エトフォルテ防衛戦線ヒデ! 第72話 ブロンの夜明け

 デストロの侵攻と時を同じくして、首都ティアーズにあるクリスティア城。
 ブロンの近衛騎士ステンスが、黒塗りの高級SUVを運転して戻ってきた。
 ステンスは従者とともに、捕まえたエイルとライトを城の敷地内にある留置場に連行していく。ブロンに反抗的な騎士や市民を収容するためのもので、捕らえられた者は300人をくだらない。
 留置場の正面広場には、ブロンの像が飾られている。ユルリウス神像に代わり、いずれクリスティア王国全土に飾られる像の第一号で、金箔に覆われた特別製だ。豪華な衣装に身を包んだブロンの勇ましい立像は、留置場の守護神を思わせる。像は太陽の光を浴び、ブロンの威光を示すかのように輝いていた。
 ステンスに連行されるエイルとライトの服はズタズタに斬り裂かれ、歩くのもやっと、という体だ。縄で縛られ、かろうじて動く足で石造りの廊下を力なく進んでいく。
 牢番の兵士が、やってきたステンスの姿に目を見張る。
 ステンスは頭と首に包帯を巻き、口元を大きなバンダナで覆っている。けがをしたのか、足もとがおぼつかず背をかがめている。
 ステンスの側にいる従者は小柄な少年で、動きやすそうな服を身に着けている。騎士団で偵察などに従事する者がする格好だ。従者はステンスの側に、ぴたりと寄り添って彼の体を支えている。
 兵士は気になったことを聞く
 「騎士ステンス。その姿は?となりのガキは誰です?」
 ステンスがいら立ちながら言う。
 「俺の顔はどうだっていい。隣にいるのはアルフレッド。俺の仲間だ。早速だが、エイルとライトを牢に入れたい。リルラピス一派の動きを聞き出したから、すぐ殺しても良かったが。あとでたっぷりお返しをしてやるのだ」
 兵士はとまどいながらも、牢の扉を開ける。
 ステンスと兵士が背を向けたすきに、エイルが逃げようとした。が、すぐに足がもつれて倒れてしまった。
 ステンスがエイルの体を起こし、あざけるように笑う。
 「弟を置いて逃げるとは。麗しい姉弟愛が台無しじゃあないか、我が婚約者」
 エイルが涙を浮かべ怒鳴る。
 「ステンス!くたばれ!」
 「お前がな!」
 ステンスは牢の入り口にエイルを立たせると、顔面に平手打ちを叩き込む。甲高い悲鳴を上げて牢に叩き込まれるエイル。続いてライトが牢に突き飛ばされた。
 「てこずらせやがって……うう」
 ステンスは毒づき、バンダナの上から右頬をさする。
 兵士がステンスを気遣う。
 「ステンス様、けがの治療したほうがいいのでは」
 ステンスがいら立ちを隠さずに言う。
 「俺の顔はどうでもいい。エイルの魔術を食らって顔を焼かれただけだ。とにかく俺は、王様のもとに報告に行くからな」
 「治療してからでも……」
 「王様の毒殺を目論む刺客が潜り込んでいるんだぞ、城に!俺の治療は報告の後だ。お前たちも怪しい奴が城内をうろついていないか、よく見ておけ!敵は今日、王様の夕食に毒を盛るつもりだぞ」
 兵士は驚いた。ブロン王を毒殺する刺客が潜り込んだって?
 大変だ。ほかの兵士にも伝えなければ!
 たちまち城内は、
 『ブロン王の毒殺を目論む刺客が潜り込んだらしい』
 『夕食に毒が盛られる』
 と、大騒ぎになった。


 クリスティア城内、国王専用の執務室にたどり着いたステンスは、国王ブロン、王妃イリダ、芸術大臣のビルに事の次第を報告した。従者のアルフレッドも同席している。
 軍師ヒデの秘策で、刺客が夕食に毒を盛る。これは事前にステンスからスマホで聞いていた。だが実際に本人の口から聞くと、ブロンは驚きを隠せない。
 「軍師ヒデの発案と聞いたが、まさかリルラピスが毒を使うとは……」
 ステンスが言う。
 「今日の夕食、とのことですが、軍師ヒデの策略は未知数です。しばらくは厨房に出入りする者を厳重にチェックしなければ」
 「うむ。お前の言うとおりだ。よくやってくれた」
 ほめられたステンスが頭を下げる。
 その時、口元に巻かれていたバンダナが、するり、と落ちた。
 ステンスの口元があらわになる。王妃イリダが、ひいっ、と悲鳴を上げた。
 おそらく光の魔術か炎の魔術か、高熱を帯びる魔術を浴びたのだろう。ステンスの右頬が大きく焼けただれていた。応急処置で火傷に軟膏を塗ったらしく、表面が白っぽくなっている。首と頭に包帯を巻いて口元がバンダナなのは、会話に支障があるからだろう。
 ステンスが慌ててバンダナを巻きなおす。
 「エイルの魔法を浴びました。見苦しい傷で申し訳ない」
 ナマズのようなひげを生やした芸術大臣のビルが、半ば呆れた顔で言う。
 「お前。エイルを捕まえた後、余計なことをしたんじゃないのか」
 ステンスが気まずげに言う。
 「高慢な態度がむかつくから、ちょいと斬り刻んでやろうと思ったら反撃を……。くそ、いいところで。足も腰も痛めました」
 「ずいぶん楽しんだことだろう」
 「あいつと弟の悲鳴は最高でしたよ。いひひ」
 「それで顔を焼かれたのか」
 「われながら最低な失敗でした。従者のアルフレッドが助けてくれました」
 傍らのアルフレッドが、静かに言う。
 「従者として、当然のことをしたまでです」
 まあ、確かにエイル・フェイスフルの高慢な態度には腹が立つ、とブロンは思う。それに見合うだけの魔術機構師としての才能はあるのだが、今クリスティア王国はヒーロー武装への切り替えを進めている。今やブロンにとってヒーロー武装に批判的なエイルは、リルラピスともども邪魔な人間だ。
 ビルがステンスに苦言を呈する。
 「お前は昔から、やらなくていいことをしがちだぞ。絵を描くときも、やたらエキセントリックな色を使ったり、綺麗な夜空を描こうと月を二つ描いたりして……」
 この二人は昔から師弟関係にある。ビルはステンスの幼少期から彼に絵画や彫刻を教えていた。
 「あとステンス。お前にはガネットのスパイをはじめ、王様を守るため必要な人材を集める許可を与えている。そこのアルフレッドとやらも、お前を助けたなら使える奴だろう。が、お前が下手をすれば従者も敵に捕まり情報がもれてしまうのだぞ。余計なことはするんじゃない」
 ステンスがビルに頭を下げる。
 「以後、改めて気を付けます。ブロン王の天下を、盤石なものとするために」
 「わかっていればいい。デストロをエトフォルテが始末してくれるなら、あとは毒を仕込みにくる刺客を始末すればいいだけですな、王様」
 うむ、とブロンが頷く。ステンスがさらに言う。
 「私は部屋に戻り治療を済ませたら、刺客への対処を行います」
 ステンスの従順かつ明確な行動に、ブロンは安心した。
 「刺客のことはお前に任せる。あとで我々は広域結界を発動し、万が一デストロが攻めてきた時に備える。最終的に、エトフォルテの処分はヒーロー庁に任せよう」
 ブロンは一息つき、水差しからコップに水を入れて飲み干した。


 隣に座るイリダが、ブロンに嬉しげに言う。
 「これで最高の誕生日を迎えられるわね、あなた」
 ブロンは遠い目をした。ブロンは9日後に誕生日を迎える。
 「本当に、最高の誕生日を迎えられそうだ。ここまで来るのは大変だった。兄上の食事に少しずつ毒を混ぜて弱らせた。イリダ特製の毒をな。そして遺言状を偽装するために、ステンスとビルにも骨を折ってもらった」
 「そうでしたね」
 「ビルの手先が器用で助かった。遺言状を偽装できたのはお前のおかげだ」
 ナマズのようなビルが、ニコニコとほほ笑む。
 「私こそ、王様に助けていただきました。贈収賄で罷免されたところを復帰させてもらいまして」
 クリスティア王国政府では、贈収賄が固く禁じられている。やろうものなら大臣や役人は即座に罷免され、高額の罰金を払わされる。
 ブロンはため息をつく。
 「たかが贈収賄の一つや二つ、厳罰にして大臣を罷免することは無い。兄上は厳しすぎるのだ。お隣の日本では昔、政治家は頭を下げてしばらくすれば、いくらでも大臣に復帰できたというのに」
 もっとも最近は、甘坂冴恵(あまさか・さえ)統制長官が厳しく国会議員の動きを見張っていて、贈収賄は厳罰となっている。
 「もっとお互いに、昔の日本のようにおおらかになれと言いたいんだ」
 イリダがブロンに身体をすり寄せて、笑う。
 「私たちも、昔の日本はよく知らないけど。おおらかな自由が一番だわ。ねえあなた?」
 「そうだ。おおらかに、自分に正直に生きられる世界がいいのだ。今まで本当に大変だったから」
 そんな彼らを見て、しみじみとつぶやくステンス。
 「思い返せば、本当に大変な日々でしたね」
 ブロンも同調し、しみじみと語りだす。
 「イリダが頑張って作った特製の毒。ビルによる遺言状の偽装。兄上の部屋にイリダを入れるため、ステンスが医官や護衛兵たちを説得し計画に引き入れた。そして幻惑魔術で兄上の心を操り、無理やり真印を押させた。ステンス。仲間を集めたお前は大したものだ」
 ステンスはうやうやしく礼をする。
 「ありがとうございます。私はこれからも、王様に尽くす所存です」
 「うむ。クリスティアは日本の技術を取り入れて、さらに発展していかなければならぬ。兄上のように、伝統と自然を守るだけでは時代に取り残される。だから殺した。兄上はリルラピスに継がせるつもりでいたが、俺は認めない」
 イリダも同意する。
 「そうよ。あの子は魔術を守るつもりでいたし、何より義兄(あに)上の娘と言うのが気に入らない」
 イリダの顔が、悔しげかつ憎々しく歪む。
 「私たちの息子は、アミルは死んだのに、リルラピスは生きている。気に入らないわ。それ以上に、つつましく謙虚にふるまうあの子の態度も気に入らない」
 そしてイリダは、ブロンの執務室を見回す。
 ヨーロッパの宮廷を思わせるデザインにアレンジされている、スピーカーや空気清浄機。ブロンの椅子に敷かれたマットはマッサージ機能付きだ。
 ブロンも家電を眺めて、呟く。
 「海の向こうにはこんなに豊かな道具があって、楽な生活を誰もがしているとは思わなかった。それだのに、兄上はいつも同じことしか言わない。木を切るな、水源を守れ。伝統を忘れるな。ユルリウス神への尊敬を大切に。それが、魔王との戦いで亡くなった者への弔いにもなる、と!」
 ブロンは執務机をたたき割る勢いで殴りつける。
 「何が『人の心に限界無し。ゆえに魔術に終わり無し』だ!それで俺の息子が帰ってくるのか!!王家の使命と魔術を守って神に祈ったからって、息子は帰ってこない!!兄上とリルラピスは国民のために頑張ることしかしない。俺の孤独をわかってはくれなかった。わかってくれたのは日本の高鞠総理と雄駆名誉長官だけだった!!」
 一度苛立ちを覚えると、ブロンは自分でもなかなか抑えられない。暴力性が己の内側から噴出する感覚が、日曜日が近づくにつれ強くなる。理由はわからない。日本へ行くようになってから、いつも日曜日はこうだった。
 一気にまくしたてるブロンの肩に、そっと寄り添うイリダ。
 「私もあなたと同じ気持ちよ」
 妻の言葉が引き金となり、さらにブロンは、熱烈かつ暴力的に語る。
 「この生活を守るためなら、俺は兄上もリルラピスも、何人でも殺せる!!俺はこの国の王だ!!やつらの好きにはさせない!!クリスティアは日本とともに歩む。ヒーロー武装や科学技術を取り入れて文明開化する!この国の新たな夜明けをつかさどるのは、俺だ!」
 鼻息荒く、どう猛な口調でさらにまくしたてるブロン。今や彼の心の中は、過去の苛立ちと未来への期待が、荒れ狂う嵐のように吹き荒れている。
 「日本の政治家に言われた。魔術なんて時代遅れ。ゆるマスコットみたいな神を拝んでいるなんて文明遅れ。俺は恥ずかしかった。だが兄上は違った!」
 バルテスはブロンにこう言った。

 『魔術にも優れている点は多い。みんなで考えれば、ヒーローに頼らない防衛対策を考えられる』
 『ユルリウス神がゆるマスコットみたいだって?ゆるマスコットは日本の子供に大人気というじゃないか。そうだ!我が国の神々をシャツにデザインして、日本で売ろう。我が国の文化を理解してもらいつつ、売り上げを復興支援費に充てよう』

 ブロンは兄の言葉を思い出し、歯ぎしりして怒鳴る。
 「くそおおお!伝統をとにかく前向きに守って進もうとする兄上の姿が許せなかった!クリスティウムを売る俺の案に反対しやがって!シャツの売り上げより圧倒的に高く早く富を稼いで、文明開化できるのに!」
 シャツの提案以上にブロンをいらだたせたのは、兄亡き今でもシャツがコンスタントに日本で売れ続けているという実績だ。クリスティウムの売り上げには及ばないが、それなりの収入になっている。獣人嫌いの弩塔猛波(どとう・もなみ)副総理は、よく思っていないらしいが。
 もう、ブロンは兄バルテスも、神々も気に入らなかった。
 だから決めたのだ。
 「兄上もユルリウス神も他の神もいらぬ。俺が唯一神として、この国を未来永劫照らしてやるのだ!邪魔する奴らは殺してやる」
 あふれだす暴力性に突き動かされるまま、ブロンは妻と仲間の前で叫び続ける。
 「俺は神だ!!俺の黄金像を国中に飾れーっ!!三島売却の準備をしろーっ!!」
 イリダも熱烈な暴力性に当てられたらしく、次第に鼻息が荒くなってきた。
 「私もあなたとともに行く。逆らう奴らは幻惑魔術でひとり残らず精神を壊してやるわ!」
 二人の様子にたじろぐステンス。おずおずと進言する。
 「王様。どうか落ち着いてください。フェアリンたちが戻ってきませんが、これはどう対処すべきでしょう?」
 ブロンは深呼吸を繰り返し、気を落ち着けてから言う。
 「破壊神をエトフォルテが倒すなら、当面は様子見でいい。ジーニアスたちも、デストロがいなくなれば戻ってくる。それまで、国内に取り残されたユメカムの社員は丁重に扱え」
 クリスティア王国各地に配属されているユメカム社員たちは、デストロ出現を聞くや否や、王国西部にある日本寄りの港に逃げ出してしまった。脱出のための船を要請したらしいが、この状況でユメカムは船を出せず、100人以上の監督官たちが立ち往生している。
 ステンスが質問する。
 「社員はともかく、フェアリンたちは信用できますか。彼女たちはデストロのもとから逃げ出したと、スパイから報告がありました。しかも今に至るまで、彼女たちから何の連絡もありません」
 ステンスの質問に、ブロンは余裕の態度を崩さない。
 「想定外のトラブルにパニックを起こしただけだろう。戻ってきたら、許してやればいい。日本政府とユメカムとのつながりが切れなければいいのだから。マイティは作業員をかばっていたから、いずれ何らかの形で反抗していただろう。死んだのは好都合。今度日本に売却する三島では、ユメカムがレアメタル採掘を行う。マイティみたいなやつはもう関わらせぬようにしなければ」
 バルテス国王を暗殺してしばらくしてから、ブロンはスマートフォンやパソコンに必要なレアメタルが、三島で大量に採れると知った。日本に島ごと売れば友好関係も国の財政も潤うこと間違いなし。ユメカムはそこで採掘を行う。三方良しの素敵な夜明けがブロンを待っている。
 ステンスの目元が、不安げに揺らぐ。
 「しかし……。危機への対処を誤れば、われらの身の破滅につながります。ユメカムを仕切っているのは逃げ出したフェアリン・ジーニアスです。彼女が我々の不利益になるような真似をしたら……」
 ビルも同意する。
 「ステンスの懸念はもっともですよ。王様」
 ブロンは恐ろしく底意地の悪い笑みを浮かべる。
 「なあに。最悪の時は、やつらに兄上に盛ったのと同じ毒を使って、始末すればいいだけのことよ」
 ステンスが驚く。
 「こ、殺してしまうんですか?」
 ブロンは笑った。
 「あくまで最悪の時は、だぞ」
 「ば、ばれたら日本との関係が悪化します」
 ブロンには自信があった。
 「日本から仕入れた知識で、科学の力でも毒とわからない特製の毒に仕上げたからな。リルラピスと仲間たちも、兄上が病気で死んだと信じている。疑ったところで証拠はない。俺たちは徹底的に証拠を残さないようにしたからな。病気でフェアリンが死んだら、日本政府もヒーロー庁も、ユメカムだって文句は言えまい?そのうえで、神器の所有権を取り戻し、われらクリスティア人から新たな継承者を選べばいい」
 ビルが指摘する。
 「ヒーロー武装を普及させれば、もう神器は必要ないのでは?」
 ブロンが答える。
 「それでも、神器の戦闘力はかなりのもの。使えるようにしておけば、何かしらの役には立つだろう」


 ステンスは火傷を治療するため、執務室をアルフレッドとともに退出する。
 ブロンはビルとイリダに言った。
 「ステンスが連絡を入れてから戻ってくるまで、ずいぶん遅かった。まさかリルラピスに説得されて裏切った、ということはないだろうな」
 イリダが肩をすくめる。
 「ステンスは義兄上を殺すための毒の実験台を調達したのよ。リルラピスが絶対に仲間にするはずない」
 ビルも同意する。
 「私も念のため、ティアーズに戻ったステンスの様子を、部下に見てもらっていました。フェイスフル姉弟を牢に入れるとき、姉が逃げようとしたので、力いっぱい平手打ちをかましたとか」
 ブロンはその様子を思い浮かべ、満足げに頷く。
 「それでこそステンスだ。ヒーロー武装に理解を示さないフェイスフル家とは、完全に関係性が断絶したからな」
 ステンスの実家、ガンデイスン家は今魔術機構師をやめて、ヒーロー武装の導入を推し進めている
 「今やガンテイスン家も日本とヒーローの虜。騎士団へのヒーロー武装の普及は、ガンデイスン家がいなければありえなかった」
 そしてブロンは、己の思い描く防衛対策を語る。
 「ゆくゆくは巨大ロボも普及させ、クリスティア王国独自のマスカレイダーやレギオンを作る。ああ。俺もロボを操縦してみたい」
 だがその前に。ブロンは机の中から、綺麗に包装された箱を取り出す。
 これは先日の訪日で、雄駆照全ヒーロー庁永世名誉長官から一足早い誕生日プレゼントとしてもらったものだ。箱は片手でつかめる大きさだが、ずっしりと重い。この重さが今のブロンには頼もしかった。
 「これを早く使ってみたいぞ。ふふふ」


 ブロンの執務室を退出した妻イリダは、自分の執務室に戻った。
 ステンスの対策は信用しているが、万が一刺客とやり合う場合に備えねば。
 幻惑魔術は、光の魔術と危険な薬物を利用して、人の心を操作する魔術だ。光を目に浴びせることで敵の脳機能を狂わせ、催眠状態にして意のままに操る。さらに風の魔術の応用で、薬物をガス状にして吸わせる、ということもできる。イリダはそのための魔術武装や薬物を準備し始めた。
 ヒーロー武装に比べ手間はかかるが、敵に決まった時の効果は抜群。長らく封印されてきたこの魔術は危険薬物の取り扱いも含んでいる。もともとイリダは魔術薬学で有名な貴族の出身。薬物の知識は豊富だったが、バルテス国王を暗殺するための毒を作るには足りない。禁じられた幻惑魔術の習得は必要不可欠だった。
 最初は毒を作って、バルテス国王に真印を押させたらおしまいにするつもりだった。が、実際に魔術を人にかけてみると、これがなかなか面白い。
 他人を好き放題操るというのは、なんて気持ちが良い物だろう。王室の人間として慎み深く、辛抱強く、国難に対処することが、馬鹿馬鹿しくなるくらい楽しくて気持ちよい。イリダは敵対する市民や騎士に幻惑魔術をかけ精神を壊し、おもちゃにして体が壊れるまで遊び続けた。日曜日には、特に。
 これだけは、ヒーロー武装が普及しても手放さない。リルラピスもエトフォルテも、城内にもぐりこんだ刺客も、幻惑魔術の餌食にしてやるわ。
 イリダは武装を準備しながら笑い、豊満な体を揺らした。


 一通り準備を終えると、イリダは休憩のため風呂に入ることにした。入浴は彼女の趣味であり、最近は一日5回風呂に入る。
 風呂場につくと、支度をするいつものメイドがいない。代わりに、別のメイドが控えている。小柄な茶髪の少女だ。初めて見る。新人だろうか。
 イリダの疑問をよそに、少女はうやうやしく頭を下げ、淡々と解説する。
 「王妃様。本日の入浴剤は日本から手に入れた特別製です」
 もうメイドが入浴剤を投入したらしい。これ自体はいつものことだが、今日は明らかに違うものがある。
 香りだ。
 脱衣所と浴室を仕切る扉の隙間から、いい香りが漂ってくる。まるで高級ワインのように、芳醇で甘い香りが。こんな入浴剤の香りは初めてだ。
 メイドのことより、入浴剤の香りへの興味が勝る。イリダは早速浴室の扉を開け、浴槽をのぞき込む。
 そして、歓声を上げた。
 「まあ、まるでスパークリングワイン!!」
 浴槽は、スパークリングワインを入れたのかと錯覚するほど、きめ細かな泡が絶え間なく立ち上るバラ色の湯に満たされている。しかも香りはワインそのもの。
 これはもう、最高な炭酸発泡入浴剤の予感しかしない。さしずめこれは勝利の美酒。早速イリダは服を脱ぎ、風呂に入ることにした。
 少女メイドが事務的に言う。
 「では、用意をいたします」
 新人と思っていた少女は、てきぱきと動いてイリダの脱衣を手伝う。イリダの服は複雑な構造のドレスで一人では脱げない。手伝う側も苦労しがちな服なのだが、少女は構造を瞬時に把握したらしく、すぐに脱衣は完了した。
 メイドが最後に言い添える。
 「私はここに待機しますので、何かありましたらお呼びください」
 メイドの手際の良さに感心したイリダは、すっかり彼女が気に入った。
 「ありがとう」
 イリダは上機嫌になり、小躍りしながら浴室に入っていった。

 
 1時間後。


 城内が急にあわただしくなった。
 執務室のブロンは、ステンスが城内に潜入した刺客の始末を済ませたのか、と思った。何も知らない城内の役人や使用人たちが、始末に驚いているだけだろう、とも。だからしばらく事務仕事を続けた。
 だが、なかなか騒ぎが収まらない。
 妻のイリダは、風呂に入って休憩中。妻の休憩時間を騒々しくしないでもらいたいものだ。
 収まったはずの苛立ちが再びつのってきた。ブロンは執務室を出る。うるさいから皆を叱っておこう。
 そこに、ビルが駆け込んできた。 
 「王様!!大変です!!リルラピス一派が城内に侵入しました!!」
 「来ると分かっていた刺客ごときに何を騒いでいる」
 ビルが首をぶんぶん横に振って叫ぶ。
 「リルラピスとエトフォルテたちが、大挙して城内に入ってきたんですよ!!」
 事態は、ブロンの想像をはるかに超えて深刻なものになっていた。
 「やつらに、留置場の反抗的な囚人たちを解放されました。バルテス国王はブロン様に暗殺された。その証拠をつかんだ、と連中は吹聴し、城内の者は片っ端から寝返ってしまいました。市民は暴動寸前です!」
 「そんな。ステンスはどうした!?刺客の始末に失敗したのか!?」
 そこに兵士が駆け込んできた。
 「王様!イリダ様が、風呂場で気絶しています!」
 「気絶だと!?」
 「入浴剤に細工があったようで、体がマヒして動けなくなっています!」
 ブロンの頭は、次々に発生するトラブルで大混乱した。さっきまでの安心感と優越感が、破滅的な音を上げて脳内で崩れていく。
 さらに別の兵士が駆け込んできた。
 「リルラピス王女たちが、玉座の間に到達しました!」
 慌ててブロンとビルは、玉座の間に向かう。
 玉座の間に、完全武装のリルラピスたちがいた。
 リルラピスのそばには、近衛騎士のウィリアムとアレックス。少し離れて、首都防衛騎士団のグランと元大臣パズート。
 留置場に入れられたはずのライトとエイル。反抗的とみなして捕らえた騎士たちもいる。
 そして、見たこともない服を着た獣人たち。おそらくエトフォルテだ。
 「叔父上。お久しぶりです」
 リルラピスが丁寧に頭を下げる。が、その声音には怒りが感じられた。
 「リルラピス!!馬鹿な!!どうやってここに!!」
 「すべては“彼”の秘策のおかげです」
 リルラピスが“彼”を自分の側に呼んだ。
 仮面をかぶった男が、すっ、と前に出て名乗る。
 「お初にお目にかかる。私はエトフォルテの軍師ヒデ」
 ブロンの頭は混乱の極みに達した。
 「軍師ヒデ、リルラピス!お前らいったい、いつの間に、何をやった!」
 ヒデが言う。
 「知りたいか」
 ブロンは知りたかった。
 「教えろッ!!」
 ふん、とヒデが鼻で笑う。
 「教えませんよ」
 急に丁寧語になったヒデの態度にさらなる苛立ちを募らせ、ブロンは言葉にならぬ唸り声を上げる。
 完全にヒデの、そしてリルラピスの策に巻き込まれたと悟り、彼は血が出るほど唇を噛みしめ、ただただ唸るしかない。
 

 そして、夢見たクリスティアの新たな夜明けが、一気に遠ざかっていくのを感じた。


 

 前の話    次の話