デストロの首都ティアーズ到達予測まで、あと30分となった。逃げ遅れた市民たちは、騎士団の指示する避難経路を通り城に殺到する。
それとは別の道を兵員輸送トラックが走り、エトフォルテの者たちを城壁に案内した。
ヒデ、ハッカイ、カーライル、まきな、アル。そして団員10名はトラックを降り、魔術機構で動くエレベーターに乗り込む。
昇降機は約2分で、ヒデたちを約30メートルの高さまで運んだ。
すでにグランが、防壁に集まった騎士・兵士たちを指揮する手はずだ。エトフォルテは彼らを支援する。首都防衛騎士団の流儀もあるだろうから、軍師としての意見は最小限にすべきだと、ヒデは考えていた。
そのつもりで昇降機の扉を開け、城壁に降り立つと、
「軍師殿、やっと来てくれたであります!なんとかしてください!」
採掘場でも一緒だった生真面目な“あります”口調の若い騎士、タグスがヒデに泣きついてきた。
一体何があったのか。タグスはこう答えた。
「みんなが、地球のジンクスに惑わされて戦う前からやる気をなくしています!!」
「なんのジンクスですか?」
タグスが悲鳴同然の声で答える。
「死亡フラグであります!」
死亡フラグ。
地球の創作物において、特定の台詞や行動をとった人が高確率で死ぬ、というジンクスである。
この状況でジンクスを気にするなんて、冗談でしょう?と、ヒデは思った。
が、タグスの悲痛な表情から、冗談ではない事態が起きているのは確か。
すでに城壁の上には、青いロングコートをまとった首都防衛騎士(7級以上の魔術師免許を持つ熟練者である)たちと、部下である兵士(8級以下の魔術師免許を持つ新米だ。いずれ級が上がれば彼らも”騎士”と名乗れる)たちが待機している。
彼らの会話が聞こえてきた。
「お前!さっき家族との思い出を語っただろ。死ぬぞ!」
「なんで!?」
「地球では、決戦前に家族との思い出や結婚の予定を語ったやつが、ほぼ確実に死ぬっていう、死亡フラグっていうジンクスがあるんだよ!ほぼ確実に死ぬ!」
「うわー!死にたくない!!」
「死にたくなければ家族の思い出と結婚の予定を語るな!!俺は恋人なんていないし家族は4年前に死んじまったから、大丈夫だけどな」
「そういうお前は、この戦いが終わったらたらふく酒を飲んでやる、って言っただろ!決戦前に食べ物の話をしたやつは死ぬ、って聞いたぜ」
「え、嘘だろ!?」
「偉そうに語ってたくせに、何も知らなかったのか!お前死んだな!」
「い、いやあああ!」
城壁の上は、誰が死亡フラグを言った、言わぬで完全にパニックになっている。
「なんで、こんな事態に……」
ヒデが呆然と呟くと、タグスが答える。
「お隣の日本では、サンデーファイト理論と言うのがあるでしょう」
日曜日になると、日本のヒーローや悪人が攻撃的になる、という理論である。
「実際に日本と付き合いだしたブロンが、日曜日に乱暴になってバルテス様を暗殺し、王女様を襲いました。こんな理論が現実にあるなら、死亡フラグもクリスティアで現実になるのではと、誰かが言ってしまったであります」
さらに気まずげに続けるタグス。
「ヒーローに変身したブロンに、王女様が負けてしまうかもしれない。そう口にする者も、少なくなくて……」
そうだった。
今日は日曜日。先ほどブロンがマスカレイダー・フェイタルブロンと化し大暴れする様子を、多くの人が見ていた。
ブロンがリルラピスを襲ったことで、日本のヒーローへの恐れとサンデーファイト理論は皆の中で現実化し、不安は頂点に達した。そこに死亡フラグが加わり、不安が爆発してしまった、というわけだ。
ハッカイが、ぽつりと言う。
「……やべえ。俺もさっき、デストロやっつけたら酒が飲みたいって、言っちまったぞ」
彼の声音はかすかに震えていた。隣にいるカーライルの顔は真っ青で、翼をぶるぶる震わせていた。
「オレ、お袋の誕生日どう祝おうか考えちまったよ!!考えただけならセーフか!?アウトか!?どっちだよヒデ!あ、口にしちゃったからアウトか、オレ!」
ハッカイが顔を真っ赤にして、ヒデに怒鳴る。
「日本人!ジンクス知ってたなら止めろや!」
無茶苦茶だ。
そこに、城壁を指揮するリーダーのグランが、弱り切った顔で戻ってきた。
死亡フラグが怖い、逃げたいと騎士たちに泣きつかれ、説得しようとしたが聞き入れてもらえない、という。
「非常にまずい事態だ。戦う前からみんなおびえている。しょせんジンクスだ、と言ったが聞き入れてもらえない。このままでは昇降機に駆け込むか、城壁から身を投げる者が出かねない」
そして、深々と頭を下げた。
「軍師ヒデ。恥を忍んでお願いする。死亡フラグを恐れるな、と皆に説いてもらえないか」
「僕が!?」
「私の言葉はもう通じない。王女様はここにはいない。ヒーローを倒したエトフォルテの軍師の言葉なら、みんなきっと聞いてくれる」
タグスがマイクスタンドのような物を持ってきた。というか、完全にマイクスタンドだ。日本の著名な音響機器メーカーのロゴが入っている
「城壁全体に指揮官の声を通す音響機器であります」
ブロンが魔術から科学への転換で、城壁全体にスピーカーなどの音響機器を取り付けたという。そういえば城内にも音響機器があった。
「軍師殿。どうか王女様に代わって、皆を落ち着ける話をしてもらえませんか」
とんでもない状況になってしまった。
日本近海に現れた異世界の国で、マイクを握って騎士と兵士に演説するなんて!城壁にいる騎士・兵士は二千人以上。
すでにエトフォルテでみんなに演説したヒデだが、今回は事情が違う。
ヒーローに立ち向かう覚悟を決めたエトフォルテに対し、騎士・兵士たちはデストロと死亡フラグに完全にびびってしまっている。しかもデストロのタマネギ型の巨体の頭部が、もう山の向こうに見えている。戦闘開始までもう20分もない。
彼らの覚悟を今すぐ根元から奮い立たさねば、何を言っても意味がない。
カーライルがヒデに小声で耳打ちする。
「ヒデ。下手なこと言ったらおしまいだぞ」
「わかってますよ」
下手なことを言うと、戦う前から死人が出る。
ヒデは考え込む。こういう状況では、言葉に詰まって
「うう」
だの
「えーと」
などと連発したら、一発で印象が悪くなる。言うべきことは、ちゃんと考えてはっきりと言え!、と、町内会の先輩が会議の場で教えてくれた。
とにかく、ちゃんと考えよう。できるだけ早く。
まずは映画研究部にいたころの思い出に、解決の糸口を探す。
思い出の中の和彦は、死亡フラグをこう語っていた。
『死亡フラグ。お約束ではあるが、入れすぎると展開が読めてつまんないんだよなあ。とはいえ、死亡フラグが全くない映画は想像できない。無いよりはあったほうがいいんだが。この演出の匙加減は、全創作者にとって永遠の課題だ』
駄目だ。こんなことはとても言えない。
ジンクスなんて気にするな、はすでにグランが言っている。
実際にブロンが日曜日に暴君と化しているから、死亡フラグだって、とみんな思っている。そのブロンがさらに変身して大暴れ。もはや信じるな、と言うほうが無理だ。
死亡フラグ騒ぎは収まらない。うつむきながら考える間にも、周囲の声が耳にいやおうなく飛び込んでくる。
「王女様だってブロンに負けちゃうかもしれないぞ」
「んなことあるもんか!」
「でもこの2年間、俺たちブロンとユメカムの言いなりだったじゃないか!」
「きっと勝てない。みんな負けて死んじゃうんだ!」
言ってはいけない言葉たちが、次第に城壁の上を支配しだした。
ヒデは、自分も何かしらの死亡フラグを立てて死んでしまいそうな気がしてきた。
顔を上げて、いったん気を落ち着ける。
まきなが心配そうにヒデを見つめている。アルは、死亡フラグがどんなものかいまいちわからなそうな表情だ。そういえばアルは、映画の視聴経験があまりない、と言っていたのをヒデは思い出す。
わからない。
そうだ。何が起こるかわからないから、みんなジンクスが怖いのだ。ジンクスに殺されるかもと恐れるのだ。
ヒデの側にいた男性騎士が、天に向かって嘆き叫ぶ。
「俺はジンクスに殺されるのかあああ!?」
ヒデはたまらず叫んでいた。
「いや違う!」
しまった!考えがまとまる前に口に出してしまった!
ヒデの声は、スピーカーで城壁に響き渡った。
城壁の騒ぎが、いったん止まる。
二千人以上の騎士・兵士が軍師ヒデの次の言葉を待っている。ヒデに視線を向けている。
まずい。どうしよう。だがここで自分が言葉を止めたら、騒ぎは再燃する。
もう言葉を止められない。止めてはいけない。
かくなる上は、ノリと勢いで一気に言うしかない!みんなを、そして自分を奮い立たせるために!
ヒデは一度深呼吸し、続ける。
「ジンクスに殺されるために生まれた命なんて、ないはずだ!だってそうでしょう。今ここで家族の思い出を語るのは、家族を大切に思って戦ってきたから!結婚の夢を語るのは、大切な人と未来を進むためだから!食べたいものがあるのは、それを楽しみに思って生きるから!生きる、そう!私たちは生きている!」
生きているから何なんだ。自分にもう一度問いかける。
その時、ドラクローが教えてくれた、スレイの言葉がよみがえった。
「生きているから希望をもって、夢を見て、そのために戦う!良かったことを思い出して、これからの良い思い出のために、心を、魂を研ぎ澄まして!その思いを口にしてはいけないと誰が決めた!言ったら死ぬと決めたのは誰だ!自分の生き方を決めるのは、決めるのは……」
決めるのは、誰だ?
「……いつだって自分自身でありたい!やりたいこと、なりたい自分。思いっきり語っていいはずだ!!それを死亡フラグなんぞに止められた挙句、殺される筋合いなんて、ない!違いますか!」
すると、さきほど嘆いていた騎士が手を上げ、震える声で問いかける。
「違わないですが……。それでも死ぬのが怖いんです!この国がデストロやブロンに負けると思うとたまらないんです!軍師様は怖くないんですか!?」
音響機器は彼の声も拾って拡声していた。
ヒデは正直に言った。
「私も怖いです!」
騎士と軍師の問答に、城壁がどよめく。
「だからこそ、みんなで力を合わせる。訓練を思い出して、力を合わせて、この先のいいことのために頑張るんです!死におびえるでも、やけになるでもなく、生きるために本気の心で、全力の魂で前に出る!」
ここまで言った以上、もう後には引けない。
ヒデは兵士たちの前に出て、一段高くなっている台に上がった。
「王女様は言いました。魔術は心で放つものなり。そして、今はこの心が私たちの武器だと!私は王女様の言葉を信じます。皆の心が生きるための武器になります、必ず!」
そして腰の剣を抜き、天に向かって突き上げる。
「だから全力で、本気で、逃げずに戦おう!死亡フラグ、ブロン、デストロと!何があっても自分の心を、魂を手放すな!私も前に出る!」
グランが台に上がり、ヒデからマイクスタンドを取った。
「軍師ヒデは生きて戦う覚悟を決めた!私も決める!諸君らは、どうだ!?」
城壁の上で、大きな声が上がった。
生き残って家族に会いたい!
結婚したい!
美味しいものが食べたい!
そのためにも、本気で全力で頑張るんだ!
死亡フラグが何だ!
デストロもブロンもくそくらえだ!
もう大丈夫だ、とヒデは判断した。
いったん台を降りると、グランが頭を下げる。
「本当にありがとう。素晴らしい説得だった」
次いで、まきなが心配そうに小声で話しかけてくる。
「ユメカムのウォッチで防御力上げたとはいえ、ヒデ君が前に出て本当に大丈夫?」
採掘場で手に入れたスマートウォッチ(マークⅠ)を身に着けている今、とりあえずヒデもまきなも防御力だけはヒーロー並み。だが、ミニトロと正面から殴り合いになったらきっと太刀打ちはできない。ヒデはエトフォルテで戦闘訓練を始めて一か月程度なのだ。
「……今さらあとには退けません」
ヒデは自分の体の内から、震えが湧き上がってくるのを感じる。今まで軍師として主に助言をするだけだった。戦いの最前線に出るのはこれが初めてだった。
怖い。緊張する。だがもうやるしかない。胸の内に宿るコンプラ、情け、配慮は、すべて燃やして原動力に変えよう。軍師ヒデがおびえて背を向けたら、みんなのやる気は一瞬でゼロになる。
ヒデはハッカイに頼んだ。
「僕は台の上でみんなを鼓舞しますが……。ハッカイさん。僕がパニクって逃げそうになったら、ぶん殴って『そこにいろ!』ってやってください」
ハッカイが目を丸くする。
「日本人、正気か!?俺は手加減しねえぞ」
「そうしてください」
エトフォルテを裏切る不誠実な真似をしたら、おかみさんことハウナにぶん投げられる約束で、ヒデは軍師を引き受けた。このくらいやらなければ駄目だ。
「そうだ博士。医者としてみんなにアドバイスを。くれぐれも、無理をしないように、と」
医者のまきなは、クリスティアの医療兵とともにバックアップを担当する。今ならみんな、死亡フラグに惑わされず話を聞いてくれるだろう。
まきなはマイクスタンドを受け取り、深呼吸。滑らかかつ優しい声で、みんなに呼びかける。
「無理するなとは言えない状況だけど。みんな、けがをしたらいったん下がって。治療を受けるために下がるのは、恥ずかしいことではないから、ね。一つしかない体を大切に!それがきっと、勝利につながるから!」
城壁の騎士と兵士たちは、保健の先生の言うことを聞く子供の様に、はい!と元気よく答えた。
さっきまでの恐れおののく姿は、もうない。
城壁の上にいる者たちは、覚悟を決めた。
ヒデたちの音声は、城壁だけでなく、首都ティアーズ全体に鳴り響いた。
ブロンと戦うリルラピス。
フェアリンのもとに向かうウィリアムとアレックス。
二人を追いかけるジューンと孝洋たち。
そして、城内で広域結界を発動しようとしている、エイルたちのもとにも。
ティアーズ城内地下に設けられた広域結界制御室は、ブロンが設置した映像機器と、光の壁を展開する超大型魔術機構が設置されている。
溶鉱炉を思わせる魔術機構を含んだ制御室はとても大きく、深い。
城の地下を大きくくりぬいて設置された制御室の構造は、例えるなら地底湖である。地底湖に蓋をするような形で金属製の床が張られている。部屋の中心に溶鉱炉型の魔術機構が設置され、きらきらと輝く魔力鉱石クリスティウムが大量に投入される。クリスティウムは床下の空間に貯蔵されている。
機構を発動することでクリスティウムから絶え間なく魔力が供給され、城の中央から光の魔術を発動。任意の範囲を光の壁で覆うのだ。
科学技術への転換を進めたとはいえ、いざというとき国土全体を覆う強固な壁を展開できる広域結界は強力。だから、ブロンも手放すことはできなかったようだ。
ヒデが城壁で演説していた時、広域結界を任されたエイルは、仲間の魔術師と弟ライトから、広域結界展開に支障がない旨の報告を受けていた。城壁の一部始終は、モニターによってエイルたちも見届けている。
「さすが軍師、見事な演説でしたわ」
エイルは満足げに頷く。ヒデがリルラピス王女の言葉を引用したことにも、好感を覚えた。彼はクリスティア王国の騎士・魔術師の心を大切にしてくれた。
エイルは制御室内の魔術師たちに声をかける。
「私たちも負けていられません。クリスティウムの魔力が足りなくなったなら、命を懸けて私たちが魔力を注ぐのです。総員、覚悟は?」
魔術師たち、即答。
「できてますっ!」
エイルは胸を張り、キリリ、と決めた表情で高らかに宣言する。
「よろしい。では、広域結界展開用意!デストロの侵攻を、なんとしてもティアーズで食い止めますわよっ!」
そしてエイルたち魔術師は、広域結界を展開した。
城の中央先端からまばゆい光が放たれ、白い光の壁が首都ティアーズの周囲をドーム型に覆っていく。
光の魔術で形成された壁は、瞬く間にティアーズをすっぽりと覆った。
ティアーズ全体が広域結界で覆われたのを見て、慰霊塔で様子を探っていたフェアリン・ジーニアス(夢叶統子)とフェアリン・エクセレン(素薔薇椎奈)は恐慌をきたす。
デストロをティアーズに誘い込んだら、頃合いを見て逃げようと思ったのに!
追い打ちをかけるように、彼女たちの足元に矢が突き刺さる。
矢を放ったのは、近衛騎士にして弓術士のウィリアム・ナースノー。
普段の眠たげな優男から一変。ウィリアムは攻撃的な視線を飛ばし、フェアリンたちに言う。
「逃がしはしないぞ、フェアリンども!」