エトフォルテ防衛戦線ヒデ! 第58話 決戦前夜(前編)

 夜8時30分。
 クリスティア王国南沖に浮かんでいるエトフォルテでは、留守を預かるタイガ、ジャンヌ、モルル、ハウナ、リーゴ、マティウスが、会議室に集合していた。
 彼らはヒデとドラクロー、そしてリルラピス王女から、明日の決戦について通信を受けていた。
 そして、久見月巴のドーピング失格の裏側を調べてほしい、という依頼も。
 通信を終え、彼らは明日のことを話し合うことにした。礼仙兄妹の妹、翼が会議室の扉をノックし、入室する。
 「お茶とお菓子を、持って、きました」
 タイガたちは礼を言い、お茶とお菓子を受け取る。
 お菓子は船内で栽培している木の実を炒ったもの。タイガたちが子供のころから食べていたものだ。木の実自体にほのかな甘みがあり、炒るだけで素朴な味わいになる。これ日本でも売れそうだわ、とマティウスは言い、美味しそうに食べている。
 明日以降の準備について、ジャンヌが言う。
 「万が一増援が必要な時は、私が部隊を連れていく」
 すでに団員の選出と必要な物資の準備は終わっている。リルラピスは、エトフォルテの負担になって申し訳ない、とさきほど通信モニターの向こうで頭を下げていたが、タイガは気にしていない。
 「ブロンやユメカムのしていることは、シャンガインたちがしたことと一緒だよ。許しちゃおけない」
 ジャンヌも同意、リルラピスに言った。
 「そうよ王女様。私たちの団長であるドラクローが、一緒に戦うって決めたんだから。いざってときは、私たちも頼って」

 気になるのは、例の破壊神。採掘場の下で、封印を破ろうとしているらしい。
 破られる前にリルラピスたちが決着をつけるのが一番だが。最悪の場合、300メートルの怪物が地面を突き破って現れることになる。
 考えるだけでも恐ろしいことだが、出てくると決まったわけではない。なんとなく、あとで考えればいいかも、という考えがタイガの脳裏をかすめる。
 それを見透かしたように、ジャンヌが言う。
 「タイガ。これを後回しにしたら、私絶対ろくなことにならない気がする」
 その通り、とマティウスが同意する。
 「夏休みの宿題と一緒。いやなことは後回しにすると、絶対涙を見るのよ」
 夏休みの宿題、というたとえがよくわからないが(お茶くみで会議室にいる翼はわかったようで、うんうん、と頷いている)、タイガたちは検討しておくことにした。
 破壊神を本当に相手にするなら、エトフォルテの船首に取り付けられた主砲を使うことも考えねばならない。 
 エネルギー自体はチャージ済みで、いつでも撃てる。が、普通に撃てば主砲はクリスティアの陸地を焼き払う。間違いなく、クリスティア人を死なせてしまう。
 エトフォルテ船体の整備を担当する技術主任のリーゴが、いかつい表情を崩さずに言う。
 「破壊神の実態はわからないが……。もし敵がエトフォルテの正面に来たなら、陸地を巻き込まずに撃つ方法が、今ならある」
 船体と周囲の重力を操作する『重力制御装置(グラビート)』を使う方法だという。
 「エトフォルテより大きな物体との衝突を避けるために、重力制御装置は船体以外の物の重力も、制御範囲を設定することで操作できる」
 これは、今エトフォルテにいる全員が知っている。
 「重力制御装置で破壊神を持ち上げ、エトフォルテの船体も破壊神に向けて持ち上げる。そして主砲を撃つ。陸地を巻き込まない角度で主砲を撃つ、という方法が使える」
 おお、と出席者が歓声を上げる。
 これなら大丈夫だ、とタイガが思ったのもつかの間、リーゴがさらに厳しい顔で言う。
 「ただし、正面に来た破壊神を重力制御装置で持ち上げられ、なおかつ主砲で破壊神が殺せれば、の話だ。破壊神にエトフォルテの背後に回られたら、対処の仕様がない。重力制御装置で持ち上げられなければ、そのまま撃つしかない。破壊神が主砲の威力に耐えたら、おしまいだ」
 一応、主砲はエトフォルテの倍以上大きな隕石も壊せる想定で作ってあり、発射経験もある。が、異世界の破壊神なんてのものに撃ったことはない。
 会議の出席者に、不安が増していく。現地にいるドラクローとリルラピスたちが、何とかしてくれるとよいのだが。
 不安を打ち消すように、おかみさんことハウナが笑顔で手を叩く。
 「とりあえず、主砲を安全に撃てそうだとわかった、ってことでいいじゃない。そのやり方でいざという時は撃てるよう、準備しときましょ、主任」
 「楽天的過ぎやしないか、お前は」
 リーゴが渋い顔を崩さずに言う。ハウナは気にしない。
 「孝洋が言ってたわよ。『玉を飛ばすときの感情は、ちゃんと前向きであれ』みたいなこと。主砲は前にしか玉を飛ばせないんだから。私たちも前向きにやっちゃったほうがいいわよ」
 リーゴは苦笑い。
 「主砲で撃つのは光線で、玉ではないんだが……。まあいい。前向きにやろう」

 そして、エトフォルテに残った者が任された新たな仕事。ジャンヌが読み上げる。
 「フェアリン・マイティこと久見月巴が、4年前に受けたドーピング検査の裏側を調べてほしい、か。マティウスはドーピングについて、何かわかる?」
 マティウスが困り顔になる。
 「私は武装関連の知識はあるけど、スポーツはからっきし。せめてヒデかまきちゃんがここにいれば、よかったんだけど」
 ヒデは、軍師としての師匠である和彦が格闘技をしていた、と話していた。その辺の事情にもきっと詳しい。医者のまきなは薬の専門家でもある。残念ながら、二人ともクリスティアだ。
 タイガはぼやいた
 「ほかにドーピングに詳しいやつ、いないかなあ」
 そういえば孝洋は、サッカーというスポーツをやっていた。検査がスポーツにつきものなら、孝洋も何か知っているかもしれなかった。が、ここにはいない。
 アドバイスしてくれる人間がいない状態で、ネットを検索しても到底調べられそうにない。ユメカムも、捏造の証拠なんて4年前に処分しているだろう。
 こんな状況で調べられるのか。巴の事情を思えば、タイガもなんとかしてやりたかった(違約金で脅されてヒーローを無理やりやらされるなんて、あんまりだ)。が、このままでは調査を始めることもできない。
 「あ……あの……」
 部屋の隅で待機している翼が、おずおずと手を上げる。
 「……やっぱり、いいです」
 だが、手を下げてしまった。
 母親に成りすました悪女にいじわるされたせいで、翼はうまく言葉が話せず、引っ込み思案になってしまった。
 でも彼女は頑張り屋で、十二兵団の仕事を兄と一緒に毎日手伝ってくれている。絶対に、適当なことはしないし言わない子だと、タイガは知っている。
 だから、タイガは尋ねた。
 「言いたいこと、最後まで言ってくれ。オレ、お前の話を聞きたい」
 翼が、意を決した表情になる。
 「ど、どこまで力になるか、わかんないけど……。お兄ちゃんが、ド、ドーピングに詳しい、かも……」
 タイガは驚く。
 「マジで?」


 別の場所で仕事をしていた兄の時雨を、翼が会議室に連れてきた。
 時雨は事の成り行きに驚きながらも、自分が力になれるなら、と説明を始めた。
 「ぼくたちの両親は製薬会社に勤めてました。子供が超薬に手を出す可能性もあるので、啓発冊子を読むように言われたんです」
 時雨は両親のように、将来製薬会社に勤めることも考えていたから、薬に関する情報は意識して覚えるようにしていた。また、彼の所属していた少年野球チームでは、夏休みになるとドーピングや超薬の注意喚起動画を見る勉強会があったという。
 時雨によると、日本でスポーツ選手向けに行われるドーピング検査は、こんな感じで行われる。
 1回目の検査を試合の10日前から二週間前に行い、さらに試合当日に会場で2回目をやる。違反薬物を日常的に摂取していないか、を1回目で確認。試合当日の2回目に、即効性のある違反薬物を摂取していないか確認する仕組みだ。
 試合会場では、違法薬物の持ち込みがないか持ち物検査もある。もし持ち込みがバレれば、即座に失格。チーム競技なら、連帯責任で全員1年間の公式戦出場停止となる。一連の検査は、大人だけでなく子供が参加する大会でも同様で、罰則も大人と同じように適用される。
 時雨自身、とある大会で一連のドーピング検査を受けた。もっとも、彼自身野球の腕前はイマイチでレギュラーではなかったのだが、チームメイト全員がやるように言われた。試合当日は応援席で応援するだけだったが、
 『チームの関係者が薬を持ち込んで、選手に渡した事例があるから』
 と言われ、持ち物検査も受けた。


 ジャンヌが呟く。
 「子供の大会でも、結構厳しくやるのね」
 時雨が暗い顔になる。
 「子供が超薬を飲んで、死んでしまった例もあるんです」
 子供が超薬に関わる事例として一番多いのが、スポーツ大会でのドーピングだという。いい結果を出したい、という気持ちにつけこんで、売人たちはあの手この手で子供を誘惑するのだ。
 ハウナが憤る。
 「超薬を売る奴、ぶん投げてやりたいわ!!」
 さらに時雨が説明する。
 「ドーピング検査の結果を、捏造をする業者がいるそうです」
 違法薬物常習者が検査を乗り切るために、あるいはライバルを検査で蹴落とすために、闇業者に大金を払って検査結果捏造を依頼するという。啓発冊子は、業者のことも警告していた。
 リーゴが険しい顔になる。
 「そんな情報まで啓発冊子に載るとは……。実例が少なくない、ということか」
 マティウスが悲しげに言う。
 「本当に、恥ずかしいことだわ」
 会議室に集まった者たちは、超薬がもたらす悲劇とどす黒い実情に、沈痛な表情を浮かべた。

 タイガはお茶を一口飲んでから、考えてみる。
 ヒデが少し前に話していた。自分は軍師として物事を考えるとき、相手(敵)が求める理想的な結末を想像する。それを阻止するために、自分がとるべき戦略を考えるようにしている、と。
 同じように考えてみよう。
 巴のドーピング検査が捏造で、ユメカムが裏で関わっていたなら。当然ユメカムは世間にばれないように動くだろう。
 タイガはユメカムにとっての“理想的な結末”を口にする。
 「ユメカムが直接検査結果をいじるより、捏造に慣れた業者に任せたほうがバレないだろうな」
 業者もその道の達人なら、あちこちで依頼を受けるだろう。
 となると、
 「もっと儲けたい、と思って、ジャークチェインに登録して広告を出すかもしれない」
 最初に同志採用面接試験をやったとき、ジャークチェインには怪しい広告が満載だった。怪しいアイテムのオークションや、戦闘用改造人間を作る手術など。あの中に、ドーピング検査捏造業者の広告が載っていても、おかしくない。
 モルルが頷く。
 「タイガの言う通り、可能性は高い。あとで私が技の部の情報解析員に、ジャークチェインをチェックするよう手配します。案外、“実績”を自慢する業者もいるかもしれません。4年間の実績を公表している業者を絞り込めるかも」
 マティウスが微笑む。
 「業者を突き止められれば、なんとかなる。礼仙兄妹、偉い!!」
 翼が困った顔になる。
 「わ、わたし、お兄ちゃんが詳しい、って言っただけで……えらいのは、お兄ちゃんです」
 「それを私たちに教えてくれたのは、あなた。あなただって偉い!!」
 マティウスの再評価に、タイガたちも笑顔で頷く。
 やっと微笑む翼。
 「ありがとう、ございます」
 口調にぎこちなさは残るけど、とてもうれしそうな笑顔を、翼は見せた。



 

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