していた八十島夫妻(このころは普通に仲の良い、大学二年生の友人同士)は、サークルの先輩である乱堂(7浪して大学に入り、この時点で4回留年していた奇人)と、中華料理店でばったり出くわした。
 当時3人はサークルの先輩・後輩で、それなりに話すくらいの間柄。店が混んでいるから相席することになり、3人で映像制作について楽しく語りながら食事をした。それですっかり、打ち解けた。
 が、最後に勘定を済ませようとしたら、なんと乱堂は財布を忘れていた。
 「わりぃ。まこっちゃん。みーちゃん。俺の分払ってくんない?」
 乱堂は結構な量を食べ、ガブガブ酒を飲んでいた。二人はクレジットカードを持っていなかった。払うには勇気のいる金額だったが、無銭飲食は嫌なので、二人でギリギリ立て替えた。
 翌日、大学で金を返しに来た乱堂は二人に頭を下げ、
 「この恩は死ぬまで忘れない。二人に何かあったら、絶対俺が助けてやる」
 以来何かと世話を焼いてくれた。破天荒な反面、肝心なところで義理堅く憎めない人なのだ。
 一点だけ、絶対に褒められない点があったけれど。


 事の成り行きを聞いた乱堂が、吐き捨てる。
 「ヒーロー庁の戦地撮影受注した俺が言っちゃ、イカンけど。最近バカチン丸出しのヒーローとその取り巻きが多すぎる。S-GOOK上層部とチャンバライズはその筆頭だな」
 この当時、乱堂はとある撮影会社にアドバイザーとして籍を置き、ヒーロー庁の戦地撮影を受注して大成功。撮影用クルーザーを手に入れていた。
 両親が就職先について相談すると、乱堂が言う。
 「東京以外で、S-GOOKやチャンバライズに関わらず仕事できる映像関係の会社がないか、ねえ」
 乱堂はニヤリ、と笑った。
 「まこっちゃん。みーちゃん。千葉県に行け。知り合いの会社が人手不足で、即戦力を求めてる」
 父が尋ねる。
 「千葉の会社ですか」
 「映像工房ASKA(アスカ)。聞いたことあるだろ?」
 両親もその名は知っている。映画やCM、MVの撮影を請け負う有名な会社だ。
 S-GOOKの仕事は引き受けてないから、忌まわしい上層部やチャンバライズと顔を合わせることはない、と乱堂が言う。
 「ASKAの社長、S-GOOKのバカチンと昔ケンカしたんだよ。だからやつらと仕事をしない。その気があるなら、俺が社長に話してやる」
 ありがたいが、S-GOOKから来た者を雇うなんて、社長は認めてくれるだろうか。
 両親が心配を伝えると、乱堂は豪快に笑った。
 「武勇伝を伝えれば、むしろ喜んで仲間にしてくれるさ。俺も紹介状書くから……ゴホ、ゴホ」
 父はせき込んだ乱堂を気遣う。
 「乱堂さん。煙草を控えたほうがいいですよ。会社のアドバイザーしてるんでしょう」
 「全くだ。まあでも、会社のほうは心配ねーよ。うちは少数精鋭で、優秀な男がいるからさあ。もう俺はいなくても……ゴホッ、ゴホ」
 母も心配になり言う。
 「ああ、もう……。本当に、煙草は控えてください」
 「いや。もう控えても意味ねーくらい肺が真っ黒でよ。俺は映像と煙草が恋人だ。映像には悪いが、もうすぐ煙草と心中するわ」
 わはは、と笑った乱堂は、さらに激しくせき込んだ。


 乱堂、と聞いて和彦は舌を巻く。
 「乱堂エビス!?父さんたち知り合いだったんだ!」
 エキセントリックなCMや短編映画をいくつも作って亡くなった鬼才として、和彦は認識している。乱堂エビスの短編映画はバイオレンス色が強く、和彦好みでもあった。
 「なんで教えてくれなかったのさ!」
 父は苦笑い。
 「乱堂さんの作品は子供向けじゃないし……それに、その……」
 母が気まずげに、理由を語る。
 「喫茶店で会った時、乱堂さんかなり体調を悪くしていた。原因は煙草の吸い過ぎ。煙草を吸うとアイデアがモクモク湧いてくるぞ、が口癖で、吸って吸って吸い過ぎて……」
 乱堂は大学在籍中から、クリエイターとして活動し収入を得ていた。収入が増えるにつれ、喫煙癖は爆発的に加速、いや暴走した。
 彼は自宅に世界中から取り寄せた煙草や煙管、ライターを飾り、ついには世界中の煙草を探す旅に出た。中南米に行ったら、葉巻にハマって帰国日を失念。日本に残した仕事が全部キャンセルになってしまい、大騒ぎになった。
 母が、懐かしさと気まずさが入り混じった深い溜息を吐く。
 「憧れた和彦が煙草にはまると嫌だから、隠していたの。いい人だったし作品は面白いけど……。あの暴走全開の喫煙癖は、絶対に認められなかった」
 体調不良で精力的に動けなくなったから、アドバイザーになったのだ。


 さて。
 八十島夫妻は乱堂からの紹介状を携え、映像工房ASKAの社長に会いに行く。
 ASKAの社長は一代で会社を興し、昭和から平成の映像業界を駆け抜けてきた。もうすぐ70歳になろうという社長は、たくましい時代の走者であることを感じさせない丸顔の温和な男性で、まるでパン屋の店主のようだ。
 社長は八十島夫妻の『武勇伝』を静かに聞いた。そして、にっこり微笑む。
 「八十島さん、あなたたちを歓迎します。一緒に頑張りましょう」
 乱堂の言う通り、ASKAは会社総出でS-GOOKを嫌っていた。昔仕事を請け負ったときにパワハラ同然の態度をとられた挙句、社長たちは契約金をもらえず泣き寝入りを強いられた。それから5年近く、絶縁状態。
 社長はS-GOOKの対応を語るうちに、穏やかな顔がみるみる怒りで真っ赤になっていく。
 「本当に乱暴で、誠実さのかけらもない対応でひどい目に遭いました。今でも思い出すと、はらわたが煮えくり返りますよ」
 辞めた身とはいえ、S-GOOKにいた者として申し訳なく思う。
 夫妻の申し訳なさを感じ取ったらしく、社長は頭を下げた。
 「失礼、怒り過ぎましたな。息子さんも気にするでしょうから、『武勇伝』は私の胸の中にしまっておきます」
 社長は他の社員たちに、
 「八十島さんは、S-GOOKでひどい目に遭ってここに転職した」
 とだけ伝えた。みんな深く詮索せず、夫妻を温かく迎えてくれた。


 次は住居だ。父は、兄の幸太(和彦の叔父)に相談した。
 この頃すでに、兄は民謡研究家の妻、節子の実家がある千葉県風海町で、カラオケスナックを経営していた。
 兄は協力を申し出た。
 「誠。風海町で暮らせ。海と緑が綺麗な街だ。和くんの成長にもいいだろう。節子の実家が不動産屋だから、いい家がないか聞いてやる。風海町はASKAの最寄り駅まで高速バスが出ているから、通勤にも不自由しない」
 さらに教えてくれた。
 「殺陣師で舞踊家の貴翠山刀志先生が、引退して風海町にいるんだ。和くんにその気があるなら、剣舞や演技指導を学ばせるといい。きっと将来の力になるぞ」
 世話になる手前、両親は貴翠山に事情を説明していた。


 幸運なことに、不動産屋がすぐに中古の一軒家を見つけてきた。これまで両親が集めてきた映像作品や教本などを閉まっておける、大きな部屋もある。
 両親は購入を決定。季節は秋。和彦が池に落ちてから、すでに9ヶ月が経過していた。
 やがて気温が下がり始め、忌まわしい冬がやってくる。
 和彦は寒さに耐えつつ頑張って学校に通いながら、家ではずっと映画やドラマのビデオを見ていた。池に落ちたショックに、なんとか打ち勝とうと必死だった。
 そして、12月。
 二学期の終業式の翌日、八十島家は東京を後にし、風海町に引っ越した。
 引っ越しを後押ししてくれた乱堂エビスが亡くなったのは、その直後。
 心中発言の通り、死因は煙草の吸い過ぎによる肺病だった。


 和彦は、両親の過去に思いを馳せた。
 父が再び頭を下げる。
 「和彦。辛いことを思い出させた」
 「父さん。俺は正直、突き飛ばされたことは今でも思い出せない。それ以上に、ハニーレモンが強烈すぎて……すげーな母さん、としか言えない」
 実際のところ、ヒデの祖母の死より前から自分の人生がヒーローの闇と関係していたことに、和彦は驚きすぎて、それ以上何も言えなかったのだ。
 母は力なく笑う。
 「あれはアウトだった。本当に失明させていたらと思うと、ゾッとする。でも、何もしないという選択肢は、なかったな」
 部長の目を失明寸前に追い込んだ強炭酸超濃厚ハニーレモンソーダは、事件から間もなく、突如販売を終了した。八十島夫妻のせいかは、わからない。


 なお、部長はその後昇進。今はS-GOOKの社長だと、両親は教えてくれた。
 和彦は社長の名前を思い出してみる。映像業界を志す者として、日本のTV局の基本情報は頭に叩き込んである。
 「たしか、伊久佐部(いくさべ)社長だったか」
 父が頷く。
 「そうだ。伊久佐部さんはその後もチャンバライズと仲良くし続けて、今や民放最大勢力の旗頭」
 父が大きなため息をつく。
 「……うちに匿名の電話をかけてきたのは、伊久佐部さんと仲の悪い局の誰か、だったのかもしれない。伊久佐部さんはあのころからチャンバライズをゴリ押ししていた。上層部に気に入られて、ドラマだけじゃなくバラエティや音楽番組の構成にまで口出し。嫌っている人は、多かっただろう」
 和彦は、伊久佐部がここまでチャンバライズを擁護する気持ちが理解できない。
 昔この目で見た『どらさん』の食い逃げ脅迫男には
 『相手を脅して無銭飲食するのが好きだから』
 という理由があった。異常極まりないが彼なりの理由であり、喜びを見出す価値がある行い、だったのだろう。
 理由。喜び。価値。
 和彦は疑問を口にする。
 「局のため金のためなら、もっと安全なやり方があるはず。伊久佐部社長がチャンバライズにガッツリ肩入れしたのには、他にも理由がある?自分の喜びになるような……」
 母は、理由があった、と言う。
 「伊久佐部さんは、チャンバライズの血縁者の女性と交際してた。そして、結婚した。肩入れした最大の理由はそれね」
 「結婚!?」
 「交際していたことは、私たちも全く知らなかった。やめてしばらくした後、こっそり教えてくれた人がいたの。結婚もした、って」
 母がさらに付け加える。
 「チャンバライズの血を得ることで、自分はもっと強くなれる。周りにそう自慢していたそうよ」
 「血を得て強くなるって……。吸血鬼じゃあるまいし」
 和彦の呆れに同意する父。
 「チャンバライズの威光を自分も得た、という意味だろう」
 映画に出てくる吸血鬼のほうが、はるかにクールで味のあるセリフを言う。
 和彦には、伊久佐部の言動が三下、あるいは雑魚にしか思えない。自分の得た威光を守るために、手段を選ばず他人を傷つけることもいとわない。映画じゃ絶対ロクな目に合わないやつだ。
 チャンバライズと神剣組が敵対している。伊久佐部は神剣組にゆかりのある人間を問い詰めて情報をつかみ、妻の本家であるチャンバライズのご機嫌を取ろうとしたのだろう。どうやって師匠と義兼氏の関係性を知ったかは、わからないが。
 師匠の家にやってきた3人の内、ホクロ男には心当たりがある、と母は言う。
 「腰木(こしぎ)さんかもしれない。伊久佐部さん直属の部下で……、その、パシリみたいなことばっかりやってた」
 伊久佐部がハニーレモンを浴びた直後、救急車を呼んだのも腰木だという。
 和彦は吐き捨てる。
 「いい歳の大人が、パシリで老人イジメ!師匠は何も知らなかったのに!」
 父も憤る。
 「先生はずっと昔に、神剣組メンバーの親類から剣術を教わっただけ。組織の内情なんて知らなくて当然。神剣組だって、今更先生に連絡を取らないだろう。伊久佐部さんも腰木さんも、馬鹿だ!」
 和彦はその意味をよくよく考え、大いに驚く。
 「あれ?つまり俺が教わった師匠の剣舞や映像論には、神剣組のメソッドがたっぷり含まれてる、ってことか!」
 そう思うと、先ほどまでの混乱と怒りを忘れて興奮してしまう。
 母親が釘をさす。
 「気持ちはわかるけどそれ、絶対ほかの人に言っちゃだめよ」
 和彦はますます師匠が誇らしくてたまらない。
 そしてそれ以上に、師匠との別れが近づいていることが、たまらなく辛かった。


 その年の暮れ。
 師匠の体調はさらに悪化し、町内の総合病院に入院。三ヶ月もつかどうか、と八十島家に医者は告げた。
 師匠は入院前、
 「絶対にS-GOOKが来たことを、警察やマスコミに通報するな」
 と、八十島家に厳命した。
 「下手に騒ぐと、今度はチャンバライズやヒーロー庁が動き出す。おれもお前たちも、神剣組のことは何も知らない、S-GOOKは来なかった、ということで済ませろ。他の人を危険に巻き込むかも、しれないから」
だから和彦は、八十島家の過去と一連の出来事を、誰にも言わなかった。
いや。誰にも言えなかったのだ。


 八十島家は交代で、毎日師匠を見舞に行った。
 入院から一ヶ月後。
 ひとりで見舞に行った和彦は、病室で憤る。
 「師匠が寝込んでいるところにS-GOOKが押しかけたから、こうなったんだ」
 師匠は静かに笑った。
 「寿命だよ、寿命。あの馬鹿どもが来なくても、こうなっていたさ。和彦。辛気臭い顔してないで、酒買ってきてくれ」
 「ドクターストップ忘れたのか?」
 「もうじき死ぬから、その前に酒が飲みたいんだよ」
 「……師匠。病院で酒は無理だ」
 和彦は力なく首を横に振る。師匠の体調とこれからを思うと、酒を買う気にも笑う気にもなれない。
 「そこの消毒用アルコール。味がないから酔えてもつまらん。本当の酒を飲んで死にたい」
 和彦はぎょっとして、備え付けの消毒用アルコールのポンプを見る。
 昨日見舞に来た時より、減りが大きい気がする……。
 「飲んだのか!?」
 「いやあ、味がないとあんなにまずいもんだとは……」
 「師匠!あんたドクターストップを破って!
 「冗談、冗談。いくら酒好きでも、あれは飲む気にならん」
 「本当に?」
 「本当だ」
 「良かったあ……」
 「わははは。だまされたな!」
 いたずらっ子みたいな師匠の笑顔に、ようやく和彦も笑うことができた。
 「和彦。お前もうすぐ留学だろ。早く帰って準備しろ」
 「師匠が心配なんだ」
 「心配してもしなくても、おれはもうじき死ぬ。だったらお前は、お前のために時間を使え」
 「し、死ぬとか何度も言わないでくれよ……」
 「いいから黙って聞け」
 ぴしゃり、と反論を封じて、師匠は続ける。
 「和彦。アメリカは映画の最先端を行く国だ。いろんな奴が映画を学びに来る。一緒に学んで、成長しろ。そして面白い映画を作れ。客を虜(とりこ)にしろ。間違っても、映画論と称して他の映画けなして金稼ぐような真似、するなよ。お前は映画監督になるのであって、批評家、文句屋じゃないんだから」
 そして、これを忘れるな、と師匠は念押しした。
 「映画でも実戦でも、戦うなら徹底的に、本気でやることだ。お前の両親は、本気で服従を拒否して戦った。退職金を一切受け取らない。給料を返上する、という本気を見せた。S-GOOKの馬鹿どもは勝ったつもりかもしれんが、本当の勝者は両親だ。わかるな」
 「わかる」
 「義兼先生はおれに教えてくれた。戦いにもっとも必要なものを。斬ると決めたら、斬る気持ち。つまり本気だ。人生と言う戦場の中では、己の絶対に譲れない強い気持ち、本気が、もっとも必要なのだ。お前も本気でやれ。本気が人を引き寄せて、突き動かして、つながっていく。その気持ちが、みんなの未来を斬り開くのだ」


 師匠は遠い目をして、病室の窓を見つめる。
 もう二月だ。窓の外には梅の木が見える。あと二、三週間で少しずつ咲き始めるだろう。
 「義兼先生の道場の庭にも、梅の木があったなあ……」
 遠い視線の先で、師匠は昔を思い出しているようだ。
 やがて、穏やかな微笑を浮かべる。
 「和彦。おれは義兼先生から剣を学んで、本当に良かったと思ってる。先生のもとで三年間学んだ剣が、俺の殺陣(たて)を、人生を、強く彩ってくれた。今まで国やヒーローのことは、言ったところでどうにもならんし、酒がまずくなると思って、言わなかった。が……。あの先生の血筋のすることなら、きっと間違いじゃない」
 「師匠の言葉なら、信じられるよ」
 「ありがとうよ。お前に政治活動しろとは言わん。だが神剣組を、信じてやってくれ」
 「……わかったよ」
 師匠が、今までにない優しいまなざしで、和彦を見つめる。
 「おれは子供を残せなかったが、最後にいい弟子を、映画を愛する年若い同志を得た。紅葉酒を一緒に飲めなかったことだけが心残りだが……、お前に自分が学んだことを、全部伝えられた。今度はお前が、伝えていけ」
 最後、と聞いた瞬間、和彦は泣き出していた。
 「泣くな、和彦」
 「だって、だって……」
 この先に起きることを考えると、和彦は何も言えず、ひどく幼くなった気持ちで泣くことしかできなかった。
 「泣くな。お前の本気が、いつか他の誰かの人生を彩っていく。おれはあの世で見ているからな。いつまでも泣いてないで、ちゃんと本気で映画を作れ。さぼるんじゃないぞ」
 「……うん……」
 「泣くな、泣くな……」
 そう言って和彦の肩を叩く師匠も、泣いていた。


 やがて満開の梅の花が咲き誇る中、貴翠山刀志、本名緑山里志(みどりやま・さとし)はこの世を去った。享年94歳。
 S-GOOK社員は、結局来なかった。


 日本映画、そして時代劇を支えてきた殺陣師の葬儀は、芸能関係者には告知されなかった。
 亡くなる直前、八十島家が師匠にこう頼まれたのだ。
 「引退して20年近く。同じ時代を生きた映画仲間はみんなあの世に逝ってしまった。告知を理由に、S-GOOKが来るのも困る。最期まで迷惑をかけるが、葬儀はお前たちで静かに、小さくやってくれ」
 八十島家が喪主となり風海町で行われた葬儀当日。
 ヒデ、トミー、イッチ、オタキ。映画研究部で知り合った仲間たち。剣舞道場に通っていたおじいさん・おばあさんとその家族が集まった。
 想定以上に多くの人が集まったので、八十島家は驚いた。斎場に集まった弔問客は、八十島家に師匠との思い出を沢山語ってくれた。
 師匠のおかげで舞踊という趣味ができた。人生にやりがいができた。剣舞道場にいた人たちには亡くなった人もいるが、家族たちはみんな師匠に感謝していた。
 ヒデたちが師匠と顔を合わせたのは、立ち回りの稽古で2、3回くらい。指導は厳しかったが、それでも楽しかった、とみんな口々に言う。
 ヒデが思い出を締めくくる。
 「貴翠山先生は、僕らにとっても先生だ。先生がいなきゃあんなに白熱する、絶対に忘れられない映画研究部は無かった」
 師匠の指導が、みんなの人生を彩る幸せな原動力になった。
 和彦は泣きながら、ヒデたちに礼を言った。

 
 師匠の財産は事前の取り決めどおり、八十島家が引き継いだ。家は当面、きちんと掃除して保存することとした。
 葬儀を終えて間もなく、和彦は両親とヒデ、映画研究部の仲間たちに見送られて、アメリカ留学に旅立った。


 神剣組がチャンバライズとヒーロー庁による総攻撃で壊滅したのは、留学の翌年のことである。
 アメリカでも大きく報道され、和彦は一人暮らしのアパートで泣いた。
 やがて、義兼威蔵ほか幹部の生き残りが指名手配された。
 ネットニュースでも公開され、和彦はついに、師匠が信じた義兼家の血筋の顔をスマホで見た。
 アパートで、威蔵の顔に感嘆する和彦。
 「時代劇の主役にしたくなるような顔じゃあねーか!」
 畜生!できることなら、別の形で会いたかった!
 師匠もきっと、あの世でそう思っているだろう。


 そして今。
 日本に帰国して、6日後。
 和彦は師匠の墓参りのため、風海町にある墓地へ両親とともにやってきた。
 ここしばらく雨はなく、容赦ない暑さのせいで墓地周辺の草むらは枯れきっている。地面から這い出したミミズが、何匹も干からびていた。
 師匠の墓石をきれいに掃除し、両親とともに線香を上げる。
 墓前で手を合わせ、和彦は心の中でそっと呟く。


 師匠。申し訳ないが、しばらく映画作りは休む。
 師匠。俺の得たバトルの知識は、もとはといえばあなたから始まったものだ。あなたの教えがなければ、俺はここまで学ばなかった。ヒデだって、きっと……。
 それにしても、あいつが宇宙人を守る軍師になるとは、想像できなかった。しかも日本のヒーローを相手に。
 いずれ、俺たちと因縁深いレギオン・チャンバライズと戦うかもしれないな。


 いずれくるかもしれないその時を思い描いた時、和彦はすさまじく攻撃的な笑顔を浮かべていた。
 何も知らない人が見たら、夏の暑さの中でぞぉっ、とするほど、攻撃的な笑顔を。


 師匠。俺は俺なりのやり方で、ヒデの戦いを助け最後まで見届ける。
 あいつにバトルを仕込んだ俺には、その責任がある。
 何より……映画監督として、マジのバトルを見届けたいという好奇心が止まらねえ!
 みんなの人生をおかしくしたヒーローどもと戦うヒデ。
 仲間は宇宙獣人に異世界人と来た!最高だ!痛快だ!
 こんな映画みたいな展開を目の当たりにして何もしないなんて、映画監督失格! なにより画(え)にならないってもんだ!
 なあ師匠!どうかあの世で見守ってくれ!
 俺は行く。マジのバトルを見届けに!
 見届けた暁には、全部映画のネタにする!

 

 前の話     次の話