「いい年して便所で寝るとは!!間抜けだぞ!!」
20年ほど前。ヒーローになって怪物と戦い、タレント同然の扱いでTVに出てもてはやされ、豪華な食事で接待漬け。
ある時接待で飲みすぎたマスカレイダー・ノーザンライトこと七星篤人(しちせい・あつと)は、翌朝実家の便所で目を覚ました。
寝室と間違え便所に入り、便器を抱き枕のごとく抱いて夜を明かしてしまったのだ。息子のヒーロー活動を黙って見守っていた父は、七星の人生史上初めて激怒した。
父は工事現場の交通誘導員。雨の日も風の日も工事現場に立ち、市民とトラブルにならないよう作業員と車を誘導し続けた。男は黙って、を地で行くとても古いタイプの人間で、必要なこと以外話さない。
そんな父が、本気で息子を正座させて、怒鳴りつけた。
「良く聞け篤人。世間はお前を尊敬してるんじゃない。ノーザンライトが強いから、怖いから、頭を下げて酒を飲ませておだてているんだ。なぜそれがわからない!!お前は今堕落の一歩手前にいる!!TVでも調子に乗っているのが見てわかる!!だから酔っぱらって間抜けな顔して便所で寝るんだよ!!」
二十歳を過ぎた男に細かく注意するのは、親子と言えども野暮だから今まで黙っていた、と父は言った。
「気にしていたならもっと早く普通に言ってよ」
七星が訴えたら、父はさらに怒鳴った。社会に出たら己を律するのは当たり前。ヒーローやると決めたならなおさら。言わなくてもふつうは自分で気づいてやらなきゃ駄目だ、と。
俺はヒーロー以前にまだ大学生だ、社会人じゃない、と訴えたら、今度は拳骨で殴られた。
「大学生もヒーローも関係ない!公の場に出たら、己を律して人のために働く責任を誰もが負う。あんな風にチヤホヤされていてはいつかお前は駄目になる!誰よりも汗をかいて働かなきゃ、いつか見放される。便所の中で間抜けに目を覚ますより、ひどい目にあう!俺が殴った以上に痛い目に合うぞ!」
当時の七星は大学3年生。登山同好会の友人たちと山に登り、偶然見つけた洞窟の中で光る石を見つけた。
同時に山奥に眠っていた怪物たちがよみがえり、光る石を手にした自分は超人となる力を得た。
あれよあれよという間に、ヒーロー庁の前身『日本ヒーロー支援協会』の人が来て、七星篤人はこの国の初代ヒーロー・雄駆照全(ゆうく・しょうぜん)に言われた。
「今日から君は、マスカレイダー・ノーザンライトだ」
石の力で変身した自分(今でも原理はよくわからないけど、超古代の鎧が装着されるのだ)の姿に、北斗七星(ノーザンライト)に似た模様が浮かんでいたからその名前になったという。
それから目まぐるしく始まったヒーローとしての日々。
協会のサポートを受け怪物を倒して市民を守り、TVに出て接待される。おもちゃ(日本ヒーロー支援協会が契約しているおもちゃ会社が作った)の宣伝ツアーもやった。
世は携帯電話(いわゆるガラケー)とインターネットが一般的になり、ヒーローの活躍は瞬時に市民に情報共有されるようになっていた。いい情報も悪い情報も、嘘八百な情報も。ヒーローの失態を週刊誌が面白おかしく書くことも、珍しくなくなっていた。古い人間の父も、そんな世相を感じていたのだろう。だから本気で怒鳴って自分を殴ったのだ。
正直なところ、光る石のおかげで体が頑丈(どんなに疲れても風邪一つひかない。骨折も3日くらいで治る)になったから、父親の拳骨は痛くなかった。
だが、七星の精神に拳骨の衝撃は染み渡った。
ノーザンライトの怪物退治がひと段落を迎えたころ、日本ヒーロー支援協会は公的機関になる一歩を踏み出そうとしていた。日本中のヒーローを束ねる省庁『ヒーロー庁』誕生の瞬間である。
未知の組織で働くことを多くの人が躊躇する中、七星は思い切って立候補した。ヒーロー庁で働かせてください。これから生まれるヒーローたちを一生懸命支えますから、と。正直七星にタレント活動は性に合わなかった。父の様に現場を支えるほうが自分には合っている、とも感じたのだ。
やがて日本ヒーロー支援協会の一部の者が国会議員となり、天下英雄党が生まれた。議員の一人は後の総理大臣、高鞠爽九郎(たかまり・そうくろう)である。
天下英雄党が当時の与党『偉風満帆党(いふうまんぱんとう)』と政権奪取のシーソーゲームを繰り広げるのをよそに、七星はヒーローを支援するためのネットワークを構築し、各地にヒーローを派遣し、悪の組織の残党を狩るための仕事を続けた。時には自分も現場に出て戦った。
そう。これは七星篤人がヒーローになってから今に至る約20年間の、夢。
20年後の今。朝6時15分。
七星は、巨大ロボ型のヒーロー庁庁舎ビル内にあるオフィスの机で目を覚ました。便器ではなく、パソコンのキーボードを枕代わりにして。
がらんとしたオフィスの中には、七星一人だけ。
夜中の3時まで起きていた記憶はあるのだが、疲れて作業中に眠ってしまったらしい。
雄駆名誉長官と高鞠総理らは、クリスティア王国からやっと訪日出来たブロン国王夫妻と豪遊三昧。暗殺集団騒動のせいで国王夫妻は予定より早く帰国した。騒動はクリスティア側の護衛がケリをつけたこともあり、七星はほとんど関与しなかった。
なので相変わらず、首都圏の防衛対策に追われている。やってもやっても仕事が増えていく一方だから、ヒーローで体が頑丈な自分がなるべく仕事を引き受けるようにして、部下たちを家に帰すようにしていた。
エトフォルテのサイバー攻撃で被害を受けたコンピューターは、4割程度復旧した。通常業務だけなら、とりあえず支障がない。
だがサイバー攻撃以降、国内の悪の組織による犯罪は激増した。日曜日は、特に。ほとんどが『いたずら』レベルの軽いものだが、市民にしてみれば被害に軽いも重いもない。
ある悪の組織の怪人は、倒される前にこううそぶいた。
「エトフォルテがここまでやったんだ!俺たちだってやればできるところを見せてやろうと思ってよお!ざまーみろヒーロー庁!!」
いたずらレベルの犯罪でも、やっているのは警察や自衛隊では手に負えない怪人たち。防衛にあたるヒーローを選別し、派遣し、報奨金を払う。被害を受けた建物を復元(魔法少女フェアリンの技術を応用した建物の復元光線が、少し前に実用化した)し、市民に健康被害が起きていないか調査隊を派遣する。それが、首都防衛を担当する七星たちの仕事。
本当に、ざまーみろな状況になってしまった、と七星は思う。
エトフォルテが現れてから首都圏の治安は最悪になったと、雄駆名誉長官は言う。名誉長官は絶対的英雄だから、マスコミだって同じことを言う。
結果的にみんなが同じことを言う。
エトフォルテのせいで治安が悪くなった、と。
でも、本当にそうなのか。
眠い目をこすりながら仕事を再開しつつ、七星は思う。
データ上、犯罪が増えているのは事実。だが、エトフォルテが現れなくてもいずれこうなっていたんじゃないか。
日本では悪の組織が毎年現れてはヒーローに倒される。だが、逃げ延びた幹部や残されたアイテムがインターネット経由で新たな犯罪につながっていく。悪党を捕まえて倒しても、アイテムを処分しても過ちは繰り返される。なにせ毎年新手のヒーローと一緒に新手の悪の組織が生れる。ほとんどのヒーローは悪の組織を9割がた痛めつけたら活動を縮小するから、悪の根は伸びる一方なのだ。
この繰り返しを絶つために、ヒーロー庁はもっと警察や自衛隊とも連携して活動し、悪の根を徹底的につぶしていくべきだ、と七星は考えている。
が、雄駆名誉長官に言わせるとこうだ。
「お前はヒーローの力の限界を勝手に決め、警察や自衛隊に責任転嫁する気か?英雄的行いとは言えんな」
欧米ではヒーローの持つ技術を応用し、警察や軍隊が役立てている事例もある。それが結果的に悪党退治の迅速化につながるから、日本も参考にするべきだ。
と言ったら、
「欧米は欧米。日本は日本。日本はヒーローの国だぞ!警察や自衛隊に力を持たせる必要はない!」
名誉長官の話はそれでおしまい。
要するに、ヒーローの戦いに警察や自衛隊をかかわらせるな。ヒーロー庁だけでいい。ということだ。
まるで名誉長官は、悪の組織が暴れることを望んでいるようでもある。こんなことは本人の前でも部下の前でも、七星は絶対に言えないのだが。
あくび交じりに仕事を再開して10分後。オフィスの扉が開く。
誰か職員が早朝出勤してきたのか?
そこにいたのは、ヒーロー庁の職員ではない。天下英雄党の甘坂冴恵(あまさか・さえ)統制長官だった。冷静沈着な彼女は今日もビジネススーツをぴしりと着こなし、なぜか紙袋を抱えている。
七星は驚いた。
「甘坂統制長官。なぜここに?」
「七星部長はブドウパンが好きだと聞きました。差し入れです」
甘坂が紙袋を自分に渡す。おしゃれな紙袋から、焼き立てのパンの香りがする。久しく嗅いでいたなかった、パン屋のパンの香り!!コーヒー牛乳もセットだ。
「わざわざ私のためにパン屋に行ったのか?」
「私、朝はパンなので」
自分の朝食を買うついで、だったようだ。
「七星部長。職員を家に帰すために、仕事を引き受けて何日も泊まり込んでいるそうですね。体調が心配だと、職員から相談がありました。なので、様子を見に来たのです」
甘坂は政治アナリストの延長で、公的機関の組織マネジメントにも詳しい。ほかの省庁にアドバイスをしたこともあるという。
「あなたが倒れれば、ほかの職員の負担は余計に大きくなる。越権行為にならない範囲で、仕事量を見直させていただけますか」
天下英雄党とヒーロー庁が密接な関係にあるとはいえ、朝早く統制長官がヒーロー庁の事務室に入るのは、ちょっと問題な気がする。その点を指摘すると、雄駆名誉長官の許可は取りました、と返ってきた。
「名誉長官はクリスティアとの外交を気にされていたようで、わりと適当に返事したようにも見えましたが、許可は許可です。仕事量を見直させてください」
机に積まれた書類を二人で整理し始めて、20分後。
甘坂が書類を手に取り、七星に尋ねる。
「これは、逃亡した武智(たけち)まきな博士の追跡調査ですか」
「そういえば、君と武智博士は年も地元も近かったな。武智博士は静岡県で君は長野県」
「中部地方では、私と武智さんはライバルということになっているようです。全く面識はないのですが」
甘坂は飛び級でイギリスに留学し、政治の勉強をしていた過去がある。同時期に飛び級で留学した武智の名声はイギリスでも有名だったという。アメリカで人体に適した義肢開発技術を確立した日本人がいる、と。
甘坂が、咎めるような口調になる。
「武智博士の本職は義肢開発兼医者。そんな人に、戦闘用ロボットの開発をさせていたんですか」
「アメリカで彼女は軍用義肢の開発にもかかわっていた。戦闘用ロボット開発はその延長だよ」
「理屈はわかりますが」
「それに、雄駆名誉長官直々の指示だった。ロボットが成功すれば、それが義肢開発と普及に生かせる。彼女も喜んでいたのだが……」
「このプロジェクト。博士がヒーロー庁職員を殺害し逃亡するまで、天下英雄党に対しても極秘でしたね。なぜです」
プロジェクトも武智の指名手配も、少し前まで極秘だった。が、エトフォルテのサイバー攻撃復旧のためコンピューターの情報整理を行った際、天下英雄党の議員に情報が漏れた。今や政府の大勢の人間が知っている。
「なぜって……。名誉長官の指示だから」
「それ以上は知らないのですね」
「やけにつっこんだ聞き方をするな、君は」
甘坂がため息をつく。
「名誉長官はもともと強引な方でしたが、エトフォルテ墜落前後から、不自然な態度が目立ちます。私は天下英雄党を引き締める統制長官として、ヒーロー庁との付き合いを考えなければなりません。独断専行されては困ります」
「私に言われても困る。いや。これは言い訳だな。確かに名誉長官は強引すぎる。それを止められない私にも責任があるが……。甘坂統制長官。君は雄駆名誉長官が、武智博士に何かしたとでも言いたいのか」
「義肢開発と普及を兼ねた計画なら、天下英雄党にも情報提供してもらいたかった。医療の発展をPRできれば、国民にとってもいい話でしょう。それをしなかった。もしかして名誉長官は、博士とロボットをやましいことに使おうとしたんじゃないですか」
いくらなんでも疑りすぎだ。
七星は声を荒げる。
「ヒーロー庁の強引な部分は認めるが、名誉長官はヒーローだ。そんな恥ずかしいことはしない」
甘坂が真顔で言う。
「七星部長。本心ですか」
本心だ。ヒーロー庁防衛対策部長でもあり、元ヒーローとしての七星はそう言うべきだった。
だが、部長でもヒーローでもない自分が、言ってはいけない、と心の中で叫んでいた。
本当のところ、七星は雄駆の『英雄的行い』をあまり好きになれなかった。最近は、特に。
雄駆は七星の父に似て、男は黙って、をモットーとしている節がある。だが父と決定的に違うのは、ヒーローの名誉や栄光にとにかくこだわるところだ。新たなヒーローが生まれればヒーロー庁に取り込み、タレント同然の扱いで可愛がり彼ら彼女らの栄光を喧伝していく。そしてヒーロー批判を絶対に許さない(ただし悪の組織に寝返ったり、詐欺や不倫をしたヒーローは別である)。
職務を淡々とこなし、工事現場と市民の安全を優先し続けた交通誘導員の父とは違う。父の仕事の現場を七星は一度も見たことがない。だが一昨年亡くなった父の葬儀に、父と同年代だけでなく若い交通誘導員が大勢来たことに七星はかなり驚いた。
彼らは口々に言っていた。父は怒ったときは怖かったけど、怒るのは現場と市民の安全が脅かされる時だけ。だから怒られたことに感謝している。大きなトラブルなく工事を進められたから。あなたの父は交通誘導員の鑑だ。ヒーローの父親はやっぱりヒーローだ、と。
正直、今の自分は父に遠く及ばない。それ以上に、雄駆の振る舞いは父と遠くかけ離れていると感じる。
七星は今の立場さえなければ、雄駆に対し感じていることを正直に甘坂に言いたかった。
だが言った後で雄駆に知られたら、どうなるかわからない。
部長を解任されるかもしれない。そうなったら、首都防衛を頑張っている部下たちはどうなってしまうだろう。
言葉を選びかねていると、甘坂が頭を下げた。
「……すみません。言いすぎました」
「……いや。君の言うことにも一理ある」
これ以上の詮索は、お互いに良くないと感じたのだろう。
甘坂は黙って書類を分別し、15分後に再び声をかけてきた。
「これらの仕事は、職員にこう分担してください。七星部長。職員が出勤して分担が済んだら、今日は自宅に戻って休んでください。ヒーローも事務仕事も体が資本。総理がクリスティア王国との外交を終えた今なら、多少の余裕はありますから」
甘坂は事務室を退出する。
七星はうーん、と背伸びし、一休み。差し入れのブドウパンをかじった。
疲れ切った体に、干しブドウの甘味は強烈にしみ込んだ。コーヒー牛乳を一口飲めば、優しい甘みが喉元から全身に広がっていく。
時間をかけてゆっくりと、ブドウパンを食べ、コーヒー牛乳を飲んだ。これであと少し頑張れば、自分は家に帰れる。ゆっくり眠れる。
空腹が満たされていくにつれ、七星の内なる休息願望が沸き上がった。
そうだ。エトフォルテ問題がきれいさっぱり片付いたら、クリスティア王国で別荘を買おうか。日本近海の異世界で、海風に揺られて3年くらい休もう。これだけ頑張って働いているのだから、名誉長官だって許してくれる。たぶん、亡くなった父も。
いや、父は3年は長すぎる。堕落の始まりだ、というに違いない。盆暮れ正月以外は休まない人だったから。でも、別荘を買うくらいは許してくれると信じたい。
うん。それがいい。あとでリゾート開発のネット記事を見て、別荘の候補地を調べておこう。
同じころ。
七星が別荘購入を夢見る日本近海の異世界では、さらなる死闘が始まろうとしていた。