エトフォルテ防衛戦線ヒデ! 第59話 決戦前夜(後編)

 エトフォルテでの決戦準備と時を同じくして、採掘場のふもとにある街ガネット。
 ここはブロン派の騎士と兵士総勢100人と、彼らをもてなす酒場や遊戯場を経営する民間人約50人で構成されている。
 街の中心には、騎士たちが駐屯する基地がある。基地の司令室では今、司令がスマートフォンを握ってパズルゲームに熱中していた。
 ガネットは採掘場最寄りの基地。重要鉱石クリスティウムの採掘と出荷を守る基地として、日本から通信設備や家電、ヒーロー武装がたくさん持ち込まれた。司令はすっかり家電のとりことなり、司令室にマッサージ椅子や空気清浄機を持ち込んだ。快適な自室で、暇さえあればスマホをいじっている。
 首都ティアーズからは、
 『リルラピス”元”王女が日本でブロン国王の暗殺を目論んだ。採掘場が狙われるかもしれないので厳重に警戒しろ』
 と、通信はあったのだが。司令の警戒心は完全に緩んでいた。
 採掘場には警備している監督官たちもいるし、なにせここには日本からもらったヒーロー武装がたくさんある。魔術習得以上にヒーロー武装の扱いは楽で、定期的に訓練していれば、民間人でも5級の魔術師くらいには戦えるようになる。
 だから、ちょっとくらいのトラブルにはすぐに対応できる。司令はそう考え、パズルゲームに熱中していた。すでに日々の業務は終わっているし、ちゃんと机の側に自分用のヒーロー武装も置いてある。剣と銃に二段変形する格好いい奴だ。
 早くこいつで実際に敵を仕留めてみたいものだ、と司令は思う。採掘場の脱走者は、ほとんどその場で始末されてしまうから、この基地の騎士たちはしばらく戦闘行為をしていない。


 とりとめもないことを考えつつ、ゲームを続ける司令官。痛快な効果音とともに連鎖が決まり、カラフルなパネルが消えていく。
 もう少しでハイスコアを更新できそうなところで、司令室のドアがノックされた。
 「司令。ティアーズの首都防衛騎士団の輸送車両が来ました」
 いいところだったのに。
 司令はスマホをいったん置いて、入室した部下に対応する。
 「夜に一体何の用だ」
 「リルラピス元王女のことで派遣された部隊だと言っています。緊急用務で、詳しいことは司令に直接話したいと」
 「事前の連絡はないぞ。怪しいな。ティアーズに確認を取ったか」
 部下が困り顔で言う。
 「それが、さっきから電波状況が悪いのか、通信機が使えなくて」
 「じゃあ確認が取れないだろう。復旧するまで基地の外で待っていてもらえ」
 ますます困り顔を曇らせる部下。
 「私たちは通信機の使い方を教わったけど、直し方はわかりません。復旧しなかったら、ずっと待たせることになります。本当に緊急用務なら大変ですよ」
 そう言われては仕方ない。
 司令は部隊の代表者を司令室に入れることにした。

 司令室に入ってきたのは、十代後半の若い騎士だった。軽くウェーブがかかった黒髪に、精悍な顔つき。首都防衛騎士団の制服でもある青いロングコート付甲冑の上をかっちりと身にまとっている。
 真面目でしっかりしてそうな若者だ。きっと名のある騎士の家系に連なる男に違いない。ぞんざいに扱っては、自分の出世に響くというもの。
 司令は笑顔を浮かべ、丁重にもてなすことにした。
 「ティアーズからはるばるご苦労様です。緊急用務とは一体?」
 若い騎士が言う。
 「あなたたちに、しばらくおとなしくしてもらいたいのだ」
 彼は何を言っているのだろう。司令は問い直す。
 「言っていることの意味が解りませんな。あなた、所属と名前は?本当に緊急用務で来たんですか?」
 黒髪の騎士が言う。
 「所属はエトフォルテ。名前は義兼威蔵」
 司令は日本のヒーロー事情を知っている。だからエトフォルテが何なのかも知っている。日本のヒーローを殺した残忍な宇宙獣人集団だと。
 やばい!!と、司令が思いを巡らせるまで、2秒。
 慌てて机の上のスマホを手に取ろうとしたが、遅すぎた。
 騎士に成りすました威蔵は、虚空から素早く鞘入りの日本刀を発現し、左手につかむ。素早く右手で刀を鞘から抜き放ち、司令の首筋に刃を当てる。傍から見て相当異様な光景だったが、司令には自分の命運が威蔵に一瞬でつかまれたことが重要だった。 
 「動くな。首を斬られたくなければ、言う通りにしろ」
 威蔵の声音と刃が、ぞっとするほど冷たい。その冷たさが、さらに司令の恐怖心をあおる。
 「ひ、ひいいい。い、言うことを聞きます、助けてください」
 司令はあっさり投降した。
 机のそばには、使われないままのヒーロー武装が置かれている。
 この様子に、威蔵がため息をつく。
 「武器より先にスマホとは」
 司令はぷるぷる震えながら言い訳した。
 「しゅ、首都に通信しようとしたんだ!!ゲームの続きをしようとしたわけじゃないぞ!!」
 「お前はゲームをしていたのか」
 「休憩してるところに貴様が来たんだよ!!」
 有無を言わさず威蔵がスマホを取り上げる。
 「これは没収する」
 そして、ゲームを強制終了した。
 子供の様に泣き叫ぶ司令。
 「俺のハイスコアぁぁぁぁ……」

 

 1時間後。
 ガネットは、完全にリルラピス派の部隊に制圧されていた。
 威蔵が司令室を制圧し、司令に館内放送(もともと基地にあった、魔術機構で音を拡張し伝えるものだ。司令室から基地内に音声を伝える)で、こう言わせたのだ。
 『ブロン王から緊急の指令が下った。基地内の者は全員講堂に集まれ。とにかく急いで説明したいから、非武装の者もすぐにだ』
 騎士も兵士も、採掘場の警備が厳重だから大丈夫、と油断していたのだろう。館内放送を鵜呑みにして、休憩中のラフな格好で講堂に現れた者もいた。講堂に集まった者は威蔵たちにあっさり制圧され、降参。見張りとして残っていた者は、車両にいたグランたちに叩きのめされてしまった。あらかじめ通信をジャマーで封じたから、この基地で起きていることは首都には伝わっていない。
 威蔵はグランと合流し、民間人をどうするか聞いた。酒場や遊技場を経営する民間人たちは、おとなしくこちらに従った。彼らはまだそれぞれの店や自宅にいる。
 一方、騎士や兵士たちは武装解除させ、基地の営倉に閉じ込めてある。
 グランが言う。
 「採掘場の解放が終わるまで、基地に全員集めて保護しよう。夜中に逃げ出して、他所の街に通報されても困るからな」
 そこに、孝洋と兵士たちが戻ってきた。基地内の武器庫の様子を見に行ったのだ。
 孝洋が報告する。
 「武器庫を確認したら、日本から持ち込んだヒーロー武装や爆薬があったよ。選別して明日に備えるといいんじゃあないかな」
 威蔵もグランも異論はなかった。通信を封じはしたが、首都からブロンの増援が攻めてくる可能性は十分にある。警戒を怠ってはならない。使える武器は全部使う。
 さらにいいのものがある、と孝洋が笑顔で言う。
 「食堂にコーヒーがあったよお。インスタントだけど。飲む?」
 エトフォルテにはコーヒーがない。ヒデが24時間スーパーで買って持ち込んだ食材にはインスタントコーヒーがあったが、この一か月で飲み切ってしまっていた。
 しばらくコーヒーはご無沙汰だ。
 「ああ。一杯飲むとしよう」
 シンプルに答える威蔵とは正反対に、グランはとても嬉しそうに頷いた。
 「ぜひ飲もう!!頭も冴えるし眠気も吹き飛ぶ」
 ほかの兵士たちも嬉しそう。
 クリスティア王国が元居た世界に、コーヒー豆は存在しなかったという。日本近海に転移してから、地球の食材が首都ティアーズに出回るようになった。コーヒー、とくに携帯できてすぐ飲める缶コーヒーは騎士たちの間で大人気だったそうだ。
 あまりに人気が出過ぎて品薄になり、転売が横行。缶コーヒー一本を高級酒同然の値段で転売した騎士もいたという。
 孝洋が呟く。
 「クリスティアにも転売ヤーはいるんだねえ」
 グランは頭をかいて、苦笑い。
 「全く恥ずかしい。私も転売価格で買いかけた」
 「あちゃあ」
 「それにしても、あんなに黒くて苦くて、頭の冴える素晴らしい飲み物があるとは思わなかった。暗殺任務で日本にいる間、潜伏先の近くの自販機で毎日買ってみんなで飲んだぞ。コーヒーを毎日飲める日本はなんて素晴らしい国だと、私は思ったものだ」
 遠い目をするグラン。コーヒーの魅力が忘れられないらしい。
 「ブラックが一番だが、砂糖とミルク入りのも良い。コーヒーゼリーも良かったな……。あ、あとコーヒー風味のロールケーキも……」
 ゼリーやケーキは、暗殺任務中食料調達先のコンビニで買ったという。
 思い出話を聞く兵士たちは、みんなうらやまし気だ。
 「グラン様。もっとコーヒーのこと教えてくださいよ~」
 それから食堂に向かうまでの間、グランと兵士たちはコーヒーがどれだけ好きかを力いっぱい語り続ける。
 異世界の騎士たちがコーヒーの魅力を熱烈に語る姿に、神剣組の隊長と缶詰工場の息子は圧倒された。
 食堂に入ったグランたちを見届けて、孝洋が威蔵に小声で言う。
 「すげえ熱量でコーヒー語ったな、グランさん。みんな、飲みすぎて眠れなくなるんじゃないか」
 呆気にとられる孝洋に、同意する威蔵。
 「今日のところは、本当の一杯だけにしておこう。彼らも戦士だ。きちんと眠り、明日に備えねばならないとわかっている」
 「だな。本当の一杯だけ、ってことで。しかし、あれだけ熱烈に語られると、俺も地元のコーヒーとか、コーヒー風味の菓子が恋しくなるなあ。近所にうまいコーヒーゼリーの店があってねえ……」
 遠い目をする孝洋。自分たちが日本を離れてもうすぐ2か月。ふるさとの味が恋しくなるのは無理もない。威蔵もそうだ。
 「俺は、珈琲飴が懐かしい。農家にいた時、主が飴好きで、よくくれた」
 「飴かあ。それもいいなあ」
 満足げに頷く孝洋。
 懐かしい食べ物の話をしているうちに、威蔵はふと昔を思い出していた。


 2年前。神剣組が壊滅し、農家にかくまわれて間もないころ。
 農家の主である初老の男が、初めて珈琲飴をくれたのだ。
 『隊長さんよ。組織がやられて思うところはあるだろうが、怖い顔して生きてちゃだめだ。いい男がもったいない。飴舐めるといい。甘さで気分がまぎれるぞ』
 組織壊滅から、ずっと厳しい顔して生きていた自分を、主は気遣ってくれたらしい。
 コンビニなどで買える、ごく一般的な甘い珈琲飴だ。主の奥さん、それを見て困り顔。
 『いやだよこの人は。うちはお菓子屋のための梨だって育ててるのよ。お菓子屋で作ってる梨飴(なしあめ)渡せばいいのに』
 主が苦笑い。
 『梨飴、昨日近所のボウズに最後のあげちゃってさ。今日は俺が二番目に好きな珈琲飴で勘弁な、隊長さん』
 主は飴が好きだった。その後梨飴だけでなく、いろんな飴をもらったが、威蔵の中では珈琲飴が一番だった。
 荒んでいた自分の心を癒してくれた、思い出の味だ。


 懐かしい味に思いを馳せていると、孝洋が言った。
 「とりあえず、俺たちもコーヒー飲もうぜ。砂糖と牛乳もあるんだ。俺は両方入れるぜ。威蔵はブラック?」
 「いや。俺も両方入れる」
 思い出の珈琲飴に近い味で、威蔵はコーヒーを飲みたかった。
 きっとこの味も、自分の心を研ぎ澄ませて、明日への力になるはずだ。
 ドラクローが教えてくれた言葉を思い出しながら、威蔵は砂糖と牛乳入りのコーヒーを、本当の一杯だけ飲み干した。
 

 採掘場とガネットで、そしてエトフォルテで、決戦への備えは着々と進んでいく。

 そして、運命の朝が来た。


 

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