エトフォルテ船内では、十二兵団員と一般住民の生活区画が分けられている。十二兵団員の生活区画にある空き部屋を、まきなとアル専用の医務室兼整備室、マティウス専用の武装研究室として使うことが、昨日の対策会議で決定した。
まきなとアルの研究室兼整備室は、アルの整備に必要な設備と同時に、医者であるまきなのために医療機器を設置することになった。アル用の設備は昨日の会議後タイガたち技の部が用意した。そして今日は、心の部であるジャンヌとムーコが医療機器を設置するためにやってきた。
医療機器ばかりでは味気ないとジャンヌは思い、ムーコと相談して観葉植物の鉢植えを持参した。まきなは観葉植物を見て、喜んでくれた。持参した観葉植物は、地球にあるポトスという植物に似ていて、まきなも実家などに飾っていたという。喜ぶまきなの様子に、アルも嬉しげだ。
おかげで4人はいい雰囲気の中、医療機器を設置できた。
次に取り掛かったのは、面接で始末した真名子伊織の所持品の処分作業。
真名子は大きなスーツケースに、手術器具や薬剤、人体に取り付ける機械部品を大量に詰め込んでいた。あの時のことを思い出すと、ジャンヌはすぐ捨ててしまいたかったが、
『焼却処分で薬剤が爆発したり、ガスになってみんなの体調を害するとまずい』
というヒデの懸念により、一通りチェックしてから捨てることなった。万が一に備えて、全員手袋と防毒マスクを身に着け、慎重に中身をチェックしていく。
「ゲドーの危険性はヒーロー庁にいた頃聞いてたけど、実際に目にすると、引くわ」
手術器具を慎重に取り出しながら、まきなが嫌悪感に満ちた声を上げる。彼女に言わせると、手術器具のいくつかは人体に刺激を与え、苦痛を与えるものだという。普通の医者なら絶対に使わない器具で、使うとしたら拷問か何かのときくらいだろう、とも。これだけで、真名子がエトフォルテを素材程度にしか見ていなかったのは明白だ。
一方、薬液の瓶を取り出したムーコ。アルに解析を頼んだ。アルが瓶のラベルに書かれた成分表(日本語)を読み取り、解説する。
「この薬液は脳細胞に影響する薬です。服用者の闘争本能を高める作用があります。
改造手術の過程で対象者に薬液を注入。対象者から正常な思考能力を奪い、戦うだけの存在に変えてしまうのだと推測します」
「じゃあ、あの人が私たちの魂を奪うってヒデさんが指摘したのは…」
「本当だった、ということです」
ぶるり、と身を震わせるムーコ。それを聞いたジャンヌも背筋が冷え、面接の時を思い出し頭が痛くなった。
一通りチェックが終わり、焼却処分に問題ないと判断できた。
ジャンヌたちはマスクと手袋を外し、お茶を用意して休憩することにした。
「エトフォルテのお茶は、麦茶みたいな感じね」
一口飲むなり、まきながそんな感想を漏らす。ムギという穀物を煎って作るお茶だという。事前にアルが成分チェックしてあるので、地球人が飲んでも問題ない。
この休憩が終わったら真名子の遺品を焼却処分して、日曜日に向け別の準備をしなければならない。なのに、ジャンヌの心は重かった。
やっと面接での失態と決別できると思ったのに。あの時の失態に対する後悔と落胆は、ジャンヌの中でますます強くなっていた。
「ヌーちゃん、大丈夫?」
隣でお茶を飲んでいるムーコが、心配そうに声をかける。ジャンヌは、胸の内を吐露した。
「おじい様たちの仇をとるために魂を捨てよう、改造手術を受けようなんて。
私、本当にバカなことを考えた。最低だよ」
昨日、ヒーロー図鑑を見た。ゲドーとその派生組織による改造人間たちの写真が大量に載っていた。不気味で、無茶苦茶な改造の結果の数々が。
真名子を受け入れていたら、自分もムーコも、あんな姿になっていただろう。ゲドーの改造手術を受けたいなんて言ったことは、あの一回だけでも罪深い。
ジャンヌの胸の内を察したのか、まきなが口を開く。
「悪いのはあなたじゃなくて、真名子伊織とシャンガイン達よ。
仮に真名子を仲間にしていたら、私は絶対に許可しなかった。マティウスたちもきっとそうよ。ゲドーの流れを汲んだ改造手術なんて、やってはいけない」
まきなの指摘も分かるが、祖父と兄の志を汚してしまったようで、ジャンヌは気持ちを切り替えられない。
ムーコがまきなに問いかける。
「博士はあの男が、ゲドー出身者だと気づいていたの?」
「医者の勘でね。やばい奴とは思ってた。威蔵君は気づいてた。合格者の控室で教えてくれたの」
そして、威蔵はもしヒデたちが真名子を採用していたら、ゲドーのやり方を明かし真名子を殺すつもりだったという。
礼仙兄妹と工場長はともかく、マティウスもおそらく止めただろう。面接後に真名子のことを聞かされたマティウスは、憤慨するなりこう言っていたという。
「やっぱり!!マッドな感じだと思ったのよ。皆を改造しようなんて、あの男万死に値するッ!!」
ヒデたちはあの男の危険性を見抜いた。
それに比べて、自分は。
「私、ダメダメじゃん」
「ヌーちゃんだけじゃないよ。私やドラくんも、ターくんだって」
ムーコの制止も、落ち込んでいくジャンヌの心を止められない。
「あの時まっさきに力が欲しい、って言ったのは私。
私が言わなきゃ、ドラクローたちだって続かなかった。本当に、バカで最低な選択をして。十二兵団のすることじゃない」
こんな自分に、十二兵団にいる資格はあるのか。これから戦う資格はあるのか。
また仲間を、誤った道に誘ってしまうのではないか。
切り替えなければいけないことは、わかっている。だが切り替えようとするたびに、ジャンヌの頭には面接の失態が痛烈によみがえる。ますます頭が、そして全身が重くなってきた。
ふと、全身がふわりと暖かいものに包まれる。
ムーコが自分に抱きついたのだと理解し、思わずジャンヌは息をのむ。
「十二兵団の掟、第一条は?」
ムーコの静かな問いかけに、ジャンヌは戸惑いながらも第一条を復唱した。
「十二兵団員たるもの、兵団のため、住民のため、互いに助け合い、全力を尽くすべし」
「ヒデさんが私たちを助けてくれた。博士やアルちゃんたちも力になってくれた。
だから、今度は私たちが、仲間を守るために頑張る番。
失敗を気にするのは当然だよ。私だって、改造手術受けたいって言っちゃったし。
でも、一緒に頑張ろう。
私たち十二兵団の仕事は、失敗を気にしていつまでも落ち込むことじゃないよ」
ムーコの体の暖かさを感じながら、ジャンヌは昔を思い出す。
小さいころは立場が逆で、泣き虫だったムーコをジャンヌが抱いて、励ましていた。
十二兵団で働きたいなら、泣き虫じゃだめだよ。強くならなくちゃ。
十二兵団の仕事は、泣くことじゃないんだから、って。
ムーコだって平気なはずがない。スレイをはじめ、親しい者を何人も亡くしているのは、彼女も同じだ。それでも、前に進もうとしている。
「すっかり団長の風格ね」
「ごめん。ヌーちゃん。偉そうなこと言って」
慌てて体を離したムーコに、やっとジャンヌは笑いかけることができた。
「いいの。ムーコの言うとおり。私の仕事は落ち込むことじゃなくて、みんなのために戦うこと」
完全に失態を忘れることはできないが、今は十二兵団としてやらなければならないことをする。それが、兄や祖父の供養にもなると、ジャンヌは思った。
「博士、アル。暗いところを見せてごめん。改めて、よろしくね」
「こちらこそ。それにしてもあなたたち、いいコンビね。その美しい友情を守るために、私も全力を尽くすわ」
そう返すまきなは、何とも感極まった笑顔を浮かべていた。ジャンヌは美しいものを見せたつもりはないのだが。
すると、アルが口を開いた。
「美しい友情に抱擁は付き物である。友情は心を強くする。博士の教えどおりですね」
ジャンヌは機械が友情を語るのを、目の当たりにするとは思わなかった。
「博士は、機械に友情なんてのも教えるの?」
「もちろん。人を守るために生まれた子だもの。
人間の強さ。弱さ。美しさ。醜さ。
そういったものを知らないと、誰かを守る気にだってならないでしょう。
これは、ヒーロー庁がアルに求めた目的とは別問題。私の恩師が教えてくれたこと。
人間を守ろう、助けようと思ったら、まず人間を知りなさい、と。そしてこうも言っていた。人間の温もりと優しさを忘れるな、とも」
まきなはアルに、人の『魂』を教えようとしているのか。
まきなはアルの肩にそっと手を添え、ジャンヌとムーコに優しく語り掛ける。
「この子はまだ生まれて間もない。これからいろんなことを学んでいく。
ジャンヌさん、ムーコさん。できる範囲でいいから、アルと話してくれると嬉しいな。それがこの子の心に、力になっていくから」
ジャンヌとムーコは、互いに頷いた。
その様子に、ぎこちないけれど、嬉しそうな表情を浮かべたアル。次いで、こんなことを言い出した。
「同志ムーコ。同志ジャンヌ。ぜひ、私にも抱擁を。美しい友情を私も記憶回路に刻み、ともに戦いたいのです」
「いいよ」
あっさり快諾したムーコが、まずアルに抱き着いた。
「すっごい!アルちゃんほんとに柔らかいよ、ヌーちゃん!!」
続いてジャンヌは、どれどれ、と思いながらアルを抱きしめる。
機械というから冷たい感触かと思いきや、肌の柔らかさと暖かさはエトフォルテ人と大差ないように思える。まきなの技術力をジャンヌは文字どおり体感した。
一方のアルは、二人と抱き合えたことがよほど嬉しかったようだ。ジャンヌから体を離すと、抱き心地をまきなに向かって語り始めた。早口で。
「博士。同志ムーコの羊の特性を持った肉体は、非常に暖かく、柔らかいです。しっとりと柔らかい体毛は、細いながらもモチモチなのが服の上からでもわかります。たまらないです。
同志ジャンヌは蛇の特性を持つ肉体と伺いましたが、温もりは人間のそれに酷似。服の上から感じる肌触りは非常に滑らかで、暖かい。この滑らかさは、地球上の哺乳類にはない新感覚です。
美しい友情に抱擁は付き物であり、抱擁は温もりを伝え、温もりは未知のエネルギーとなって力を与えるのですね。
博士、私の出力リミットが2段階上がりそうです」
これまでの事務的かつ冷静なしゃべり方に、明らかに熱がこもっている。
有体に言えば、アルは明らかに興奮していた。
まさか自分の体の抱き心地を、機械少女が興奮気味に解説するとは思わなかった。ムーコは昔から一緒にいる幼なじみだから、互いにいたずらで抱きつくこともあるけれど、こんなに力いっぱい解説されたら、恥ずかしくてもう抱きつけない。ジャンヌは自分の顔が真っ赤になっていくのを感じた。ムーコも恥ずかしそうに赤面している。
というか、機械の能力は抱擁で上がるものなのか。
そんな自分たちの様子を見ているまきなは、恥ずかしいだろうけど許してね、と言わんばかりに苦笑。
まあ、アルが嬉しそうにしているから、いいじゃん。私の悩みも少しは軽くなったし。
ジャンヌは自分にそう言い聞かせた。
一方、技の部のマティウスの研究室に、タイガは技の部の団員を集めた。
集められたのは犬族のシーバス。兎族のハーゼ。牛族のミハラ。シーバスとハーゼは男性で、ミハラは女性である。新米団長のタイガにとっては皆先輩にして、団員たちをまとめるサブリーダー的存在である。
マティウスがシャンガイン達の光線兵器に対抗するための道具を作ったということで、タイガはマティウスの研究室に3人を呼び集めた。
3人を前に、マティウスがスプレー缶を持ってきた。
「これが光線兵器に対抗するアイテム。ビームコートスプレー。その名の通り、吹き付けた物にビームを打ち消す膜を張るわ」
シーバスがスプレー缶を手に取って呟く。
「この短時間で、よく用意できたな」
「レギオン・フォレスターにいた頃デザインしたものよ。防護服や鎧に吹き付けて、乾かせばいい。技の部の資材に、スプレーの原料があったから作れた」
「俺たちが尻尾や頭に吹き付ける保護スプレーの、光線兵器版ってことか」
十二兵団の制服と仮面で覆いきれない尻尾と頭部には、有害なガスや毒液を弾く保護スプレーを任務前に吹き付けることが、団員全員に義務付けられている。肝心の防御力は、エトスを流すことで高める。
牛族のミハラは露骨に嫌な顔をした。
「制服に吹いて肌がかぶれるなんて、私はイヤよ」
「完全に乾いた後なら、皮膚に影響ないわ。ただし、直接皮膚に吹くのは駄目よ」
兎族特有の、兎耳風のフードをいじりながら、ハーゼが疑わしい目をマティウスに向ける。
「ホントにこのスプレー、効くのかよ。俺たちの制服も結構丈夫で、さらにエトスを流してガードしても貫通したんだぞ、光線銃」
シャンガインの標準装備である光線銃『シャンバスター』。特殊バッテリー内蔵で、100発以上撃てると、タイガはヒーロー図鑑で確認している。シャンバスター以外にも、メンバーは折り畳み式の剣に光線の刃を付与する『シャンカッター』を所持している。
エトフォルテにも光線兵器はあるが、船体に取り付けられた主砲と対空砲台くらいだ。光線兵器を携行できるサイズに収める技術は、エトフォルテにはない。それゆえ、光線兵器への対抗策は急務だった。
ハーゼの疑いに、今度はシーバスが便乗した。
「スプレー吹いただけで防御力が上がるなら苦労しない。
それに、こいつはシャンガインと似たような組織にいた日本人だろう。話し方も変わってるし、信用できないんだよなあ」
話し方については、タイガも同感だった。マティウスのような話す男は、エトフォルテにはいない。ミハラは何も言わないが、あまりマティウスを信用していないのが、表情で分かった。
しかし、マティウスの武装に対するこだわりを、タイガはすでに知っている。
限られた時間でエトフォルテがシャンガインに勝つためには、まず団員たちの防御力を上げて、安心して行動できるようにするのが最善だと、マティウスは昨日の作戦会議でヒデたちに強く訴えた。
そのためには、シャンガインの標準装備である光線銃への対策が絶対必要。というわけで、タイガがエトフォルテの資材倉庫から使えるものをありったけ用意し、マティウスがスプレーを作り上げた。ほとんど休憩もとらずに。
3人に疑いの目を向けられ、困惑と寂し気な表情を浮かべるマティウスを見て、タイガは決心した。
マティウスは変わった話し方をするけど、エトフォルテの事をきちんと考えている。思いやりのある新しい仲間を、先輩たちにも理解してもらいたい。
そのためにも、スプレーの性能を先輩たちに見てもらおう。研究室の一角に設けた試射スペースに、タイガは二種類の制服を用意し、人型の的に掛けた。
「スプレーを吹いて乾かした制服と、吹いていない制服。そして、みんなが倒したシャンシルバーの光線銃『シャンバスター』。オレがシャンバスターを撃ってみる。まずは、スプレーを吹いていない方に」
ギュオン、という独特の発砲音とともに、光弾が発射される。そして制服に穴が開いた。
続いて、スプレーを吹いた制服。そのまま撃とうとして、タイガはやめた。自分の制服を脱いで、スプレーを吹いた制服に着替えた。
ミハラが、ぎょっとする。
「まさかタイガ、服着た状態で試し撃ちを!?」
「みんなの安全を守るための装備だ。着た状態で試さないと、先輩たちも納得しないだろ。マティウスの腕と人柄は信用できる。絶対に大丈夫だ」
スプレーの効果はすでに的に吹きつけて試しているが、着用して試してはいなかった。
団長だからって無理してないだろうなと、ミハラたちは再度止めようとする。先輩たちの気遣いは嬉しいけれど、これはタイガ自身がやらなければいけないことだ。
「なりたての団長だけど、オレには武器や防具でみんなを守る責任がある。本当に安全に使える装備かどうかは、自分で試して確かめる」
深呼吸して、タイガは自分の体にエトスを流す。黄色い光に全身が包まれる。右手でシャンバスターを構え、三回深呼吸。左腕の制服の袖に向かって三発、発砲した。
光の弾丸は、三発とも着弾箇所から光の粉と化して霧散した。着弾時、ジュオオ、と制服の焦げる音。着弾箇所には三つの焦げた黒点が残ったが、貫通はしていない。
タイガは黒点の一つに重なるように、もう一度シャンバスターを撃った。ビームは、黒点を貫通せず、再び霧散する。
制服を脱いだタイガの左腕も、着弾箇所の黄色と黒の体毛がほんのちょっと焦げたくらいで、まったく行動に支障はなかった。エトスを流してこれだから、流さない状態でも問題はないと言える。
「すごい!本当に光線を防いだ!当たった後でもスプレーの効果は活きるんだな!!」
ハーゼが歓声を上げる。この反応に、マティウスも嬉しそうに応える。
「スプレーの効果は、乾かしてから約3日。制服以外にも吹けるから、防御の要になるところに吹き付けてみてね」
シャンバスターより威力の高い光線兵器が当たった場合でも、威力を抑えるから生存確率がぐっと上がる。過信は禁物だが、皆が怯えずに行動できるのは大きい。それがわかったから、この場にいる者は皆笑顔だ。
シーバス、ハーゼ、ミハラは、タイガの度胸をほめたたえ、次いでマティウスに話しかけた。3人とも、尻尾が嬉しそうに揺れている。
「あんた、話し方は変わっているが、結構やるな。馬鹿にしてすまなかった。マチェーテ」
「違うだろ、シーバス。マテーチャだ」
「いや。ハーゼ。名前間違えちゃ駄目でしょ。彼はマチャーキよ」
もう、“マ”しかあっていない。
タイガが誤りを正すより早く、プンプン怒りながらマティウスが叫んだ。
「ちーがーうわーよー!!
私の正しい本名は、マティウス・浜金田!!長いからマティウスでいい。
ちゃんと覚えてよねっ!!」
「ちゃんと覚えるよ、マティウス!!」
「うん。わかればいいのよ」
こうして、技の部の団員たちとマティウスの絆は深まった。
もっとも、マティウスの“正しい本名”は『浜金田大五郎』だ。
タイガは指摘すべきかと思ったが、今のいい雰囲気を壊すこともないや、と思い、やめた。