エトフォルテでの決戦準備と時を同じくして、採掘場のふもとにある街ガネット。
ここはブロン派の騎士と兵士総勢100人と、彼らをもてなす酒場や遊戯場を経営する民間人約50人で構成されている。
街の中心には、騎士たちが駐屯する基地がある。基地の司令室では今、司令がスマートフォンを握ってパズルゲームに熱中していた。
ガネットは採掘場最寄りの基地。重要鉱石クリスティウムの採掘と出荷を守る基地として、日本から通信設備や家電、ヒーロー武装がたくさん持ち込まれた。司令はすっかり家電のとりことなり、司令室にマッサージ椅子や空気清浄機を持ち込んだ。快適な自室で、暇さえあればスマホをいじっている。
首都ティアーズからは、
『リルラピス”元”王女が日本でブロン国王の暗殺を目論んだ。採掘場が狙われるかもしれないので厳重に警戒しろ』
と、通信はあったのだが。司令の警戒心は完全に緩んでいた。
採掘場には警備している監督官たちもいるし、なにせここには日本からもらったヒーロー武装がたくさんある。魔術習得以上にヒーロー武装の扱いは楽で、定期的に訓練していれば、民間人でも5級の魔術師くらいには戦えるようになる。
だから、ちょっとくらいのトラブルにはすぐに対応できる。司令はそう考え、パズルゲームに熱中していた。すでに日々の業務は終わっているし、ちゃんと机の側に自分用のヒーロー武装も置いてある。剣と銃に二段変形する格好いい奴だ。
早くこいつで実際に敵を仕留めてみたいものだ、と司令は思う。採掘場の脱走者は、ほとんどその場で始末されてしまうから、この基地の騎士たちはしばらく戦闘行為をしていない。
とりとめもないことを考えつつ、ゲームを続ける司令官。痛快な効果音とともに連鎖が決まり、カラフルなパネルが消えていく。
もう少しでハイスコアを更新できそうなところで、司令室のドアがノックされた。
「司令。ティアーズの首都防衛騎士団の輸送車両が来ました」
いいところだったのに。
司令はスマホをいったん置いて、入室した部下に対応する。
「夜に一体何の用だ」
「リルラピス元王女のことで派遣された部隊だと言っています。緊急用務で、詳しいことは司令に直接話したいと」
「事前の連絡はないぞ。怪しいな。ティアーズに確認を取ったか」
部下が困り顔で言う。
「それが、さっきから電波状況が悪いのか、通信機が使えなくて」
「じゃあ確認が取れないだろう。復旧するまで基地の外で待っていてもらえ」
ますます困り顔を曇らせる部下。
「私たちは通信機の使い方を教わったけど、直し方はわかりません。復旧しなかったら、ずっと待たせることになります。本当に緊急用務なら大変ですよ」
そう言われては仕方ない。
司令は部隊の代表者を司令室に入れることにした。
司令室に入ってきたのは、十代後半の若い騎士だった。軽くウェーブがかかった黒髪に、精悍な顔つき。首都防衛騎士団の制服でもある青いロングコート付甲冑の上をかっちりと身にまとっている。
真面目でしっかりしてそうな若者だ。きっと名のある騎士の家系に連なる男に違いない。ぞんざいに扱っては、自分の出世に響くというもの。
司令は笑顔を浮かべ、丁重にもてなすことにした。
「ティアーズからはるばるご苦労様です。緊急用務とは一体?」
若い騎士が言う。
「あなたたちに、しばらくおとなしくしてもらいたいのだ」
彼は何を言っているのだろう。司令は問い直す。
「言っていることの意味が解りませんな。あなた、所属と名前は?本当に緊急用務で来たんですか?」
黒髪の騎士が言う。
「所属はエトフォルテ。名前は義兼威蔵」
司令は日本のヒーロー事情を知っている。だからエトフォルテが何なのかも知っている。日本のヒーローを殺した残忍な宇宙獣人集団だと。
やばい!!と、司令が思いを巡らせるまで、2秒。
慌てて机の上のスマホを手に取ろうとしたが、遅すぎた。
騎士に成りすました威蔵は、虚空から素早く鞘入りの日本刀を発現し、左手につかむ。素早く右手で刀を鞘から抜き放ち、司令の首筋に刃を当てる。傍から見て相当異様な光景だったが、司令には自分の命運が威蔵に一瞬でつかまれたことが重要だった。
「動くな。首を斬られたくなければ、言う通りにしろ」
威蔵の声音と刃が、ぞっとするほど冷たい。その冷たさが、さらに司令の恐怖心をあおる。
「ひ、ひいいい。い、言うことを聞きます、助けてください」
司令はあっさり投降した。
机のそばには、使われないままのヒーロー武装が置かれている。
この様子に、威蔵がため息をつく。
「武器より先にスマホとは」
司令はぷるぷる震えながら言い訳した。
「しゅ、首都に通信しようとしたんだ!!ゲームの続きをしようとしたわけじゃないぞ!!」
「お前はゲームをしていたのか」
「休憩してるところに貴様が来たんだよ!!」
有無を言わさず威蔵がスマホを取り上げる。
「これは没収する」
そして、ゲームを強制終了した。
子供の様に泣き叫ぶ司令。
「俺のハイスコアぁぁぁぁ……」
1時間後。
ガネットは、完全にリルラピス派の部隊に制圧されていた。
威蔵が司令室を制圧し、司令に館内放送(もともと基地にあった、魔術機構で音を拡張し伝えるものだ。司令室から基地内に音声を伝える)で、こう言わせたのだ。
『ブロン王から緊急の指令が下った。基地内の者は全員講堂に集まれ。とにかく急いで説明したいから、非武装の者もすぐにだ』
騎士も兵士も、採掘場の警備が厳重だから大丈夫、と油断していたのだろう。館内放送を鵜呑みにして、休憩中のラフな格好で講堂に現れた者もいた。講堂に集まった者は威蔵たちにあっさり制圧され、降参。見張りとして残っていた者は、車両にいたグランたちに叩きのめされてしまった。あらかじめ通信をジャマーで封じたから、この基地で起きていることは首都には伝わっていない。
威蔵はグランと合流し、民間人をどうするか聞いた。酒場や遊技場を経営する民間人たちは、おとなしくこちらに従った。彼らはまだそれぞれの店や自宅にいる。
一方、騎士や兵士たちは武装解除させ、基地の営倉に閉じ込めてある。
グランが言う。
「採掘場の解放が終わるまで、基地に全員集めて保護しよう。夜中に逃げ出して、他所の街に通報されても困るからな」
そこに、孝洋と兵士たちが戻ってきた。基地内の武器庫の様子を見に行ったのだ。
孝洋が報告する。
「武器庫を確認したら、日本から持ち込んだヒーロー武装や爆薬があったよ。選別して明日に備えるといいんじゃあないかな」
威蔵もグランも異論はなかった。通信を封じはしたが、首都からブロンの増援が攻めてくる可能性は十分にある。警戒を怠ってはならない。使える武器は全部使う。
さらにいいのものがある、と孝洋が笑顔で言う。
「食堂にコーヒーがあったよお。インスタントだけど。飲む?」
エトフォルテにはコーヒーがない。ヒデが24時間スーパーで買って持ち込んだ食材にはインスタントコーヒーがあったが、この一か月で飲み切ってしまっていた。
しばらくコーヒーはご無沙汰だ。
「ああ。一杯飲むとしよう」
シンプルに答える威蔵とは正反対に、グランはとても嬉しそうに頷いた。
「ぜひ飲もう!!頭も冴えるし眠気も吹き飛ぶ」
ほかの兵士たちも嬉しそう。
クリスティア王国が元居た世界に、コーヒー豆は存在しなかったという。日本近海に転移してから、地球の食材が首都ティアーズに出回るようになった。コーヒー、とくに携帯できてすぐ飲める缶コーヒーは騎士たちの間で大人気だったそうだ。
あまりに人気が出過ぎて品薄になり、転売が横行。缶コーヒー一本を高級酒同然の値段で転売した騎士もいたという。
孝洋が呟く。
「クリスティアにも転売ヤーはいるんだねえ」
グランは頭をかいて、苦笑い。
「全く恥ずかしい。私も転売価格で買いかけた」
「あちゃあ」
「それにしても、あんなに黒くて苦くて、頭の冴える素晴らしい飲み物があるとは思わなかった。暗殺任務で日本にいる間、潜伏先の近くの自販機で毎日買ってみんなで飲んだぞ。コーヒーを毎日飲める日本はなんて素晴らしい国だと、私は思ったものだ」
遠い目をするグラン。コーヒーの魅力が忘れられないらしい。
「ブラックが一番だが、砂糖とミルク入りのも良い。コーヒーゼリーも良かったな……。あ、あとコーヒー風味のロールケーキも……」
ゼリーやケーキは、暗殺任務中食料調達先のコンビニで買ったという。
思い出話を聞く兵士たちは、みんなうらやまし気だ。
「グラン様。もっとコーヒーのこと教えてくださいよ~」
それから食堂に向かうまでの間、グランと兵士たちはコーヒーがどれだけ好きかを力いっぱい語り続ける。
異世界の騎士たちがコーヒーの魅力を熱烈に語る姿に、神剣組の隊長と缶詰工場の息子は圧倒された。
食堂に入ったグランたちを見届けて、孝洋が威蔵に小声で言う。
「すげえ熱量でコーヒー語ったな、グランさん。みんな、飲みすぎて眠れなくなるんじゃないか」
呆気にとられる孝洋に、同意する威蔵。
「今日のところは、本当の一杯だけにしておこう。彼らも戦士だ。きちんと眠り、明日に備えねばならないとわかっている」
「だな。本当の一杯だけ、ってことで。しかし、あれだけ熱烈に語られると、俺も地元のコーヒーとか、コーヒー風味の菓子が恋しくなるなあ。近所にうまいコーヒーゼリーの店があってねえ……」
遠い目をする孝洋。自分たちが日本を離れてもうすぐ2か月。ふるさとの味が恋しくなるのは無理もない。威蔵もそうだ。
「俺は、珈琲飴が懐かしい。農家にいた時、主が飴好きで、よくくれた」
「飴かあ。それもいいなあ」
満足げに頷く孝洋。
懐かしい食べ物の話をしているうちに、威蔵はふと昔を思い出していた。
2年前。神剣組が壊滅し、農家にかくまわれて間もないころ。
農家の主である初老の男が、初めて珈琲飴をくれたのだ。
『隊長さんよ。組織がやられて思うところはあるだろうが、怖い顔して生きてちゃだめだ。いい男がもったいない。飴舐めるといい。甘さで気分がまぎれるぞ』
組織壊滅から、ずっと厳しい顔して生きていた自分を、主は気遣ってくれたらしい。
コンビニなどで買える、ごく一般的な甘い珈琲飴だ。主の奥さん、それを見て困り顔。
『いやだよこの人は。うちはお菓子屋のための梨だって育ててるのよ。お菓子屋で作ってる梨飴(なしあめ)渡せばいいのに』
主が苦笑い。
『梨飴、昨日近所のボウズに最後のあげちゃってさ。今日は俺が二番目に好きな珈琲飴で勘弁な、隊長さん』
主は飴が好きだった。その後梨飴だけでなく、いろんな飴をもらったが、威蔵の中では珈琲飴が一番だった。
荒んでいた自分の心を癒してくれた、思い出の味だ。
懐かしい味に思いを馳せていると、孝洋が言った。
「とりあえず、俺たちもコーヒー飲もうぜ。砂糖と牛乳もあるんだ。俺は両方入れるぜ。威蔵はブラック?」
「いや。俺も両方入れる」
思い出の珈琲飴に近い味で、威蔵はコーヒーを飲みたかった。
きっとこの味も、自分の心を研ぎ澄ませて、明日への力になるはずだ。
ドラクローが教えてくれた言葉を思い出しながら、威蔵は砂糖と牛乳入りのコーヒーを、本当の一杯だけ飲み干した。
採掘場とガネットで、そしてエトフォルテで、決戦への備えは着々と進んでいく。
そして、運命の朝が来た。