エトフォルテ防衛戦線ヒデ! 第53話 人の心に限界無し。ゆえに魔術に終わり無し。

 クリスティア魔術師心得第一条。
 魔術は心で放つものなり。魔力は心の力なり。人の心に限界無し。ゆえに魔術に終わり無し。
 
 
 この言葉を、リルラピスは子供のころからずっと、聞かされてきた。
 魔術はこの国を支える重要なもので、日常生活、軍事、医療など、ありとあらゆるものに関わっている。日常生活の範疇を超える専門的な魔術を学ぶ最高機関が、首都ティアーズにある国立魔術学院だ。
 10歳になったリルラピスは、2か月後に学院へ入学する。
 バルテス国王とサフィーア王妃の長子として。いずれ王になる子供として。
 リルラピスは、周囲の入学祝ムードとは裏腹に、暗い気持ちが日に日に増していた。


 リルラピスの不安は頂点に達していた。とうとう耐え切れなくなって、ある夜城内にある母サフィーアの部屋にひそかに相談しに行った。できれば父バルテスにも聞いてほしかったが、仕事の都合で父はこの日城外に視察旅行に出ていた。
 リルラピスは母が好きだった。優しいし、何より自分の紫の髪は、母譲り。母の髪の美しさは歴代の王室において1,2を争うと言われていた。
 リルラピスは母に不安を打ち明ける。
 「……剣の稽古はアミルに勝てないし、弓ではウィリアムに勝てない。私、二人より駄目なのかもしれない。学院には二人より強い子がいるかもしれない。母上。私、魔術学院で、やっていけるかなあ」
 叔父ブロンの子であるアミルと、王室の親戚にあたるナースノー家の子ウィリアムは自分より1歳下で、翌年には入学する。
 王になる自分は一通りの武芸を覚えねばならず、彼らに対してお手本でなければならない。アミルは、叔父よりは叔母に似た優しい顔の美少年だが、剣技の腕は父譲り。ウィリアムは弓術士・狩人の家系だから、弓だけでなくナイフの扱いも覚えている。
 母は優しく言う。
 「剣や弓は、生まれ持った才も関わる。王様だから何もかも完璧にやる必要はないの。剣が得意ではない王様も、過去にはいたわ。あなたは、魔術、そう、水の魔術の扱いには特に優れているわ」
 水の魔術の扱いについては、ちょっとだけリルラピスも自信があった。級外の初期魔術しか教わっていないが、水の魔術については伸びが良い、と魔術の先生に褒められた。
 水の魔術は攻撃以上に、治療用魔術としての側面が強い。この国の魔術の根源にして、人助けの基礎が学べる優しい魔術。リルラピスは水の魔術が一番好きだった。
 でも。
 「学院には、私より魔術がうまい子もきっと、ううん。絶対いるよね……」
 実際、いる。王室御用達の魔術機構師であるフェイスフル家のご令嬢、エイルだ。リルラピスは直接会ったことはない。が、すでに学院に入学していて、得意属性は全部と言い切る天才肌。いずれ特級魔術師免許取得間違いなし、と言われている。
 母もそれを察したらしい。
 「ほら、そこは心でカバー!魔術師心得にもあるでしょう。第一条を言ってみて」
 「魔術は心で放つものなり。魔力は心の力なり。人の心に限界無し。ゆえに魔術に終わり無し」
 復唱したはいいものの、今の自分には響かない。
 「頑張っても頑張っても、強くなれる気がしないよう。お勉強でも、パッさん、いろいろ言ってくるし……」
 『パッさん』とは、王室の教育係であるパズート・イパンシーショのことである。魔術学院入学に備え、この1年彼の指導は厳しかった。指導内容はこの国の歴史や、政治、経済、軍事の基礎である。
 普通の子供なら絶対に学ばない内容だが、魔術学院には王室関係者が受講する政治、経済、軍事の特別授業がある。
 「王室および王室に連なる親族の子が、政治経済わかりません、軍事知りません、では困るのです。特に王の長子であるリルラピス様は、今から絶対に覚えておかないといけませんよ」
 と、パズートに何度も言われた。
 大切なのはわかるけど、最近勉強が辛くなってきた。小言も多いし。
 今は大変。この先は不安。限界だった。
 「母上。もう、やだよう……」
 10歳のリルラピスはとうとう泣き出した。

 母はぎゅっとリルラピスを抱きしめる。
 母の体は、温かかった。リルラピスは少しだけ、ほっとした。
 しばらくして、母は娘の目に浮かぶ涙をそっと拭い、言った。
 「パッさんはね、見込みがある人を心配して、ついいろいろ言いがちなのよ」
 「……そうなの?」
 「そうなの。ちょっとうるさすぎるところはあるけど、あなたのことを心配している裏返しよ」
 「……ほんと?」
 「本当よ。パッさんのお父さん、つまり王様の教育係だった人も、あんな感じだった。見込みのある人を成長させようと、小言が多くなるのね。私もずいぶん厳しく言われたけど……。言ってることはあとでためになるのよ」
 「ほんとかなあ……」
 「本当よ。信じて」
 苦笑いする母を信じて、リルラピスはパズートの小言は我慢することにした。とりあえず。
 ちなみに、”パッさん”と最初に呼んだのは父バルテスである。若いころ、親愛の情を込めてパズートをこう呼んだらしい。王室関係者の間では、このパッさん呼びがひそかに定着していた。公の場では呼ばないで!と、パズートはよく言っている。

 眠気を妨げない、優しい香りのハーブティーを母が入れてくれた。
 リルラピスはハーブティーを飲み、呟く。
 「どうしたら、みんなみたいに勝てるかなあ。強くなれるかなあ」
 テーブルに向かい合うサフィーアは、リルラピスのほっぺたを指先で軽く突く。
 そして、微笑んだ。
 「では、この母が強くなれる秘訣を教えましょう」
 「ほんと!?」
 「本当よ。秘訣はね。武力で勝てなくても、負けない強さを身に付ければいいの」
 母の言っていることが、よくわからなかった。
 「負けない強さ?勝つための強さじゃないの?」
 「敵を打ち負かして勝つ強さも大事。だけど、誰もみな毎回勝てるわけじゃない。大切なのは、負けてもあきらめないこと。自分にできることを見つけること。そして、できることを精一杯、あきらめずにやっていくこと」
 「それで次に、絶対勝てる?」
 絶対、ではないけれどと、母は苦笑い。
 「あきらめずに頑張ることが、必ず自分の力になると私は信じてる。王様もきっと」
 ほんとかなあ、と、リルラピスは疑う。
 母は言う。
 「本当よ。王様だって、武芸の腕はブロン様にかなわない。それ以外のところで、負けない強さを持っている」
 「そうなの?なら母上。父上の『負けない強さ』は、どんなところ?」
 「王様の強さは、いろんな人のお話を聞いて、みんなと一緒に問題を解決しようとするところ。そして、ちょっとやそっとでは諦めないところよ。何でも挑戦してみるところが、面白くて好き」
 「面白いんだ」
 「ほら、この前完成した魔術機構で動く蒸気機関車。王様が魔術機構師のみんなと一緒に5年以上考えて、やっと完成したのよ。毎日カラクリまみれ、油まみれになって、楽しそうにみんなと頑張ってた」
 「すご~い!!」
 実際、すごかった。白い煙を吐いて、ものすごい力を出す蒸気機関車。これで何百人でも遠くに行けるようになるぞ。父はそう言って、子供の様に喜んでいた。
 「あ、でもお風呂に入らず油まみれのまま帰ってきて、床をベタベタにしたときは本気で怒っちゃったけど」
 「かっこわる~い……」
 言われてみれば、父は叔父ブロンのように武芸に励むよりも、大臣や街の人たちと一緒に駆け回って、何かしらの問題解決を頑張っている印象が強かった。
 とはいえ、それは父が戦えない、ということにはならない。戦闘用魔術の訓練で、聖杖(せいじょう)クリスティアロッドとともに放たれる父の魔術のすさまじさを、リルラピスは目にしている。精神力を無限の魔力に変える聖杖は、五属性の魔術すべてを強化する。
 「誰かの笑顔のために、皆の言葉に耳を傾け、皆と頑張る。そんな強さを、王様は持っている。それが戦いの場でも、力になる」
 母はリルラピスの目をまっすぐに見つめ、語りかける。
 「頑張るのは大変なことだけど、頑張らなければ何も始まらない。何も変わらない。リルラピス。精一杯、あなたの可能性を信じて、頑張って。必ず、あなただけの負けない強さが生まれるから。この母の笑顔が、約束します」
 最後には母は、にっこりと笑った。


 2年後。
 魔術学院での厳しい授業をこなし、リルラピスの魔術の腕は格段に上がった。
 単に授業を頑張るだけではない。母の教えと父の姿を胸に刻み、人の話をきちんと聞くようにもしてきた。
 最初は『王女だから、特別扱いしたほうがいいのかも』、と遠慮がちだった学院の生徒たちとも、仲良く話し合える関係性を築いていた。関係性は魔術の在り方にさらなる可能性を生み、学生たちは魔術のさらなる研究と開発に熱意を注いだ。


 学院が休みのある日。
 バルテス一家は、王室の親戚にあたるナースノー家が管理している王室の別邸で庭の手入れをすることになった。ブロン一家も一緒だ。
 柵などの補修は大人がやる。子供たちは草むしりだ。
 父バルテスは、城下町一番の植木屋『ヨキコット造園』に、庭木の剪定を依頼していた。親方は、手伝いとして自分の息子4人を連れてきた。上の3人はすでに一人前。末っ子はまだ7歳になったばかりの、赤毛を短く刈り込んだ活発な少年だった。
 「すんません王様。どうしても末っ子が仕事するところがみたいと言ってきかなくて」
 体格のいい親方は、体を丸めて父に謝った。
 「でも草むしりは得意な子なんで。王女様の代わりにうちのアーリィを存分に使ってやってください」
 父は笑った。
 「親方。こういうのはみんなでやるものだ。そのほうが後で食事が美味い」
 アーリィは、アレックス・ヨキコットという名のニックネーム。
 学院にも平民出身の生徒はいたけれど、生徒以外で平民の子供と接するのは、リルラピスにとって初めてだった。
 草むしりが得意という親方の言葉に偽りなく、アレックスはリルラピスがなかなか抜けないでいた雑草を、ニコニコ笑ってひゅっ!と抜いてしまった。誰よりも多く草を抜いて、息をまるで切らしていない。すごかった。。
 アレックスは王室の子供たちとすっかり仲良くなり、互いをニックネームで呼び合うほど仲良くなった。
 「今日はありがとう!!リル、ウィリー、アミー!!」
 別れ際。ウィリアムは抜いた草を編んでオオカミの置物を作り、アレックスにプレゼントした。花鳥風月を愛するウィリアムは、草花を用いた小物づくりが得意なのだ。この国におけるオオカミは山の神ヴォルグ神の姿であり、オオカミは男の子の好きな動物ランキング一位、二位を争っている(ちなみに、争っている相手は海の神サメロン神で、サメの姿をしている。もっとも、ウィリアム本人は空の神フリュー神が好きだ。アホウドリの姿をしている)。
 アレックスは大喜びして帰って行った。
 それから時々、アレックスは親方の手伝いで別邸に来て、リルラピスたちと遊んだ。


 出会ってから1年後。
 親方が庭木の剪定をしている間、リルラピスとウィリアム、アミル、そしてアレックスは、ガーデンテラスでお茶を飲んでいた。
 この時ウィリアムは、近衛騎士を目指し国立魔術学院の騎士科で研鑽を積んでいた。その話を聞いていたアレックスは、突然宣言した。
 「オレもウィリーみたいに、リルを守る近衛騎士になりたい!!」
 これを聞いた親方。慌てて走ってきて、息子を叱った。
 「こら、アーリィ!!王女様!!平民の植木屋の子が近衛騎士を目指すなんて、できっこないこと言ってすんません!!」
 平民が国立魔術学院に入学し、騎士になることは珍しくないが、王室のボディガードである近衛騎士になると、話は別。在学6年間で一定以上の優良成績をとり、厳しい選抜試験に挑まねばならない。平民の生徒が近衛騎士に合格した事例は、きわめて少なかった。親方はそれを知っていたのだ。
 王室の一員として、リルラピスも近衛騎士がどのように選ばれるか知っている。間違いなく難しい道だ。ウィリアムだって例外じゃない。
 それでも、友達の夢を応援したい。だから、母の言葉を借りて、言った。
 「頑張らなければ何も始まらない。何も変わらない。精一杯、あなたの可能性を信じて、頑張って。
 私も、頑張る。みんなを信じて、みんなを守れる王様になれるように。だから……アーリィもあきらめないで」
 アレックスは、にっこり笑った。
 「オレ、絶対合格するよ!!」
 しばらくすると、アレックスは本当に国立魔術学院の受験を目指し、勉強を始めた。
 親方と兄たちは庭仕事に来たけれど、アレックスは来なくなった。


 それから、2年後。
 しばらく会っていなかったアレックスが、無事に国立魔術学院に一発で合格したと聞き、リルラピスは喜んだ。
 別邸で合格祝いをすることになり、リルラピスはウィリアムら親しい者を集め、アレックスと父親を招待した。
 久しぶりに会ったアレックスの学院制服姿に、2年前を知る者たちは絶句した。
 10歳になったアレックスは顔つきに少年らしい面影を残しつつ、髪を伸ばしていた。小柄ながらも少女らしい体つき。制服は女子用だった。
 祝いの場で、親方は豪快に土下座した。
 「すんません!!男ばかりの家庭なもんで!!ついでに王様が好きに話していいよ、って言ったもんで、ラフな言動させちゃってました!!魔術学院に入る手前、礼儀作法はきっちりさせたんで堪忍してください!!」
 当の本人は、見ていてかわいそうになるくらい緊張している。かぼそい声でぷるぷる震えていた。
 「ほ、ほ、本日お招きいただいたことに、オレ、じゃない、わ、私は王女様に多大なる感謝を……てか、今まで男みたいに話して……ごめんなさいっていうか……」
 快活さが失われたようで、リルラピスはちょっと寂しかった。
 なので、言った。
 「前みたいに、話しやすいように話して」
 「いいん、ですか?」
 「そのほうが私たちも嬉しい」
 アミルが笑う。
 「うん、そうだね」
 ウィリアムも笑った。
 「僕たちにとって、アーリィは可愛い弟分だからな」
 アレックスの顔が、ぱっ、と明るくなる。
 「ありがとう!!リル、ウィリー、アミー!!」
 ただし、学院では言葉遣いに気を付けて、と念を押した。
 続いて、ウィリアムが今日の祝宴に同席した先輩を紹介する。
 「魔術機構科のエイル・フェイスフル先輩。騎士科のグラン・ディバイ先輩と、モンド・ベルジュ先輩だ」
 この3人はリルラピスにとって先輩にあたる。
 魔術学院は先輩が後輩を指導し鍛えるのが伝統。生まれ育ちは異なれど、3人はリルラピスにとっては姉・兄のような存在であった。
 「ヨキコットさん。死ぬ気で頑張りなさいな。その暁には、あなた専用の魔術武装をもれなくプレゼントいたしますわ」
 アレックスは驚いている。
 「す、すげえ……。王室御用達の魔術機構師に連なるお人が平民のオレ…じゃない。アタシと話しちゃってるよ」
 ふふん、と不敵に笑うエイル。彼女はこの時『得意魔術は全属性!!』と豪語しており、その噂は広まっていた。
 「平民だろうと貴族だろうと、私は頑張る人間に敬意を表します。とはいえアレックスさん。話しただけで満足しないこと。あなたの騎士としての戦いはこれから始まるのですから」
 続いてグラン。たくましい手を差し出し、言った。
 「私も君と同じく、平民出身。首都防衛騎士団志望だ。志望先は異なれど、ともに騎士として、この国に尽くそう」
 「が、頑張ります!!」
 最後にモンド。
 「俺は近衛騎士だ。近々選抜試験に参加する。ウィリアムも続くだろう。一足先に待っているよ!」
 「お、追いかけます!!アタシも必ず、近衛騎士に!!」
 お互いの将来の夢を称え、家族が祝杯を挙げ、合格祝いの会は和やかな雰囲気に包まれる。
 リルラピスはアレックスが合格したことも、彼女が先輩たちに認められたことも嬉しかった。
 家族もみんな、笑顔だった。

 それから4年後。
 突如現れた魔王メノーと、その軍勢との戦いが始まった。リルラピスたちは戦場に出た。魔術学院で研鑽中だったアレックスも。
 クリスティア王国は魔王の侵攻を食い止められず、異世界『地球』の日本近海に転移した。
 多くの仲間が死んだ。母サフィーアも、従弟のアミルも。教育係のパズートは次男を失った。
 多くの仲間が傷ついた。ウィリアムの姉はサフィーアの近衛騎士だったが、重傷を負い引退。モンドの母は魔王軍の攻撃が元で怪我をし、病気がちになっていった。
 国を守る神器ティアンジェルストーンは日本人が継承し、当面は国土が復興するまで貸与することになった。前代未聞ではあるが、日本人ティアンジェルこと『グレイトフル・フェアリン』と、彼女たちが助力を求めた日本ヒーロー庁の助力がなければ勝てなかったのも事実。父バルテスは貸与を認めた。
 慣れない環境下で、見たこともない土地で、クリスティア王国は生きていかねばならなくなった。
 正直、リルラピスの心の中には不安しかなかった。
 王室の一員として、自分は国を支えていけるのか。


 不安におびえる国民のため、バルテス国王は演説をすることになった。
 演説の前夜。
 リルラピスは父バルテスの部屋に行き、自分の不安を打ち明けた。
 幼いころ、母と飲んだ時と同じハーブティーを、二人で飲みながら、いろんなことを話した。
 父はそっと笑って、娘の不安に答える。
 「私も同じさ。不安だよ。でも、逃げたくない。国民を守りたい。負けないために強くありたい」
 リルラピスは問いかける。
 「父上はなぜ、そこまで強い気持ちでいられるのですか」
 うーむ、と、父バルテスはあごひげに手を当てて、考える。
 「理由はいろいろあるが……。いつかサフィーアに会うときに、格好悪いところを見せたくないから、というのが一番。
 つまり私は、見栄っ張りなのだ」
 リルラピスはあっけにとられた。
 「見栄っ張り!?」
 父は、ちょっと恥ずかしそうに、己のアッシュグレイの髪を撫でた。
 「サフィーアはこの国を、国民を愛していた。好きな人が大切にしていたものを、私も大切にし、守りたい。
 正直、今は辛くて苦しい。だからと言って明日の演説で、
 『辛くて苦しいから王様を辞めます。楽なほうに逃げます』
 なんて言ったら、いつか死んだとき、あの世で彼女は私を平手打ちするだろうね」
 リルラピスはこの日この瞬間、人生で一番の驚きを感じた。
 「母上が父上を平手打ち!?本当に!?」
 「本当だ。リルラピスが生まれるずっと前。一度だけ大喧嘩して平手打ちを食らった。心にしみる痛さだった」
 穏やかな母が父を平手打ちするなんて。大喧嘩の理由は何だったのだろう。
 父は左頬をほろ苦い表情でさする。結局理由は教えてもらえなかったが、父は母との思い出に痛みと温かさを感じているようだ。。
 「あの平手打ちがあったから、私は王を続けられた。リルラピス。サフィーアは私に負けない強さを教えてくれた。君の母の、そして私の妻の負けない強さは、優しさや愛をあきらめないことだ」
 リルラピスは復唱する。
 「優しさや愛を、あきらめない」
 そうだ、と言い、父はリルラピスの手を握る。
 「この先何が起きるかわからない。武力はもちろん必要。でもそれだけじゃあ駄目だ。人に優しくあること、人を愛することを忘れないでくれ」


 その2年後。父は急死した。


 心の整理も満足にできぬうちに遺書が公表され、リルラピスは仲間とともに重点復興地域に派遣された。
 父は叔父ブロンに暗殺されたのではないか、という疑問はあった。これは派遣ではなく追放なのでは、とも思った。
 だけど、限りなく直筆に近い遺言状に真印が押された以上、父が押したことは疑いようがない。
 自分のために首都で反乱を起こした者には申し訳なかったけれど、重点復興地域で困っている人たちを放っておくこともできなかった。
 支給された日本の作業車両の使い方をみんなで覚え、時には鋸、金槌片手に建築作業もやった。王女様が大工をやらんでも、とパズートは止めようとしたけど、人手が足りないからやる、と押し切り、みんなで大工も農業もやった。
 毎日が驚きと苦労の連続。だけど、それでも、楽しかった。
 一方、パズートを通じて各地に斥候を放ち、叔父の様子を見ていた。日に日に叔父の行いが傲慢になり、伝統を壊し続けるのに、リルラピスは耐えられなかった。
 やはり、暗殺は本当で遺言状は偽造されたのかもしれない。決して、父と叔父の仲は不仲ではなかったのに。
 4年前の魔王軍襲撃さえなければ、叔父の心は変らなかったかもしれない。
 いっそ時間を巻き戻せたら。何も起きなかったことにできれば。
 リルラピスは何度思ったかわからない。だが、それは今一緒に頑張っている人たちへの侮辱だ。過去は変えられない。
 そして、水面下で実行されようとしていたユルリウス神の廃棄と島売却の密約。さらに日本人への強制労働が、リルラピスに反逆を決意させた。変えられるのは今しかない、と覚悟を決めて。

 
 日本でのブロン暗殺は失敗し、首都に潜伏させていた蜂起部隊も捕らえられてしまった。
 ブロンにされるがままの自分に、王としての強さは、無いのかもしれない。
 けれど、あきらめたくない。自分を信じる国民を、仲間を守りたい。復興支援に参加した日本人を、助けたい。この気持ちだけは、無くしたくない。亡くなった両親に恥ずかしくない振る舞いをしたい。
 そして、エトフォルテ。窮地に立たされていながら、自分たちを助けてくれた。ドラクロー団長の言葉に、両親の教えの一端が見えた。
 軍師ヒデは仮面を取らずに不思議な雰囲気だけど、立ち居振る舞いに仲間を守ろうとする強い意志を感じる。クリスティア人が思いもよらない軍略の数々は、本物だ。
 王室の一員として、何より人として、リルラピスはエトフォルテに好感を持った。
 だからこそ、今自分ができる精一杯を貫こう。
 大好きな、大切な人たちを守るために頑張ろう。
 

 リルラピスは、そう心に誓い、オウラムの大広場にある舞台に立った。
 眼下には、採掘場解放のため、そしてオウラム防衛のために武装を済ませた仲間たちがいる。エトフォルテの仲間たちも。
 これからリルラピスは、出陣式で仲間たちに呼びかける。そして、ともに採掘場に向かう。
 スタンドに設置されたメガホン型の魔術機構の前で、一度深呼吸。ゆっくりと口を開いた。
 「これより、私たちはエトフォルテとともに、北部のクリスティウム採掘場解放に向かいます。現地に捕らえられた同胞と日本人を救う。そして首都ティアーズに乗り込む。この戦いは、短期決戦で挑むよりほかに手はない」
 時間をかければ首都から援軍を送られてしまう。今日は金曜日。ブロンのいら立ちが最高潮に達するであろう日曜日が、迫っていた。
 日曜日になったら、暴君と化した叔父はさらに乱暴な戦略でこちらを潰しにかかるだろう。すでに試験農場解放のための部隊にも、こちらに合わせて動くよう伝令を送っている。
 「間違いなく厳しい戦いになります。でも、どうか忘れないで。
 私たちは、決して一人ではないことを。皆で、頑張ることを。私も、精一杯頑張ります」
 ぎゅ、と両手を胸の前で握り、両親に思いを馳せる。
 そして新たな仲間を思った時、言葉は自然と口からほとばしった。

 「魔術は心で放つものなり。魔力は心の力なり。人の心に限界無し。ゆえに魔術に終わり無し。
 我が国の魔術を鍛えし不屈の騎士に勝利を!!
 星空の猛き戦士たちの助力に感謝を!!
 私たちとエトフォルテの心の力が、絆が、ブロン・ド・クリスティアの野望を、今度こそ打ち砕く!!皆の者、出陣です!!」



 

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