ターンを撃破し、ヒーロー庁の追撃を封じたことで、エトフォルテ内の雰囲気は一変した。油断禁物とはいえ余裕が生まれ、住民たちの表情も墜落当時よりは明るくなった。
ヒデの軍師としての仕事も、変化した。
軍師としての自分をドラクローや威蔵らに鍛えてもらう一方で、みんなの要望を確認し、衣食住の課題を改善していく。心の部の団長であるムーコの助力を得てエトフォルテ流の料理のレシピや好みの味付けを習い、時には住民たちの喧嘩の仲裁もした。
こういう状況なので、喧嘩が起きるのは仕方ない。だからこそ、ヒデはドラクローたちともよく話して決めた。住民の困っていること、改善してほしいと頼まれたことには、素早く対応しよう、と。ちょっとした喧嘩が遺恨となり、あとで取り返しのつかない過ちに…、なんて事態を避けるためにも。
そのために、日本に古くから伝わる“目安箱”方式を採用した。目安箱は問題発見と解決のために大いに役立った。
軍師活動の合間に、ヒデはエトフォルテ特有の息抜きを楽しむことも覚えた。
それは、入浴であった。
ターンを撃破して間もないころ、シャンガインに壊された公衆浴場の修理が完了した。その時のエトフォルテ人たちの喜びようは踊りださんばかりで、何人かは本当に踊っていた。
十二兵団の団員個室にはシャワーがある。けれど、ほとんどの団員は船内の公衆浴場に入りに行く。そして、幸せいっぱいのさっぱりした顔で帰ってくるのだ。
なんでそんなに幸せそうなのか。ターンを撃破して間もないころ、ドラクローに聞いたら、こんな答えが返ってきた。
「宇宙空間にいるときは、水が補給できないから入浴が制限されてるのさ」
節水のため、個室のシャワー使用量や公衆浴場の使える日時が厳しく決まっていたのだ。それ以外の日は、全身を消毒する光のシャワーを十数秒浴びてお終い。これはこれでさっぱりするんだ、とドラクローは言った。この光のシャワー、地球人には強すぎて一瞬で日焼けして大惨事になるから絶対にやっちゃダメ、とあとでまきなに止められた。
海上にいる間は水を補給し放題だから、毎日公衆浴場が使える。大きな風呂に入れる。みんなそれが嬉しいのだ。
ちなみに、エトフォルテは海水を補給するとき、海洋生物を極力巻き込まないよう配慮している。公衆浴場などで使われた水は船内で浄化して、船体の冷却水に使うなどできるかぎり再利用している。さらに、海水を分解して発生する塩などの物質も、船内の生活に役立てている。
「僕たちも入っていいですか、公衆浴場に」
ヒデが質問すると、ドラクローはあっさり言った。
「いいに決まっているだろ。仲間なんだから」
というわけで、ヒデは仲間になった日本人たちとともに公衆浴場に行った。
大浴場の構造は、日本の銭湯とはちょっと違う。
男女別に分かれた脱衣所で湯浴み着を渡されるので、それを着る。
その後個室形式の洗い場で体を洗ってから、大浴場に向かう決まりだ。
日本の銭湯と決定的に違うのは、入っている者のほとんどはエトフォルテ人。マティウスの言葉を借りれば「動物人間さん」ということだ。
首から下の体毛の生え方は日本人のそれとはずいぶん違う。ドラクローの体は岩のように硬そうな鱗。タイガは黄色と黒の文字通り虎模様の毛色。首から下の体約7割の面積が、種族名にもなっている動物の体毛や鱗で覆われている。さらに、尻尾や翼がある。
はじめて大浴場に入ったヒデをはじめ、日本男児5名は息をのむ。
「初めて出会った時から首から下の違いは意識していたけれど、改めて裸を見ると驚きです」
ヒデの驚きに威蔵が続く。
「ああ。皆いい体をしている。たるみもなく、極端な筋肥大もない。エトフォルテ全体で実用的な体作りがなされているな」
ヒデ自身は体作りとは別の意味で驚いていたのだが。
孝洋は意外にも真面目な回答をする。
「俺もびっくりしたけどさ。地球人にだって、いろんな体型のやつがいる。それと同じことだよ」
一方、動物人間大好きのマティウスは、涙を流して合掌。
「風呂から始まる異文化交流―っ!!」
そばで時雨が引いている。
「ヒデさん。マティウスさんは何を言っているんでしょう…」
小学5年生に、マティウスの言動は強烈に映っているようだ。
「マティウスさんは、エトフォルテに来たことが嬉しいんですよ、とても」
ヒデはそう解説する。
次いで入ってきたドラクローは、ヒデたちの裸を見て一言。
「そろいもそろって、つるっつるだな」
馬鹿にするでも、軽蔑するでもない、率直な感想のようだ。何がどうつるっつるなのかは、あえて言うまい。
お湯は、日本人には少々熱く感じるくらいの温度。エトフォルテではこれが普通なようで、皆浴槽の中でゆったりした表情を浮かべ、穏やかに雑談を交わしている。日替わりでいろいろな薬草を投入する、薬湯専用の浴槽もある。今日はリラックス効果の高い薬湯だそうで、ハーブティーのような香りがする。効果は間違いなく高かった。くつろぎすぎて、薬湯の中で思わず寝てしまいそうになるほどに。
そして、風呂から出ると休憩所。広々していて、利用者がくつろぐためのテーブルやベンチだけでなく、部族ごとに違うマッサージ機が置いてある。部族ごとに尻尾の形状も違うし、鳥族には翼がある。同じマッサージ機がないのは当然だ。尻尾や翼も適度にもみほぐすと体の調子が良くなるらしい。
日本人向けのマッサージ機がないのはちょっと寂しいが、仕方ない。
休憩所ではセルフサービスで、麦茶そっくりなエトフォルテのお茶が飲める。女湯から出てきたまきな、アル、翼とも合流し、ヒデたちはお茶を飲む。よく冷えたこのお茶は、汗をかいた体にちょうどいい。休憩所には果実の生搾りジュースもあり、こちらはみかんやブドウに似た味わいだ。
礼仙兄妹はお茶片手に、幸せそうな笑顔を浮かべる。
「いいところですね。こういうところ、久しぶりです」
時雨が呟き、翼がうんうん、と頷く。
一方、孝洋は残念そう。
「コーヒー牛乳はないんだな」
そもそもエトフォルテにはコーヒーがなかった。牛乳に近いものはあるが、ここでは出されていない。
マティウスは困り顔。
「それ、言わないでよ。飲みたくなるじゃない」
彼も風呂上りにはコーヒー牛乳派であるらしい。
威蔵がさらに呟く。
「麦茶や牛乳もいいが、風呂上りにはスポーツドリンクというのもいい」
それな、と孝洋が頷く。スポーツマンらしい会話だ。
言われてみれば、スポーツドリンク的な飲み物がエトフォルテにはない。
「スポーツドリンクって作れるかな、ヒデさん」
孝洋の質問にヒデは考え込む。
「水、塩、砂糖はある。あと、氷結粉砕したかんきつ類の粉もあると聞きました。混ぜ合わせたらできるかもしれません」
まきなとアルも話に乗ってきた。
「人体の水分補給に適した塩や砂糖の配合は、私たちが知っている。ぜひ協力させて」
「皆が美味しく飲めるスポーツドリンクを作りましょう」
そこに、エトフォルテの住民たちも入ってきた。
「新しい飲み物作ってくれるの?」
「おーいみんな!軍師たちが新しい飲み物用意してくれるって!!」
こうして、ヒデはみんなとスポーツドリンクを作ることになった。
それからしばらくして。
ドラクローたちのお墨付きをもらった後、スポーツドリンクは大浴場の休憩所に置かれた。
新しい飲み物のおかげで、利用者たちの会話も弾んでいる。明るい雰囲気もあり、ヒデは日本人の仲間たちともこれまでにない話をするようになった。お互いの好きな物や、これまで過ごしてきた日々の事を。
まきなは飛び級で日本の高校と大学を卒業して医者となり、アメリカ留学前は東京の病院で働いていた。留学先では獣人保護団体の依頼を受け、獣人向けの義肢を作り手術にも参加したという。
マティウスの母親は歌手で、彼は幼いころから歌や踊りを習っていた。自作の衣装でカラオケ大会に出て優勝もしたとか。
ヒデも和彦との思い出を話した。
すると、孝洋が言った。
「俺、昔ヒデさんの映画見たかもしれない」
孝洋は友達の従兄弟の誘いで、ヒデの通っていた中学の学園祭に遊びに来たことがあったという。
どんな映画だ?と皆は興味津々。孝洋は少し考えこんでから、答える。
「蚊人間と殺虫剤メーカーが戦う映画だな」
ほかの日本人とバトルアイドールは『なんだそれは?』な表情。
それはそうだろう。たぶん一般的な中学生はこんな映画を撮らない。
ヒデは解説する。
「僕が中学時代に最後に出た映画です」
タイトルは『ビッグモスキート~やるカやられるカ~』。進化した蚊こと蚊人間と、殺虫剤メーカーの社員たちが戦うというホラーアクション映画。映像製作者である和彦の父親が、CMで使われた蚊の着ぐるみやマスクを映画研究部に寄付してくれたことで、作られた。
『虫対人類は永遠の課題。小説でも漫画でもネタにしたものは多い。俺たちの卒業作品にうってつけとは思わないか。か!カ!蚊、だけに!かっかっか!!』
和彦はそう言って笑い、最高の映画にするぞ、とヒデたちを盛り上げた。
彼の盛り上げ方には神がかり的なものがあり、一緒にいると本当に面白い映画が作れそうな気がするのだ。演技指導はスパルタン極まりないが。
翼がおずおずと質問する。
「ヒ、ヒデさん。蚊人間だったんですか?」
「違いますよ。僕は主人公。殺虫剤の開発者」
役作りのために殺虫剤メーカーの広報紙や昆虫図鑑を読み漁り、古今東西の『虫対人間』の映画を10本以上和彦たちと見たことをヒデは思い出す。
孝洋の解説は続く。
「殺虫剤を切らした主人公が、『こうなったら肉弾戦だ!!』って叫んで、蚊人間と殴り合うんだ。そのラストシーン、結構格好良くてさ。よくよく思い出したら、あの主人公ヒデさんだった」
なぜ今まで思い出せなかった、と威蔵に突っ込まれた孝洋は、端的に返す。
「10年近く前だし、今のヒデさんと全然イメージが違ったからだよ。ヒデさん、本当に役者だな。血まみれで蚊人間どついてた人とは思えない」
懐かしいやら恥ずかしいやらで、ヒデは苦笑いするしかない。和彦の演技指導が思い出される。
『みんな!バトルでおそるおそる動くな!客はみんなの配慮じゃなくて本気のバトルを見に来てるんだ。安全安心な演技を心掛けつつ、本当に殺すつもりで殺せーっ!!』
『俺は血のりをケチらない。なにせ相手は人の生き血をすする蚊人間だからな。ちょっと多いくらいがクオリティ上がる。俺のテンションも上がる。だからドバッと行くぞ、ドバッと!!』
和彦は無茶苦茶なことを言う一方、安全確保のサポーターなどを用意し、部員が怪我しないように何度も立ち回りをチェックしていた。出会った頃にはない、彼なりの気遣いがあった。
アルが首をかしげる。
「普通の人間と異形である蚊人間に、肉弾戦は成立するのですか?殺虫剤で決着をつけたほうが効率的では?」
マティウスが言う。
「それを成立させ、盛り上げるのが映画にしてドラマの醍醐味よ」
アルは、少し寂しそうに呟く。
「…私には、まだそれを理解するだけの映画の視聴記録が足りないようです」
孝洋が場をとりなす。
「なら、これから見ればいい。とはいえ、エトフォルテで映画は見れないよなあ」
エトフォルテから日本のインターネットサイトは見られるが、さすがに映画視聴サイトに登録するのは無理がある。エトフォルテは日本円を払えないからだ。
威蔵が、静かな口調でアルを励ます。
「焦ることはない。アメリカに行けば山ほどある。映画の国だからな。修理の話が上手くいけば、息抜きのためにアメリカ政府が映画くらいは見せてくれるかもしれない」
アルの表情が明るくなる。
「わかりました。その時を待ちます」
生みの親であるまきなも、明るい表情で言う。
「その時は、お勧めの映画を皆で選んで鑑賞会、なんてのもしたいわね」
翼がおずおずと手を挙げる。
「に、日本のアニメ映画は、あるでしょうか」
翼は小学4年生。アニメが好きな年頃だ。ヒデは笑って言った。
「きっとありますよ。日本のアニメは世界で大人気ですから」
それからさらに、1週間ほど経過した。
ヒーローたちの襲撃は、幸いにしてない。
今日も一安心だ、と思いながらヒデが大浴場に入ろうとすると、大騒ぎになっている。
何が起きたのか。先に来ていたドラクローに聞くと、こんな答えが。
「マティウスがパラライ湯(とう)で気絶した」
炭酸発泡性の薬湯「パラライ湯」は、地球の入浴剤とは比べ物にならないほどの炭酸発泡を誇る。マティウスは全身が弾けるほどの爽快感を味わい、文字通り意識が弾け飛んでしまったのだ。幸い、一緒に入っていた者が救助したので大事には至らなかった。
病室に見舞いに行くと、マティウスはうわごとのように呟いている。
「ああ。まるで電気ウナギの大群に、ボディーブローを絶え間なく浴びせられたような衝撃だったわ…」
電気ウナギはボディーブローできないと思うのだが。
医者のまきなは、呆れている。
「私も女湯で入ったけど、地球人の肌には刺激が強すぎると思ってすぐ出たわ。気絶するまでつかることなかったのに」
「エトフォルテの皆が気持ちよさそうに入っているんだもの。しかもお風呂の色は、ロゼ。バラ色、しかもめっちゃいい香り。いいお酒そのものの香りが。そこにきめ細かい泡が絶え間なく立ち上っているなんて、素敵じゃない」
マティウスの表現に苦笑いするまきな。
「確かに見た目は素敵だったけど」
そう。パラライ湯は、見た目だけならとても美味しそうなスパークリングワインそのものだった。ヒデも、スパークリングワインを風呂に入れたのかと一瞬誤解したほどだ。
「刺激強めだったけど、我慢して浸かったらいいことあるかなって。でも、反省。皆に迷惑かけちゃった」
ヒデとドラクローは、落ち込むマティウスを励ました。
「助かったんだから、これ以上気にすることはないですよ」
「そうだぜ、マティウス。皆で入る風呂なんだから、必ず誰かが助けるさ」
とはいえ、この一件で地球人とエトフォルテ人の体質の違いが如実にわかったので、その後薬湯に入るときみんなが細心の注意を払うようになったのは言うまでもない。
パラライ湯は投入量を調整すれば地球人でも楽しめるとわかったので、あとでヒデもゆっくり浸かって炭酸発泡を楽しんだ。
もっともマティウスは気絶したときの感覚が呼び起こされたようで、パラライ湯の前ではひどく赤面して入らなくなってしまったが。