エトフォルテがマスカレイダー・ターンを撃破してから、40日ほどが経過した。
サイバー攻撃の復旧と悪の組織との戦いに追われるヒーロー庁は、海上を航行する船舶に、絶対にエトフォルテのいる海域に近づいてはならない、と厳命した。
当然ほとんどの船舶はエトフォルテを恐れ、距離を取って航行している。
そんなある日の朝。
アメリカから日本に向かう一隻の貨物船が、エトフォルテがいる海域に接近し停船した。
停船した貨物船内では、船員たちがゴムボートを用意している。
ただのゴムボートではない。大型エンジンを積んだ、長距離航行が可能な特別製だ。
そこに、貨物船の男性船長が、船員ではない女性を連れてやってきた。
女性は30歳代。黒髪をきれいにまとめて帽子をかぶり、服は上下ともに防水加工のウェア。アメリカの軍・警察の防護服技術を応用した、高性能な民生品だ。大口径の拳銃で撃たれても、ヒグマにかみつかれても破けることはない。
そんな”現代の荒野を行く冒険家”ともいうべきスタイルに包まれた南国の血を引く体はしなやかで、日焼けした肌と相まってマリンスポーツのインストラクターのようである。
女性の名前を、ジューン・カワグチという。
先祖はハワイに移住した日本人。科学雑誌の記者になり、その後日本のTV番組に出演。今はアメリカのネットニュース記者になった、日本でも名の知れた人物である。
船員が船長とジューンに敬礼し、報告する。
「船長!カワグチさん!ボートの準備が整いました!」
ジューンは船長に礼を言う。
「船長。本当にありがとう。無理を聞いてくれて」
船長は苦笑い。
「あれだけあんたの会社から迷惑料をもらったら、断れない」
船長はすぐ真顔に戻った。
「カワグチ。本当に大丈夫か?宇宙人の船に近づいて」
「近づかないと取材はできないわ。船長。私がゴムボートを動かしたらすぐにここを離れて。絶対に戻ってきては駄目よ」
「ああ。申し訳ないが、私たちの船はここまでだ。これ以上近づくと、ヒーロー庁に何を言われるかわからない」
やがて、ライフジャケットを着たジューンがボートに乗り込む。クレーンが、ボートを船外に下ろし始めた。
船長はじめ、多くの船員がその姿を見送る。
船員が手を合わせて懇願した。
「カワグチさん!頼むから死なないでくれ!あんたが宇宙獣人に殺されたなんてニュースは、聞きたくない!俺たちみんな、あんたのファンなんだ!」
ジューンは軽やかなウィンク。そして手を振り、言った。
「Have a beautiful day(ハバァビューティフルデイ)!!」
そのままゴムボートは下ろされた。ジューンはエンジンをかけ、発進させる。
船長が目に涙を浮かべて呟く。
「なんて人だ。さよならどころか、私たちを案じて」
船員たちの中にも、涙ぐむ者がいた。
エトフォルテの指令室で、ヒデたちは接近してくるゴムボートを注視していた。
モルルが船外映像を映し出して解析する。
「乗員は女性一名。船の側面には、大きな白い旗が装着されています。軍師ヒデ。これは何を意味するのでしょう」
「地球で言うところの、『敵意はない』という意思の表れだと思います」
ボート上の人物はガスマスクをはめ、英語が書かれたメッセージパネルを持っている。
『Please put me on your ship.(私をあなたたちの船に乗せてください)』
メッセージパネルの内容を、ヒデは仲間たちに解説する。
ジャンヌが首をかしげる。
「ヒーローの関係者かな?」
「分かりません。装備が整っているから、遭難者にも見えない。とりあえず光学防壁(シドル)を解除し、乗せてみましょう」
エトフォルテ側面の搬入口を開き、ゴムボートを収容する。エトフォルテ側の者たちは、全員仮面をつけ武装状態で女性を迎え入れる。
ヒデが日本語で、持ち物検査をさせてほしい、と言うと、女性はそれを受け入れた。
バックパックの中にはビデオカメラ、ICレコーダー、デジタル一眼、スマートフォン、電子双眼鏡、タブレット端末とノートにペン。まるでジャーナリストだ。防水加工の軽くて頑丈なケースの中には、カメラ付きのドローン。ライフジャケットには、ウェアラブルカメラまでついている。
武器と思われるものは、ベルトに身に着けていたナイフだけ。
エトフォルテの検査機械で、持ち物に爆弾など危険な物がないことを確認する。ヒデがウェアラブルカメラの電源を切るように言うと、女性は素直に切った。
ヒデはあらためて女性に問いかける。
「あなたは、いったいなんのためにここに来たのですか。
ガスマスクは外しても大丈夫ですよ。地球人に害のある空気ではないから」
女性はガスマスクを外す。南国の、マリンスポーツが得意そうな美しい顔があった。
女性は上着から名刺を取り出す。
「おはようございます。私はジャーナリスト。ここには取材で来ました。宇宙人の話が聞きたくて。
とりあえず、名刺をどうぞ」
そこには、日本語と英語でこうあった。
スターライトネットワーク 日本特派員
ジューン・カワグチ
ヒデはその名前を知っていた。名前と顔が、記憶の中から呼び起こされる。
「もしかして大江戸TVの番組に出ていた、ジューンさんですか?」
ジューンが笑顔で答える。
「イエス!さすが軍師ヒデ。テレビにも詳しいのね」
ドラクローが質問する。
「ヒデ。この人を知っているのか?」
ヒデは答える。
「この方は日本各地を飛び回って、アメリカのネットニュースに情報を伝えています。
スターライトネットワークは、僕たちが向かっているアメリカのネットニュースサイトです」
ジューンは目の前に宇宙人がいるというのに、落ち着いて答える。
「日本が恐れる軍師ヒデに、ここまで紹介をしてもらって光栄よ」
ヒデ個人がTVで見た限り、彼女は好奇心旺盛かつ肝の据わった女性という印象だったが、現実でも変わらないようだ。
「うちの会社、まだ宇宙人の取材したことがないので、一番乗りしちゃいました。
いろいろ話を聞かせてもらえませんか」
突然の取材申し込みに、面食らうヒデたち。
見ず知らずの彼女にいろいろ話してよいものか。
そこに、遅れてまきながやってきた。心の部の仕事で遅れたのだ。
一応、アルと一緒に仮面をつけていたのだが、
「あああー!!ジューン!!なんでここに!?」
まきなが仮面を外して叫ぶ。まきなが大声で叫ぶのを、ヒデをはじめエトフォルテの仲間たちは初めて見た。
「は、博士!仮面を外すのはまずいですよ!」
ヒデが慌てて止めた時には、もうまきなの素顔が丸見えだった。
それを見たジューン。満面の笑顔を浮かべる。
「やっぱり!!まきな、ここにいたのね!」
このやりとり。まさか二人は知り合いなのか?
アルも仮面を外し、ジューンに挨拶をする。
「博士のアメリカ留学時代の親友の、ジューン・カワグチ様ですね。
私はバトルアイドールのアルファ。あなたのことは、博士から聞いていました」
ジューンの顔色がさらなる喜びの色を帯びる。
「まきなに似てる…。もしかして、まきなが作っていたヒーロー庁のアンドロイド?」
「そうです。博士は私を守るためにヒーロー庁を脱走しました。
エトフォルテの皆様と私たちは、ヒーロー庁の攻撃をしのぎ、アメリカを目指しています」
このやりとりに、ヒデもドラクローも、日本人の仲間たちも驚いた。
どうやら、彼女たちは知り合いらしい。
ドラクローたちエトフォルテのリーダー格9人と、ヒデたち日本人の仲間は、会議室に移動してジューンの話を聞くことにした。
会議室のセッティングの合間に、まきなとジューンは互いの近況を話し合っている。その間、アルがヒデたちに解説してくれた。
「ジューン・カワグチ氏は、博士がアメリカに留学していた時、取材で知り合った友達です。
当時博士は義肢開発で目覚ましい成果を上げ、アメリカの科学雑誌の取材を受けていました。その雑誌の記者が、彼女です。気が合って、プライベートでも仲良くしていたと聞きました」
アル自身はジューンと面識はない。だが、まきながアルの人工知能を育成する過程で、思い出話をいろいろ聞かせたのだという。
それを聞いた孝洋とマティウスは、ノリノリだ。
「あとでサイン書いてもらおうかな。俺の親、番組のファンだったから」
「Have a beautiful day!!」
マティウスの見事な発音の英語に、ハッカイが反応する。
「はばばびゅー?デザイナー。オメー何言ってんだ?」
「どうぞよい一日を、という意味よ。ジューン・カワグチの決め台詞。そう言って、番組を締めくくるの」
ジューンは数年前まで、大江戸TVという日本のTV局のレポーターだった。朝の情報番組で日本に旅行に来た、あるいは日本で仕事をしている外国人を取材し、応援していた。
「あれはいい番組だった」
そう言ったのは、テレビとは無縁に見える男。元神剣組の威蔵。
この言葉に日本人一同は意外な顔をした。マティウスが呟く。
「見てたのね、テレビ」
クールに切り返す威蔵。
「俺だってテレビくらい見る」
ドラクローが質問する
「ヒデ。大江戸TVってのは、ヒーロー庁とも関係が?」
ヒデは答えた。
「ヒーローの報道もそれなりにしますが、他局ほどではないですね」
日本の数あるTV局で、大江戸TVの規模はそれほど大きくない。ヒーロー庁やヒーロー経験者をあちこちで祭り上げるこのご時世。他局の番組で朝から晩までヒーロー経験者が出演していても珍しくない中、大江戸TVはヒーローに頼らず独自の路線でお茶の間の人気を獲得している。
マニアックなアニメ。渋い作りのドラマや旅番組。演歌・民謡・懐メロに特化した歌番組が売りだ。お昼の洋画劇場だってたまらない。とりあえずこの国のTVで見るものに困ったら、大江戸TVで間違いない、と和彦はよく言っていた。ヒデもそう思う。
孝洋がしみじみ呟く。
「大江戸TVかあ。年末の懐メロ歌合戦の熱量がやばいんだよなあ」
ヒデも同意する。自分の祖母も、蕎麦屋の大将たちも好きだった番組だ。
「歌手と共演する日本舞踊や立ち回りの剣舞もすごいんですよね」
「あ、ヒデさんもわかるかあ。
あれ、全国各地の団体が応募するんだよ。すごい競争率らしいぜ。昔、父ちゃんの知り合いが大漁節のバックダンサーで出て、教えてくれたんだ」
大江戸TVを熱く語るヒデと孝洋。
そばでうんうん、と頷くマティウス。
「大漁節つながりで、漁師さんのドキュメンタリーも熱いわ」
俺もわかる、と言わんばかりに、ふっと笑う威蔵。
「世代を問わずに楽しめる番組編成がいい。二時間時代劇も質実剛健なつくりだ」
アルも頷く。
「博士は子供のころ、大江戸TVで夕方に放送されていたアニメが好きだったそうです」
ヒデも夕方のアニメは小学生のころよく見た。
「博士はどんなアニメが好きだったのですか?」
「それは…」
まきなが慌てて叫ぶ。
「ちょっと!!アル!!アニメの話はトップシークレットで!!」
置いてけぼりにされたドラクローが、咳払いとともに仕切りなおす。
「大江戸TVが、みんなのお気に入りだということがわかったよ」
ちょっと日本人だけで盛り上がりすぎたようだ。ヒデは苦笑する。
ジューンは白い歯を見せて、笑った。
「一部の番組は公式サイトから無料で見られるから、よかったらエトフォルテの皆さんも見てね」
ジューンはここに来た事情を語ってくれた。
SLNの日本特派員であるジューンは、エトフォルテ墜落の少し前にアメリカの本社に戻っていた。だから、まきなが指名手配されたことは全く知らなかったという。お互いの仕事の都合もあり、やりとりはしばらく途絶えていた。
ジューンが日本に戻ってきた時、まきなは指名手配された直後だった。まきなの行方を探そうとした矢先、本社からエトフォルテへ乗り込み取材をしてみないか、打診があった。
「実を言うと、まきなを探すつもりで乗り込みは断るつもりだった」
すると本社から、こんな指示が返ってきた。
では、エトフォルテに捕まった撮影業者を取材し、内容を次の記者に引き継いでほしい、と。
その撮影業者は、
「ハイランドスコープ社の高島社長」
ドラクローがあっ、と叫ぶ。
「チーフ!無事だったのか!」
「無事よ。帰ってきてから1週間ほど隔離されたけど、社員全員元気。ヒーロー庁は罰を与えなかった」
この報告に、ヒデたちは全員安堵のため息をもらす。ネットニュースではチーフたちのその後まで触れられていなかったから、心配していたのだ。
ジューンが説明を再開する。
チーフは、自分一人がエトフォルテの尋問を受けたとヒーロー庁に説明し、取り調べにはすべて自分が答えたという。
「彼はこう言っていた。エトフォルテには日本人の協力者が複数いるらしい。そのうちの一人は、ステルス能力を持った機械のような女の子だと」
アルはチーフたちに直接姿を見せなかったが、ステルス機能を発動して撮影船を制圧していた。
「そこで、まきなが開発していたというアンドロイドを連想した。まきなはアンドロイドを女の子型に作っていると言っていた。
ヒーロー庁とトラブったまきなが、闇サイトを利用して宇宙獣人に協力するくらい、ありえそうな話だと思ったの。
サイバー関連の知識も人並み以上にあるし、闇サイトの存在はヒーロー関係者やマスコミには公然の秘密だから」
ジャークチェインのほかにも、闇サイトが今の日本には複数存在する。マスコミが特ダネ欲しさに闇サイトを利用しスクープを放つ一方、事件に巻き込まれてしまう事例もある、というのは、この1か月でヒデたち日本人がエトフォルテに教えたことでもあった。
どうして、ジューンはまきながエトフォルテに行くと信じられたか。
「まきなは獣人だからと嫌ったりしない。アメリカにいた頃、獣人相手に診察や手術もしていたのよ」
それに、と付け加える。
「まきなは立派な医者でもある。逃げる先に、残虐三昧なゲドーなんかは選ばないと思った。得体は知れないけど、話の通じそうなエトフォルテを選ぶ気がしたのよ」
ヒデは、ジューンの行動を理解した。
「カワグチさん。あなたは、博士を信じたのですね」
「当然。私は友達の人柄を信じている。そのまきなが生み出したアンドロイドも、ね」
まきながエトフォルテにいるかもしれない。かすかな希望を信じたジューンは、本社に戻って取材を改めて志願し、今に至る。
そして、現在の日本の状況をジューンは語ってくれた。
「あなたたち、日本政府とヒーロー庁に完全にヴィラン扱い、悪者にされているわ」
「覚悟はしていたが、やはりそうか」
ドラクローが落胆する。
でも、とジューンはエトフォルテを励ます。
「あの動画とヒーロー税全額免除のおかげで、国民の評価は50・50(フィフティ・フィフティ)てとこかしら。支持する人も少なくないわ」
ヒデは、エトフォルテが事前に送った通信のことを聞いてみた。
「それが、不思議なことに全く報道されていない」
ジューンはスマートフォンを操作して、ある資料を見せてくれた。
アメリカの電子新聞記事だ。日付は、エトフォルテ墜落の3日前になっている。
「アメリカでは墜落の3日前にエトフォルテの接近を、冥王星から土星にかけて展開している偵察用人工衛星で確認していたことが報道されている。あなたたちの通信を理解していたかどうかはわからない」
そして、エトフォルテを撃墜したという衛星兵器については、
「日本でもアメリカでも、そんなのがあるのか?という話題しかない。この船を壊せるほどの衛星兵器は、国際条約で禁止されている」
タイガが首をかしげる。
「そういえば出会った頃のヒデも、ヒーローたちも言ってた。本当か?」
ジューンは頷く。
「昔は結構上がっていたの。地球に落ちてくる隕石を壊すためとか、いろんな理由でたくさんの強力な衛星兵器が作られた。
でも、それらが悪の組織に奪われたり、誤作動を起こしたりで、地上の都市でいくつも被害が出た。それ以来、この星で衛星兵器は厳しく規制されている。それまで上がっていたものも回収された。人工衛星やロケットを打ち上げるときには、指定機関で厳密な審査を経てからでないと上げられない。
だから、不可視機能をつけた強力な衛星兵器が存在すること自体、ありえないのよ。
何より、今もそれが健在なら、宇宙からエトフォルテは撃たれている」
そう。この1か月みんなそれを心配していたのだ。
あれだけの威力なら、宇宙から海に浮かんでいるエトフォルテを攻撃することもできたはず。それがないのはどういうことか、と。
ジューンに聞いても、その答えはまだわからないようだ。ヒデは話題を切り替える。
「衛星兵器のことは、今後も調べることにしましょう。
ジューンさん。SLNがあなたを派遣した理由は、本当に宇宙人の話を聞きたかった”だけ”ですか?」
海外の事にはあまり詳しくないヒデだが、アメリカのことはそれなりに知っていた。留学を志していた和彦が、いろいろと教えてくれていたからだ。
「日本政府とヒーロー庁が敵と認定した宇宙船に、アメリカ人のあなたが乗り込めば外交問題になりかねません。アメリカ合衆国は、過去に宇宙人や宇宙生物を相手に、大規模な戦闘を繰り広げている。宇宙人との接触は、日本以上に敏感なはず。
ほかに理由が、あるんじゃないですか?」
ふた昔前の映画のネタになるような、宇宙人・宇宙生物との大規模戦闘が、アメリカでは実際に起きていた。民間人や軍隊だけでなく、アメリカのヒーローにも多数の死傷者が出たという。
この質問に、ちょっと驚いたようなジューン。
やがて、にやりと笑った。
「まきなが行動を共にするだけのことはある。軍師の名に恥じない洞察力ね。
本社が派遣した本当の理由。それは、日本政府とヒーロー庁を疑ったからよ」