エトフォルテ防衛戦線ヒデ! 第73話 逆転の舞台裏

 話は、昨夜にさかのぼる。


 拘束されたエイルに、残忍な笑みを浮かべてステンスが迫る。
 「いひひ。お前はもう助からない。ここに助けに来る人間はいないんだよ!!」
 この男と婚約したのは人生最大の過ちだった。絶望するエイルの前で、ステンスが再び大剣を振りかざす。
 次の瞬間、矢が風を切り、ステンスの右肩を貫く。ステンスの自信たっぷりの顔は、痛みと驚きで崩壊した。
 さらに雷鳴のごとく肉薄し、ステンスのみぞおちに手刀を突き刺した者がいる。
 「人間と一緒に、バトルアイドールが助けに来ました」
 手刀を突き刺したのは、バトルスーツに身を包んだアル。駄目押しに電流掌底を発動。ステンスは完全に失神し、大の字になってばたり、と倒れた。さっきまでの威勢を思うと、相当間抜けな姿であった。
 森の奥から、弓を構え近衛騎士ウィリアムが仲間の兵士と一緒に現れた。ウィリアムはステンスが完全に気絶しているのを確かめ、縄と拘束具で厳重に縛り上げる。
 「近衛騎士の誇りを汚す愚か者め」
 そして、エイルの無事を確認した。兵士が外套をエイルに渡す。エイルは破られた服を見られぬよう外套をまとい、立ち上がる。
 エイルは気まずげに視線をそらし、詫びの言葉を口にした。
 「ウィリアム……。私(わたくし)、みんなを裏切った。情報をばらして……」
 ウィリアム、軽く笑って言う。
 「ご心配なく。詳しくはあとで説明しますが、まだ我々の作戦は終わっていません」
 ウィリアムは、自分の裏切りをまったく気にしていないらしい。エイルは狐につままれたような気分になり、質問する。
 「私がここにいることを、どうやって……」
 機械人形のアルが、事務的な口調で言う。
 「ヒデが言っていました。エイル・フェイスフルの様子がおかしい。スパイと内通しているかもしれない。私に追跡してくれ、と。風の魔術による高速移動で、一度は引き離されましたが」
 ウィリアムが補足する。
 「エイル様が脅されて敵に協力しているかもしれない。軍師ヒデはそう言っていた。ロボさんの索敵機能で、彼はいろいろ調べていたのです。僕たちは車で追いかけてきました」
 事の成り行きに驚くエイル。そして、先ほどステンスが『ここには車で来た』と言っていたのを思い出した。
 「しまった!ステンスの車に仲間がいるかも!」
 慌てたエイルにライトが言う。
 「姉さま。仲間はいないよ。ステンスは単独行動でここまで来た」
 エイルはとりあえず、ほっとした。気絶したステンスを今すぐ殺そうとしたが、アルに止められた。
 「この男はドラクロー団長、軍師ヒデ、リルラピス王女の指示で、生かして連れ帰ります」
 リルラピスの名が出ては仕方ない。
 ステンスが乗ってきた自動車は、黒塗りの高級SUVだ。厳重に拘束したステンスをトランクに叩き込むと、エイルとライトは後部座席に乗り込む。車はアルが運転した。


 エラルメの庁舎に戻ってきたエイルとライトは、リルラピスたちの前で、伏して謝った。
 「王女様。姉さまは僕のせいで脅されていたのです。僕を罰してください!」
 「いいえ。弟が生きていると言われて、作戦を明かしたのは私です。だから、どうか弟だけは!」
 リルラピスは二人を優しく慰める。
 「二人とも。もうよいのです。ライト。あなたが生きていてよかった」
 「いざというときに姉さまから情報を引き出すために、ステンスは僕を殺さなかった」
 するとパズートが、あっ!と叫んだ。
 「ちょっと待て。じゃあ日本での暗殺計画がばれたのも、エイルのせいか!あまりに早く敵が採掘場に来たから、ワシは仲間にスパイがいるかもと思ったが……!」
 パズートがエイルをにらみつける。
 エイルは不信感をあらわに反論する。
 「私は暗殺計画をばらしていませんわ!というか、暗殺部隊が日本へ密航するのを手配したのはパズート様でしょう。私が怪しいというなら、あなただって、いや、あなたが一番怪しい!」
 パズートが顔を真っ赤にして叫ぶ。
 「わ、ワシがスパイだって言うんかい!根拠は!」
 「もろもろの手配を担当していたあなたが情報をばらせば、ブロンが暗殺を阻止できるのも当然。それに、『やたら犯人探しをする人が実は犯人』というのが、推理小説の定番。ベタ!ですのよ」
 会議室に集まった面々がパズートをにらみつける。一番付き合いの長いリルラピスとウィリアムは悲しげだ。
 パズートは今にも泣き出しそうな声を上げる。
 「みんなやめてくれ!!ワシはスパイじゃない!!」
 ヒデは慌てて仲裁に入る。
 「エイルさんもパズートさんも、スパイではありません。二人ともクリスティアに残っていたから、日本で暗殺部隊がどう動くかをブロンに伝えることはできない。エトフォルテの墜落は、想定外でしたから」
 何より、ヒデたちは監督官を拷問し、オウラムへの増援を食い止めた。この中のだれかがスパイなら、拷問を食い止め増援が有利に動けるよう手を打ったはず。敵をだますには味方から、とはいえ、拷問を見逃し増援を攻撃するのは悪手でしかない。
 だから、今この場にいる王女様の仲間に、スパイはいないと断言できる、とヒデは解説した。
 一応、皆が納得する。パズートはほっとするも、日本での暗殺失敗が気になって仕方がないという顔。
 「じゃあ、なぜ日本での計画がばれたんだ」
 思い当たる答えが、一つだけヒデの中にあった。だが、今大事なのは、暗殺失敗の真実を突き止めることではない。
 「それはあとで考えましょう。重要なのは、今、これから、何をするかです」


 リルラピスが、暗い顔でうつむくエイルに説明する。
 「エイル。顔を上げてください。夕食に毒を混ぜる計画は、軍師ヒデがついた嘘です。スパイに備えたと、あのあと説明を受けました」
 エイルが素っ頓狂な声を上げる。
 「うそーっ!?」
 ヒデが頭を下げる。
 「申し訳ない。ドラクロー団長にも王女様にも内緒で、スパイを調べていたんです」
 ドラクローが苦笑する。
 「ヒデらしくない強引な計画だと思ったら、スパイ探しのためだったのさ」


 採掘場解放戦がバレた時から、ヒデは何らかの形で情報が洩れていると察した。
 通信機を持つスパイが、自分たちの中にいるのかもしれない、と。
 そして思った。今、こちらは通信阻害機(ジャマー)を起動し、敵の通信を妨害している。通信機が使えるようになれば、敵=スパイはきっと動く。スパイをあぶりだせるのではないか。
 だがこれをリルラピスとドラクローに伝えると、仲間を信じている二人は疑念が顔に出てしまう。とくにリルラピスが仲間を強く疑い出したら、スパイは絶対に動かない。
 強引な真似はしたくないが、スパイを早急にあぶり出さねばならない。
 あれこれ考えた末、ヒデはこう思った。仮面の軍師が秘策と称してブロンへの対処を、例えば『ブロンの食事に毒を盛る』などと説明したら、スパイは真っ先にブロンに伝えるのではないか、と。
 そのためには、スパイがブロンに情報を伝える環境を作らねばならない。
 まずヒデは、半次と話をする少し前から通信阻害機(ジャマー)を持つ十二兵団員に事情を話し、阻害を中断していた。
 さらにまきなとアルにこう頼んだ。アルの索敵機能で、エトフォルテ以外の通信電波を使う者がいないか探ってもらい、いたらヒデの通信機に伝えてほしい、と。
 機械の体を持つアルは、スマホなどの通信電波を探索・識別する機能を持っている。まきなのそばで治療活動を続けながら、アルはずっと通信電波を探っていた。そしてついに、自分たち以外の通信電波を突き止めた。


 ヒデは会議の場で、皆に説明する。
 「エイルさんはデストロ対策会議中、気まずそうにしてほとんど話さなかった。何かあるだろう、と思いましたが、あなたは王女様を裏切る人ではない。今裏切るとしたら、何らかの取引あるいは脅しだ、と。会議を中断した後、アルさんに通信を入れて、あなたの様子を見張らせた。その時にはもう、通信電波の出どころもつかんでいました」
 正直を言えば、ヒデは料理人として、料理に毒を盛るなんて提案したくなかった。だが会議の場にスパイがいるのを警戒し、さらにエイルの様子がおかしかったのを見て、強引に毒作戦を提案したのだ。
 「あなたが街を出るまで、背後をつけた男たちがいる。アルさんに捕まえてもらいました」
 それが、ガネットの酒場の主人と店員だった。主人たちは兵士が捕らえて痛めつけたら、スマホを取り出しスパイだと即座に白状した。


 こうして仲間たちは改めて、今後の作戦を考えることになった。
 ヒデは、ブロンの出方を改めて予想する。
 「ブロンは今、夕食に毒を盛られることを警戒している。そして、ステンスが帰ってくるのを待っています。こちらがどう出るか、ステンス本人の口から直接確認するつもりです。デストロに対しては、広域結界もあるから無理に手出しはしないでしょう」
 ブロンはデストロ対策をこちらに任せ、様子見に徹する。こちらの毒殺計画を阻止し、デストロがいなくなった瞬間に兵を繰り出す。あるいは、日本のヒーローに助力を依頼するだろう。
 「この状況をなんとかするには、私たちはデストロとブロンを同時進行で処理しなければなりません。その作戦を、改めてみんなで考えましょう」
 そのためにどうするか。
 デストロ対策はすでに話した
 『エトフォルテで神器に似せた電波を発信して呼び寄せ、主砲で仕留める』
 作戦でいい。
 問題はブロンだ。ステンスの声で偽の報告をしたくらいでは、もうごまかせない。偽映像作戦も見破られている。
 直接ステンスが顔を見せないと、絶対に信用しないだろう。
 

 会議にはさきほどの面々に加え、まきなとアルも加わった。オンライン会議用ディスプレイも用意し、エトフォルテからマティウスも会議に参加する。
 皆で今後の作戦を考えていると、エイルが提案した。
 「ステンスが私と弟を捕まえて首都に戻り、ブロンにこちらの作戦を直に説明すれば、話は簡単になるのでは?」
 おいおい、とドラクローがツッコミを入れる。
 「あいつを説得して仲間にするっていうのか」
 「馬鹿おっしゃらないで団長。ステンスは説得したって仲間になんてならない」
 吐き捨てるように言うと、エイルはまきなに言った。
 「まきな博士。エトフォルテでは変装用のリアルなマスク、なんてのも作れるそうですね。仲間の騎士たちが話していました。あれをステンスそっくりに明日の朝までに作ることは、できますか」
 「画像データをエトフォルテに送れば。でも、なぜ?」
 「ステンスと体格が似た男に皮マスクをかぶせ、声を真似させる。そして私たちを首都ティアーズの留置場に連れていく。私たちは捕まったふりをして、仲間を解放します。同時に王女様がティアーズに入れば、国民を一気に味方につけることができますわ」
 首都にいる国民の大半はリルラピスの帰還を待っている。王女の帰還を知れば、国民は一気に湧きたつだろう。
 パズートが質問する。
 「エイル。仮にやるとして、ステンスに化けるのは誰が?」
 「ステンスに体格および髪と目の色が近くて、芸達者な人」
 「すると中肉中背、黒髪黒目で芸達者な人か」
 「厳密な身長は、地球単位で174cm。1,2cmは誤差の範囲内で」
 元婚約者だった手前、地球に転移してからエイルはステンスに服をプレゼントしたことがある。身長はその時採寸したという。
 そんな都合のいい人材がいるのか。
 うーん、と皆が考える中、アレックスがヒデに言った。
 「軍師ヒデ。アンタ黒髪だな。仮面でわかんないけど。目の色もきっと黒だろうな」
 リルラピスが言う。
 「アーリィ。まさか軍師ヒデにステンス役をやらせるつもり?」
 「ダメ?偽映像作戦の時、結構演技できてたと思うよ」
 演技と聞いて、エイルの眉がピクリ、と動く。
 ヒデは身長を申告した
 「身長は169cm。ステンスとはだいぶ違います」
 エイルが目の色を変えて考え込む。
 「……いや。靴に詰め物をして、さらに足を怪我したと言い身をかがめて歩けば、5cmくらいはごまかせる」
 ヒデは、嫌な予感がした。
 黙って考えこむエイルの姿に、映画のネタを練っていた和彦の姿が、重なって見えた。
 しばしの沈思後、エイルが言う。 
 「この中ではあなたが、身長以外ステンスの体格に近い。目の色が黒。仮面越しでも顔の大きさに差は少ない。髪はあなたのほうがやや長いけど、顔を怪我したことにして包帯を巻きセットすればいい。それに、クリスティア語と日本語はほとんど変わらないから、声と顔をクリアできれば誤魔化せる」
 ヒデは焦った。
 「……僕が!?本当にやるんですか!?」
 エイルが目を血走らせて言う。
 「ステンスの話し方や性格は私が把握している。一晩かけてくせを仕込み、留置場まで私たちを連れていく。さらにブロンの前に姿を見せれば、完璧にだますことができますわ。面と向かって報告を受ければ、ブロンたちは安心する。連中が安心しているスキに王女様たちが乗り込み収容所を解放すれば、首都奪還はたやすい。なにせ国民の大半は王女様の味方。どうでしょう皆さま、この作戦!!」
 さっきまでの暗い顔はどこへやら。ドヤ顔を決めたエイルに、ヒデもリルラピスたちも圧倒された。
 ややあって、リルラピスが呟く。
 「……いけそうな気がします」
 ヒデはツッコミを入れてしまった。
 「するんですか!?」
 パズートが異議を唱える。
 「軍師が使っていたボイスチェンジャー、首輪型だぞ。そのままつけたら丸見えじゃないか」
 すかさず対案を示すエイル。
 「ならば、皮マスクに火傷の跡をつけ、軍師の首を包帯で覆う。口元は会話のため、バンダナを巻きましょう。私に抵抗されて顔を火傷した、と言うのです。火傷の跡をさりげなく見せられればなお良し!まきな博士、火傷の跡を再現することはできます?」
 「エトフォルテにいるマティウスに聞かないと……」
 エイルのノリに戸惑うまきなに対し、オンラインディスプレイ上のマティウスは即答。
 『やってみせましょー!』
 「ならば良し!!」
 ぐっと拳を握るエイルに、釘をさすまきな。
 「ならば良し、じゃなくて。演者の意志は尊重して」
 ドラクローがヒデに、小声で言う。 
 「ヒデ。断っちまえ。お前の身が危険だ。ほかの作戦を考えよう」
 ヒデは戸惑う。だが、それ以上に強い感情を覚えていた。だから正直に言った。
 「ドラさん。途方もない作戦ですが……。敵もまさかステンスが他人にすり替わっているとは思わない。敵が思いつかない作戦だから、成功するかもしれない」
 「やれるのか?本気か?成功しそうか?」
 ドラクローの念押しに、ヒデは覚悟を決めて答える。
 「やるからには、本気で成功させないと」
 顔に包帯を巻いた男が他人とすり替わっていた、というのは、地球ではベタなトリック。普通なら怪しまれるが、今はブロンにとっても非常事態。わが身の安全を確保できれば、他人に細かく注意を払わないだろう。
 何より、ブロンたちは音声と映像で二度だまされている。もう同じ手でだまされてたまるか、と身構えている。次も敵は音声あるいは映像でだましに来るに違いない、と。近衛騎士に直接なりすましてくる、とは思うまい。
 同時にヒデはエイルの振る舞いに、映画研究部の和彦の演技指導に似たものを感じる。無茶苦茶だけど、見た人をうならせるポイントを和彦は外さない。エイルも、たぶんきっと。
 やるしかないな、とヒデは覚悟を決め、全員に言った。
 「やります。ただし、長時間の誤魔化しは無理です。ステンスの立場上、ブロンに状況を報告しなければならない。細かい点を突っ込まれたらお終いです」
 なので、ヒデがティアーズに入ったらなるべく早くリルラピスに突入してもらいたい、と頼んだ。
 万が一ヒデを連れて逃げる補佐役として、アルをステンスの従者『アルフレッド』に仕立て、皮マスクをかぶせ同行させることにした。単独行動が許された近衛騎士なら、従者を一人二人雇い独断で従わせていてもおかしくない、というウィリアムの判断だった。アルは体格を変えられないが、もともとの声をベースに多少変化させられる。少年らしい声を出すこともできるから、あとは服で体格をごまかせば大丈夫だろう、ということになった。


 演技習得は後回しにして、ステンスに化けたヒデが城に入ってからのことを皆で話す。
 ヒデが入ってから1,2時間後を目安に、リルラピスたちが首都奪還部隊を率いてティアーズに入る。
 『ブロンによるバルテス国王暗殺の証拠をつかんだ』
 と触れ回り、国民と首都防衛騎士団を一気に味方につけるのだ。部隊の移動には、あとで威蔵と半次たちが調達してくるトラックやバスを使用する。
 この部隊の主戦力は、リルラピス、ウィリアム、アレックス、グラン、パズートを中心に、クリスティア側のメンバーを中心に組む。エトフォルテからはハッカイ、カーライル、まきな、孝洋、ジューン、さらに十二兵団の団員10人も同行する。
 問題は、乗り込んだ後である。ドラクローが懸念を示す。
 「ブロンとやりあう前に、幻惑魔術を使う王女様の叔母を抑えておくべきじゃないか」
 ドラクローの意見にウィリアムが同調する。
 「幻惑魔術は凶悪かつ危険すぎて禁術になったものだ。幻覚作用のある薬をガス状にして拡散させるという技もある。君たちの仮面の防毒機能で遮断できる保証は、ない。突入前に抑えておくべきだ」
 ヒデとアルが戦うのは無理がある。直接イリダと戦う以外の方法で制圧したい。
 皆で話し合ううちに、リルラピスがぽつりと言った。
 「叔母上は風呂好きだから、無防備になる風呂場で抑えるというのは?」
 政府に送り込んだ密偵の話だと、最近イリダは城内にこしらえた新しい風呂場で、朝から晩まで風呂三昧だという。
 風呂で抑える、と聞いて、ヒデは思いついた。
 「王女様。風呂を楽しむなら、入浴剤を使ったりしますか。炭酸発泡のものとか」
 「ええ。叔母上は私が王室にいたころから使っていました。我が国の入浴剤も良いですが、日本製も良いですね。私もずいぶん楽しみました」
 昔を思い出したのか、ちょっと楽しそうなリルラピス
 炭酸発泡が珍しくないなら、“あれ”が使えるかもしれない、とヒデは思う。
 「入浴剤がバラ色の、いい香りがするスパークリングワインみたいなものだったら、興味を示しますか」
 「間違いなく」
 「なら、“あれ”を風呂に大量に入れてみますか」
 「軍師ヒデ、そんな毒薬があるのですか?」
 ヒデは首を横に振る。
 「健康に素晴らしくいい薬湯です。ただし、それはエトフォルテ向けのもの。パラライ湯(とう)と言います」
 マティウスがモニターの向こうで赤面し、絶叫。
 『やあああだあああ!!ヒデ、思い出させないでよ~!!』
 その反応にクリスティアの者たちは、驚いて顔にはてなマーク。
 ヒデは説明する。
 「パラライ湯はエトフォルテの薬湯です。ピリピリとした炭酸発泡刺激で疲れをいやします。しかし、地球人には刺激が強すぎて、量を間違えると気絶します」
 ドラクローも同意する。
 「あれは入れすぎると、俺たちでも刺激が強い。昔我慢比べに使って、気絶した奴がいた。いいぞヒデ。そこを狙って気絶させよう」
 パズートが心配性丸出しの声を上げる。
 「こ、こんな作戦で本当に大丈夫か?入浴剤で敵を気絶させる作戦なんて聞いたことないぞ」
 それはそうだろう。だからこそ、とヒデは解説する。
 「食事に毒を盛られると、連中は警戒する。それ以外の場所、風呂場は安全だと思いこむ。そこを攻めるのです」
 ブロンへの報告を終えたら、アルが城内勤めのメイドに成りすまし、イリダの風呂にパラライ湯を大量に投入する、ということで決定した。


 その後。
 ヒデとアルがクリスティア城内で迷わないように、リルラピスが城内の簡単な図面を用意してくれた。
 さらに、ウィリアムがステンスの持ち物の中から鍵を取り出した。
 「この鍵は、城内にある近衛騎士専用の執務室のものだ。もしかすると、ステンスの部屋にバルテス様暗殺計画の証拠になるものが残っているかもしれない」
 「わかりました。城内に入ったら、執務室を探ってみます」


 パラライ湯やその他必要になるものをヘリで運んでもらうことにし、それぞれが準備を開始した。
 ヒデはステンスに成りすますための演技の習得である。気絶したステンスを叩き起こし、尋問を装って声を出させ、ボイスチェンジャーに声を複製した。声を複製した後、もう一度アルが電気ショックでステンスを気絶させる。ついでに、皮マスク作成のため顔写真を撮った。
 結局尋問で大した情報は得られなかったが、今後のための仕込みは済ませた。首都を解放した後、この“仕込み”がきっと役に立つ。


 ヒデは庁舎の一室を借りて、エイルと彼女の弟ライト、アルと四人になり演技修得を始めた。城内でヒデに同行するアルも、騎士の従者とメイドの所作を覚えるため、エイルの指導を受ける。
 エイルがアルに言う。
 「もしなりすましがバレた時は、ヒデを連れ生きて脱出するのですよ」
 アルが言う。
 「ヒデは絶対に死なせません。まだ私の声で、可愛いアニソンを歌ってもらっていないので」
 いつもの事務的な口調より、熱と力がこもっている。
 ヒデは焦った。今それをここで言わなくても。
 エイルが驚き、ドン引きした表情でヒデを見つめる。
 「何それ!?あ、あなたそんな趣味が!?」
 ヒデは慌てる。
 「趣味じゃないですよ!そういう約束で」
 「どんな約束ですか!」
 事の次第を説明すると、エイルは納得してくれた。いちおうは。


 さて。ヒデが仮面を外して素顔をさらすと、エイルはこんなことを言った。
 「顔の大きさもそれほどステンスと変わらない……。マスクができれば外見はごまかせる。あとは言葉遣いですわね。騎士らしく、ステンスらしく話せるようにならないと」
 早速、言葉遣いから演技指導はスタートした。エイルは国立魔術学院時代、演劇部に所属していた。高慢な女王とか悪い令嬢とかを演じたら右に出る者はいない、と、弟のライトがこっそり教えてくれた。納得の配役ではある。
 基本的な“騎士らしい”言葉遣いについては、すんなりお墨付きをもらえた。ヒデはお昼の時代劇の再放送や、海外の歴史ドラマ(吹き替え版)を蕎麦屋のTVで頻繁に見ていたから、時代がかった話し方にはなじみがあった。
 商店街のおばさんたちに
 「あのドラマのこの場面、真似してよヒデちゃん」
 と頼まれて、何度か真似したこともある。おばさんたちを楽しませたかったので、結構頑張った。その経験が今活かされた。
 アルの言葉遣いや所作習得は、機械の体だけありさすがの速さ。もともと事務的な口調で話すことも多いアルは、淡々と仕事をこなす城内の人間に化けるのにうってつけであった。
 問題は、ヒデが修得する“ステンスらしさ”。
 ステンスは裏に回ると相当残忍な男だったようで、ヒデはエイルから延々とステンスの悪行を聞かされた。これを踏まえてステンスらしさを出せ、というのが、ヒデにとっては苦痛極まりなかった。こんなひどい男になり切らねばならないとは……。正直、中学時代に演じた殺人犯のほうがマシだった。
 次第にエイルの要求はエスカレートしていった。
 「とにかく徹底的に残忍かつ下品な話し方をして!ほら、“いひひ”と笑って!!」
 「い、いひひ……」
 「下品さが足りない!!もっと!!」
 「……努力します」
 「努力ではなく義務です!そうそう。私を留置場に連行したら、本気でビンタしてくださらない?」
 ヒデは目をむいた。この人何を言い出すんだ!?
 「ビンタ!?できませんよ!!」
 「できるかどうかではなく、やれ!!ですわ!!」
 エイルの演技指導は止まらない。
 「周囲にあなたがステンスだと思わせるには、私との仲の悪さを見せつける必要がある。わかりやすいのは直接的な暴力!ステンスも今さら魔術は使わない。そもそもあなたは魔術が使えないから、ビンタでいきましょう。あいつはそのくらいやりかねないから大丈夫!!」
 「仲間にビンタなんて……」
 「ご心配なく。地球の男のビンタで怪我するほど、クリスティア人はひ弱ではありません。ご存じでしょう。だから遠慮なくあなたの全力をぶつけなさい!!私は痛くもかゆくもないから!!」
 どうしよう。ヒデは軍師になって初めて、仲間をやばいと思った。
 異世界に、和彦を超えた演技妄執人間がいる。
 そもそも、アクション映画だって殴り合いの流れにはこう殴って避けて……という筋書きがあり、原則寸止め。中学時代にアクション映画を撮ったときは、わざわざ町の格闘技道場に寸止めアクションを役者全員で習いに行ったのだ。
 『寸止めができないと大惨事になるからな』
 と、和彦はかなり神経質になっていた。実際、プロの現場で寸止めルールを理解せず、本気のパンチで相手を大けがさせた役者がいたという。
 できない、やりたくないと何度も言うが、エイルは本気でひっぱたけ、と意見を曲げない。
 結局ヒデは、
 「はい。やります」
 とは、言えなかった。言えるわけがなかった。
 演技だろうと異世界人だろうと、仲間を本気でビンタなんて絶対にしたくない。本気で練習するから、寸止めでやらせてほしい、とお願いした。寸止めビンタと同時にエイルが甲高い悲鳴を上げて吹っ飛ぶ、という場面を、留置場で見せるのだ。
 その後もエイルによる鬼のような演技指導が続き、4時間後にやっとお墨付きをもらえた。かなりリアリティのある寸止めビンタも習得できた。
 エイルが休憩のため部屋を出ると、ライトが話しかけてきた。
 「ヒデさん、姉さまがごめんなさい。無茶苦茶な演技指導で……」
 ヒデは苦笑する。
 「ご心配なく。慣れてますから」
 正直大変だが、たぶん和彦がここにたらこんな感じだろうな、とヒデは思う。和彦の演技指導もスパルタだった。エイルはそれ以上だが。
 とにかく表現に妥協しない。和彦はよく言っていた。
 『命のかかった状況で、コンプライアンスに配慮しながら敵と戦う主人公なんてありえない!!コンプラ、情け、配慮。お客さんのカタルシスを思うなら、そんなの全部可燃物として捨てろ。そして怒りの炎で燃やせ!!』
 ブロンやステンスへの怒りは、ヒデにもある。大変ではあるけれど、ヒデ自身も怒りを燃やし、頑張ることにした。
 そばでアルは、興味津々、わくわくといった表情で演技指導を見つめていた。


 そして、夜明けの約2時間前。
 車両を取りに行った威蔵と半次たちが帰ってきた。
 車両基地で車両と武器を手に入れただけではなく、思いがけない収穫があった。復興支援でユメカムにやとわれていた車両整備師たちが、基地に閉じ込められていたのだ。採掘場で助けたヒョロや甲野と同様、純粋に復興支援を申し出た男たちである。デストロ出現を聞いた基地の監督官たちは、整備師達を閉じ込め逃げ出していた。
 助けられた整備師たちは、皆協力を申し出た。俺たちを置き去りにしたユメカムを許さない。ほかの基地からも車両を手に入れて、あんたたちを手伝ってやる、と。引き続き威蔵と半次は、各地の整備基地から車両などを集めて仲間を支援することになった。


 さらに、エトフォルテからヘリで、ジャンヌが支援物資とともにやってきた。ヒデたちが使うユメカムのスマートウォッチ(マークⅠ)もある。肝心の皮マスクも無事完成した。
 マスクをはめてから、まきなが包帯も使ってヒデの髪形をセットしなおす。
 そしてヒデは、ボイスチェンジャーを作動させて二、三話してみる。
 エイルは会心の笑みを浮かべた。右手をうずうずさせながら。
 「お見事です、まきな博士。今にもひっぱたきたくなるほどの憎たらしさを出せましたわ」
 演技指導を見届けたアルも頷いている。
 「聞いているだけで、私も怒りが湧いてきました」
 さらに満足げに頷くエイル。
 「機械も感じる腹立たしさ。これなら絶対、ブロンも騙せる!!ええ、私の右手が怒りで唸る!!」
 「私の右手も自動的に迎撃態勢を取りそうです」
 こういう反応をもらえるということは、役者冥利につきるというか、勘弁してほしいというか。ヒデはステンスの顔で苦笑いを浮かべるしかない。まさか機械のアルまで嫌悪感を覚えるとは……。
 軽い口調で制止にはいるまきなの目は、笑っていない。
 「アル。エイルさん。本当にヒデくんを叩いたら怒るからね」
 
 これが、昨夜から現在に至るまでの出来事だった。
 

 

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