エトフォルテ防衛戦線ヒデ! 第14話 故郷へのさようなら

 
 ぷすっと、あっけなく命を奪う破裂音。
 醜く喚き散らすユイカの額に、小さな穴が開く。表情はそのまま固まり、文字通りのデスマスクと化す。
 銃を撃ったヒデの手は、小刻みに震える。
 罪悪感はなかった。いずれユイカとリョウジは時雨と翼をいじめ抜いた挙句、真名子のいたゲドーがらみの組織に売り飛ばしていただろう。あるいは、ほかの誰かが彼らの悪だくみで死んだかもしれない。自分はそれを止めたのだ、と内心で言い聞かせる。
 それでも、また命を奪ったことに変わりはない。形容しがたい何かが、ヒデの胸の奥から全身を震わせる。震えはなかなか治まらなかった。
 まきなが、そっとヒデの肩に手を載せる。
 「落ち着いて。あなたがしたことを、誰も責めたりしない」
 事情を知らない人が聞いたら、医者の言うことか、と怒りだすだろう。だがヒデは知っている。まきなはアルとともに、ヒーロー庁の追っ手と戦って逃亡している。命のやり取りを経験しているのだ。自分の、あるいは誰かの命がかかった状況下で、人の命を素材程度にしか思っていない者を野放しにするなんて、ヒデ自身許せない。まきなも、きっとアルも威蔵もそうだろう。
 なんとか震えを抑え込み、ヒデが大丈夫ですと返すと、まきなはもう一度倉庫内の段ボールの山を見つめた。
 「医薬品を運び出さないと。威蔵君。隠し蔵でお願い」
 威蔵は、少し困ったような顔。
 「かまわないが、これは1回で収納しきれない。車にも積んで、さらに往復しなくては」
 隠し蔵の収納力は約1トン。車の荷台を足しても、5トン以上ある薬を運びきれない。
 そしてヒデは、もっとも厄介な問題に気が付いた。
 「この二人の死体と車は、どうしよう」
 警察かヒーロー庁、あるいは真名子のいた組織は、遅かれ早かれここに来る。エトフォルテが薬を持ち出したことは、誰にも知られるわけにいかない。
 不安を覚えたヒデに、威蔵が冷静な面持ちで言葉を紡ぐ。
 「まず、死体を連中の車に乗せて、この倉庫に隠そう。薬をすべて回収し鯖ガ岳市に戻った後、その隣の菜種町(なたねまち)に寄ってほしい」
 菜種町はヒデの地元である風海町と、缶詰工場のある鯖ガ岳市の間に挟まれた街である。
 「神剣組を支援していた農家が菜種町にいる。そこから昔の仲間に連絡を取って、車と死体を処分してもらう」
 「昔の仲間。神剣組ですか」
 「ああ。その道の達人だ。数日中にはカタがつく」
 ヒデは威蔵に頭を下げた。
 「君の負担になって申し訳ない」
 「気にするな。軍師の心配は当然。そのままにしておくほうが問題だ」
 威蔵は二人の死体、次に薬の山を見て、ゆっくりと口を開いた。
 「エトフォルテのためのとはいえ、俺たちは盗品に手を付ける。本来なら病気の人たちの助けとなるはずだったものに。
 エトフォルテには必要なことだが、悪いことだ。
 世間に知られないよう、ここに誰も近づけてはいけない。そしてここに何も残してはいけない。違うか。軍師、博士」
 「あなたの言う通り」
 まきなは簡潔に言った。ヒデも同意見だった。
 まきなが薬の山に向き直り、手を合わせる。
 「本当にごめんなさい。この薬をエトフォルテで困っている人たちのために、使わせてください」
 やはり医者として、盗品を使うことにためらいがあったのだろう。おそらくは医療の神様と、本来薬が必要な人たちへ祈るまきなにあわせて、アルも威蔵も手を合わせる。ヒデも、そうした。


 まきなとアルは、倉庫の外に異常がないか確認するため、一度倉庫を出る。
 倉庫内で二人きりになると、威蔵がヒデに声をかけてきた。
 「アルか俺に、女の始末を任せると思っていた。あなた自身がやるとは思わなかった」
 「時雨君に頼まれたのは私です。医薬品を手に入れ、仲間の不安を払しょくするのが仕事ですから」
 「それはそうだが、無理にやらなくても」
 軍師という肩書の素人であるヒデを、威蔵なりに気遣っているようだった。気遣いは嬉しいが、自分は軍師だから殺しはやらない、絶対に。というわけにはいかない。時雨に偽母親の始末を頼まれたのは、ほかならぬ自分。頼まれた仕事は、よほどのことがない限り断らないのが、ヒデの仕事人としてのルールでもあった。
 ヒデは話題を切り替える。
 「まずは詰めるだけ薬を積んで、鯖ガ岳市に戻りましょう」

 
 缶詰工場に戻って薬をサブルカーンに載せ、もう一度隠し場所に戻る。今度は協力を申し出た孝洋と作業員たちがさらに3台追加の車を出し、運搬を手伝ってくれた。2回目の運搬で、すべての医薬品を回収することができた。上陸から約5時間でここまでやれたのは想定外の幸運。ヒデの腕時計は、夜中の1時を過ぎている。
 最後の薬をサブルカーンに積むと、ヒデはドラクローにあの倉庫の中で知ったことを説明した。
 ドラクローは工場の裏の浜辺で穴を掘りださんばかりの、己を強く恥じる表情を浮かべる。
 「真名子伊織が横流しに関わっていたとは。あいつを仲間にしようなんて、一瞬でも思った俺は馬鹿だった」
 ヒデもドラクローも、横流しの実態を確認し、できることなら礼仙兄妹を日本での生活に戻したかった。だがあの実態を知った後では、無理である。
 「真名子のいた組織の実態はわかりません。わかるのは、時雨くんたちを日本に戻すのが危険だということ」
 エトフォルテに行った真名子が戻らず、横流しをしていた二人も行方不明になれば、組織は兄妹の行方を探そうとするだろう。兄妹を保護したまきなはヒーロー庁を逃げ出したお尋ね者。エトフォルテが警察やヒーロー庁に保護を頼むのは論外。時雨たちの身近なところに、組織の別の協力者がいる可能性も考えられる。兄妹が日本に戻れば、協力者が口封じに走るのは目に見えていた。
 何より、時雨たちがエトフォルテに残ることを望んでいた。礼仙家にはほかに頼れる親戚がいないし、ジャークチェインを使ったことがばれれば、子供でもただでは済まない。ママが偽物だと知ったときから、妹と一緒にどこまでも逃げる覚悟をした。その覚悟で、エトフォルテの仕事を何でもやる。だからお願いします。ぼくたちをエトフォルテに置いてください。時雨は面接の後、ヒデとドラクローに事情を打ち明け、そう懇願していた。
 ドラクローは、覚悟を決めた表情でヒデに言った。
 「わかった。エトフォルテで責任もって、兄妹の面倒を見よう。
 この先ゲドーが来ようとなんだろうと、仲間は絶対に守り抜く
 

 そしてヒデ、まきな、アル、威蔵は、引き続き借りた車で菜種町にある神剣組支援者の農家を訪れた。
 はたして、真夜中に突然来訪したにも関わらず、農家の主たち(初老の夫婦と、その子供である20代の青年2人、高校生の少女)は、威蔵が来たとみるや嬉々として協力的になった。
 威蔵が家の奥で昔の仲間と連絡を取っている間、彼らは米や野菜だけでなく、エトフォルテで食糧増産に役立ててと、野菜の種までヒデたちにプレゼントしてくれた。義兼隊長の新しい仲間なら大歓迎だと、夫婦も子供たちも皆笑顔だ。神剣組の威光は、壊滅から2年たった今でも健在なのか。そして隊長だった威蔵への信頼は、相当なものがあるとヒデは実感する。
 威蔵が奥から戻ってきた。
 「軍師。例の倉庫の中のものの処分は、話がついた」
 「ありがとうございます」
 農家の人たちは、隊長をよろしくお願いします、と見送りに来た。最後に、高校生の少女が、敬礼でヒデたちを見送る。
 「義兼隊長。エトフォルテの皆さん。ご武運を!」
 元気のいい応援とともに、ぴしり、と決まった敬礼。動きに無駄がない。神剣組は武術に優れた者の集まりだとヒデは聞いたことがある。もしかしたら、この少女も神剣組で訓練を受けていたのかもしれない。
 ヒデたちは礼を言って車を走らせた。
 その途中で、ヒデは同乗しているまきなたちに頼んだ。
 「鯖ガ岳市に戻る前に、少し時間をもらえませんか」


 ヒデが車を走らせたのは、菜種町のとなり、風海町。
 個人的にエトフォルテで必要になるものを用意するため、自宅に戻ることにしたのだ。
 自宅から少し離れた空き地に車を止める。ヒデは工場長から借りた帽子を目深にかぶり、一人自宅に向かった。周囲に人目がないのを確認し、スマホケースに入れておいた鍵で扉を開ける。築50年近い平屋建ての日本家屋の玄関は、いつも通りするりと開いてヒデを中に迎え入れた。
 人目に付くから、室内の電灯は点けないことにした。スマホのライトだけでは心もとないが、仕方ない。ヒデは素早く自室に向かう。闇の中で急ぎ必要なものを持ち出さねばならなかった。
 旅行に使う大きめの鞄を2つ取り出し、まず服を詰め込む。日常で使うものと、料理の時に使うものを。次に、蕎麦屋の初給料で祖母とともに出かけた旅行の写真。幼いころ家族みんなで撮った写真。中学の卒業式に和彦や友人たちと撮った写真。そして蕎麦屋の大将夫妻と撮った写真を入れた。
 さらに軍師として、料理人として必要になりそうな、ミリタリー関係と料理の本。ミリタリー関係は和彦の影響で買った。銃の撃ち方や軍隊の戦術などが載っている。ヒーローの情報が載った本や雑誌も入れた。これらは、いずれ反ヒーローの言論団体に入ろうかと思い、買ったものだ。この先の戦いで参考になるだろう。
 そして、万が一の時にと祖母から託されたお金に、就職してからこつこつ貯めたものを足した貯金を金庫から取り出した。
 最後に台所に行き、愛用の包丁セットのケースを取り出す。これだけあれば、エトフォルテでの生活は大丈夫だろう。
 荷造りをしながら、ヒデは考える。
 この4日間で自分は、6人の人間を殺した。
 マスカレイダー・ゴウト。
 真名子伊織。
 礼仙兄妹の母に成りすましたユイカ。
 手を下してはいないが、ショッピングセンターで死んだ矢部と杉尾。ユイカの彼氏リョウジ。ドラクローたちが矢部たちを閉じ込めるのを許したのは自分で、彼氏殺害を許可したのも自分。殺したも同然だ。
 両親と祖母は、あの世で自分をどう見ているだろう。
 殺人は殺人だ。だが、エトフォルテの民と集まった仲間に対する誠意と責任が自分にはある。皆を守るために必要な手段なら、自分も敵を殺す。いいこととは言えない。それでもだ。
 ヒデは、己の行いとこれからの日々を思い、全身が恐怖で震えた。もう、平凡な日本人としての日々には戻れない。この家もどうなるかわからない。自分に訪れる未来以上に、この家が迎えるであろう未来が怖かった。
 自分はあの火災で死んだか、行方不明扱いされている。おそらく警察かヒーロー庁が、最終的に真稔秀春の死亡判定を下すだろう。誰も戻らない、ほかに身寄りのいないこの家は、いつかどこかの誰かに壊される。それを思うと、すべてを投げ出してここに残りたい衝動にかられた。
 ここには両親と祖母の思い出の品も、たくさんあるのに。
 庭には、両親と祖母が大切に育て、ヒデが引き継いだ花の鉢植えや植木だってあるのに。
 蕎麦屋の大将が亡くなる前に譲ってもらった、秘蔵の漫画コレクションもあるのに(漫画の中身は、暗殺者やマフィアが活躍するものばかり。大将は決して荒っぽい人柄ではなかったが、アウトロー願望があったようだ。ヒデ自身、大将のお勧めもあり結構読み込んだ)。
 きっといつか、全部いらないものとして、どこかの誰かに処分されてしまう。そう思うだけで、ヒデは泣きそうになった。

 駄目だ。思いをはせている場合ではない。ここにいたところで昔には、普通の暮らしには戻れない。大切なもの全てを持ち出すことはできない。この鞄に入るだけで精いっぱい。そしてこの家で共に暮らしてきた家族には、申し訳ない気持ちでいっぱいだ
 「みんな。ごめんなさい。そして、行ってきます」
 涙をこらえて、仏壇にある家族の遺影に深く一礼したヒデは、振り返らずそのまま家を出た。鍵をかけ直して、家に向かってもう一度、礼。もう、振り返ってはいけない。そのまま足早に荷物いっぱいの鞄2つを抱え、車に待たせている仲間の元に戻った。
 


 鯖ガ岳市に戻る途中、今度は菜種町の24時間営業スーパーに立ち寄る。ヒデはインスタント食品などを中心に、長持ちする大量の食材を購入した。
 「向こうで食べるものを確保しておこうと思って。待たせてしまってすみません」
 威蔵たちにヒデは謝った。
 「気にしないでくれ。軍師。俺たちがエトフォルテの食料を食べるのは気が引ける。買い物を任せてしまい、すまなかった」
 それは無理のないことだった。威蔵たちはお尋ね者として顔が知られていたから、車の外に出られなかったのだ。
 最後にヒデは、自動販売機で飲み物を4人分買った。日本茶のホット缶だ。
 これを飲んで車を走らせたら、あとには退けない戦いが始まる。それをわかっているからか、皆黙って車の中で、お茶を飲んだ。
 空き缶にかすかに残る温もりを惜しむように、後部座席にいるまきなが飲み終えた缶をそっと握りしめている。日本を離れることへの恐れ、寂しさを感じているのかもしれない。
 「博士。体調がすぐれないのですか」
 隣にいるアルの問いかけに、そっと笑うまきな。
 「大丈夫よ。あなたがいるもの」
 まきなは、運転席にいるヒデを促した。
 「行きましょう、ヒデ君」
 「そうですね」
 ヒデはゆっくりと車を発進させる。走り出してしばらくしてから、助手席にいる威蔵がカーラジオを入れた。
 春の日の別れを惜しむ日本の歌が、車の中に流れる。外では桜の花が風に吹かれ、散っていた。
 


 サブルカーンに途中で購入した食料を載せて、すべての準備が完了した。ヒデは持ってきた金で缶詰の代金を払おうとしたが、工場長はそれを断った。
 「その金がいずれまた必要になるかもしれない。缶詰の代金は気にしないでくれ。孝洋のこと、よろしく頼む」
 工場長たちは、動き出したサブルカーンに手を振った。ヒデたちも海上で手を振って、別れを惜しんだ。陸が見えなくなってから、ヒデとドラクローは孝洋に話しかけた。
 「本当に良かったんですか。家族の側にいなくても」
 「俺は家族を尊敬している。工場の皆は家族同然だ。大切な家族みんなが作った缶詰をエトフォルテはうまいと言ってくれた。
 嬉しかったよ。風評被害でみんながそっぽを向いた中で、あんたたちだけが食べてくれた。
 それだけで、命を懸けて戦う価値がある。戦い方はこれから覚える。戦いがダメなら、雑用でも何でもやるよ」
 孝洋の口調には、単なる物見遊山で付いてきたのではないという、確固たる意志が感じられた。
 「俺たちみたいなキャラクターが好きだから、ってのは?」
 「それもある」
 「あるんですか」
 ヒデには、あまり理解できない感情だった。呆れ気味につぶやくそばで、ドラクローも呆れている。
 「アニメの世界に行って、あんたたちみたいなキャラクターと冒険する。そして一緒に仲良くうちの缶詰を食べるのが、小学3年生まで俺の本気の夢だった。
 まあ、理由はあと一つある。ヒーローがやたら得して、俺たちみたいな一般人が泣きを見るような状況に、一矢報いたいと思っていたんだ」
 缶詰工場の一件とは別で、孝洋もヒーローに異を唱えたくなることを体験したという。
 その辺の事情は省略させてほしい、誓ってエトフォルテの防衛活動に支障をきたす事情ではないから、と孝洋は言ったので、ヒデたちも強いて聞かなかった。
 「ヒーローの都合に振り回されて、泣きを見るのはもうたくさんだ。そこに、子供のころから好きだったアニメみたいなエトフォルテが、ヒーローに泣かされた。義を見てせざるは勇無きなり、てね。
 俺も頑張るよ。冒険の結末が、幸せであるように」
 アニメはともかく、孝洋も工場長と同じくいい人だと、ヒデは思う。
 ドラクローがふっ、と微笑み、孝洋の肩を叩く。
 「期待しているぜ。孝洋」
 水平線の向こうから、朝日が昇る。エトフォルテが目前に迫っていた。


 

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